古神道とは・・・

現代人の多くの人は古神道という言葉を聞いたときに、このようにイメージされる方が多いようです。
<古神道→日本神道→宗教>

小林美元先生の「古神道入門」を開いたページにはこのように表現されています。

仏教はお釈迦さま、キリスト教はイエス・キリストとか、イスラム教ではマホメット、そういう創始者がおられます。宗教といわれているものには必ず初めにその教えを説いた人がいて、そのお弟子さんたちがその師の教えを一つの宗教として広めて行く。それが世界的な仏教とかキリスト教になってきているわけですが、人間が創始者ですからその人の言葉を受けた人たちが後の世に伝えていくために、経典やバイブル、コーランなどが編集され、伝えられてきています。

ところが縄文古神道というのは、そういう教えがありません。教祖がいない、教義もない、経典もない。ほんとうに大自然が相手ですから、そういうものは一切ない。二宮尊徳翁のように、自然が教師であるというようなことを古神道は唱えていますが、他の創称宗教とはぜんぜん成り立ちが違います。自然を敬うこころから発した宗教、宗教というよりも古神道は生活の道、生活そのものが「神随ら(かんながら)」の道として伝えられてきています。ですからこれを宗教の分野に入れるというのが、戦後の宗教法人の間違いです。

途中省略

一神教は絶対であるがゆえに排他的で、歴史のなかで繰り返し宗教戦争を起こしてきました。しかし古神道はそうした排他性のない神随らの道、大自然に融和した生活の道なのです。神道はよく「言挙げしない」といわれますが、それは他に対して包容力があるからです。だから他者を理屈でやりこめようとしたり、善悪で物事を判断しません。

こういう古神道の宇宙観、生命観というものを見ていけば、これから地球上にこの教えというよりも道をひろめていくことが、いっそう大事なことになると思います。

古神道入門(小林美元 著)平成10年 より

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