コロナとパイセン
数日前、職場の長期臨時休業が決まった。
知らせを聞いた朝、唖然としながら「ついにこの時が来たか…」という感じと共に、物凄い焦りと不安を感じた。
突然自分が時代の「当事者」になった感覚だった。毎日情報に触れながらも、今までいかに”他人事”だと自分が捉えていたかがわかった。
日常が崩れていくという感覚をその日一日で体感した。
私は接客業をしている。
”常連さん”にとても支えられ、成り立っている仕事だと思っている。
急遽決まった休業を、訪れるお客さんに伝えると
「さみしいね」「がんばりましょうね」「気をつけて」「またコーヒー飲みに来るけぇね」と温かい言葉をお客さんがかけてくれる。
たくさん商品を買ってくれる。
笑顔でさよならを言う。
その日仕事が終わったロッカー、バスでの帰宅道中、お風呂に入ってシャワーを浴びてる時、気を抜くとすぐ涙が出てきて私はずっとメソメソしていた。
とても悲しかった。
次の日職場に行くと、先輩がゴリゴリに働いていた。
ゴリゴリに。
その姿からは「悲しい」とか「さみしい」という雰囲気は微塵も感じられず、いつも通り、出来る事を全力フルパワーでやっていた。
そしていつものように「あそこはこうしないとダメよ」等叱られたりした。
私は何を感傷にふけってメソメソしていたのかと、自分に呆れた。
そう、今できることを全力でやるしかないのだ。
そして、私はこの先輩が居ないと未だにそれに気付けない。自分の未熟さが情けない。
生活の「日常がくずれてゆく」とか「なんて悲しい状況なの」とかエモーショナル噴火を起こし自己陶酔していたのだ。
その先輩にはこれからの将来を生きるお子さん達含めてのご家族があり、計り知れない不安もあるに違いないのに、自分からは決して言わない。言えない立場という事もあると思う。
逆に言えば私にはこの先輩が居るからネガティブな話を振ってしまう事もある。職場で頼れる人が居るというのはとても心強いが、それは稀有なことだ。そして私はそろそろ甘えを卒業しなくてはならないのに、ズルズルと逃げている。頼られる人になりたいと思う。
そして今日、本当ならば公休だったが臨時休業前日の作業等の為、午後から出勤した。
通勤の車内、いつもはスマホばかり見ているが、今日はずっと車窓を見ていた。田舎道の山並みからビルがだんだんと増えて駅が大きくなっていく。橋を渡って原爆ドームを横切る。百貨店が立ち並び、マスクをして路面電車から降りてくる人達、ほとんど散った桜、駅前大橋を渡ると、職場だ。
足を運んでくれた常連さんへ笑顔であいさつをする。休業を知ったお客さん達のおかげでいつもの何何倍も売り上げて、忙しさを乗り越えたスタッフ同士称え合った。閉店後の怒涛の片づけを終え、お疲れ様、またね。と店を後にした。
私は今の仕事が好きだ。コーヒーを運んで「ごゆっくりどうぞ」と言った時のお客さんの反応、お冷を注ぎに行った時にする常連さんとの会話、商品の包装が綺麗に出来て喜んでくれた時。すべて宝物です。
みなさんどうかご無事で。
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