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社長、駐妻になる②

おはようございます。

さて、前回に書いたとおり、昨年4月に夫が転勤の内々示を受け取り、にわかに慌ただしくなった我が家です。

6月には配置転換があり、夫はシンガポールへ行くことになります。

当時のシンガポールの入国時隔離は、政府指定のホテルで2週間でした。
なので、私と末娘は夏休み期間に合わせて隔離をして、2学期から向こうの日本人小学校へ編入出来たら丁度いいなと思い、夏休みに入ってからの渡航にしようと、大まかなスケジュールを決めました。

そうとなれば、私の仕事を早急に整えないといけない。
今は週の半分以上家事代行の現場仕事をしていたので、事務局をはじめとした一緒に働いてくれているサポーターさんたちに伝え、私は出来る限り現場仕事を無くして、皆さんの力をメインにしていくことにしました。

2015年の夏に個人事業主として起業し2017年に法人化して、組織で社会を変えていくぞ!と意気込んでいたものの、結局私がメインで現場に行っているという現実を変えられずに4年がたっていました。
現場を引退して、私はマーケティングに専念しないと、会社はいつまでたっても個人事業主の延長線上で、大きな変化はないと思っていました。

それでも、私が現場に行くことで人件費もかなり楽になるため、私は現場仕事を良い訳に、経営をするということに逃げていたんだろうなと、今では思います。

なので、今回このタイミングで私が日本を離れるというのは、もういい加減にしなさいよ、という、なにかの計らいとすら思えます。

もう、無理なんだ。と思えたら、出来るものなのですね。

数か月ほどで、私が現場に行かなくても、サポーターさんたちだけで現場が回るようになってきました。もちろん、事務局のMさんにとっても頑張ってもらいました。スケジュールの調整など、彼女がいなかったら、多分シンガポールに行くことは出来なかったでしょう。

しかし、その現場仕事を整えるぞと意気込み始めた5月初旬、シンガポールが外国人の入国禁止を発表しました。ちょうど、オリエンタルラジオの中田あっちゃんが渡航した後位だと思います。

永住権を持っている人以外、ビジネスビザを持っていても、入国できないことになってしまいました。

夫の渡航プランが崩れていきます・・・。
さて、どうしよう・・・。

今日はこの辺で。


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