手のひら先生のリウマチ相談室 7 知らない内に「気」を使っている


気といっても気配りの気ではなく、気功の気の方です。

気なんて縁がないとか、気なんて知らないよとか言ったとしても、日本人ならほとんど生活の中で気を出して使っているのです。

大げさに言えば日本人は全員気の達人とも言えます。

気功を習ったとか、気を使えるとか、気を勉強された方なら改めて「気」の観点から眺めると、納得されることが多いと思われます。

初めに気づかせてくれたのは鳥居隆篤先生でした。

気功ブームの時に教えてらっしゃった武道「柔法」の教室から、気を取り出して「気功教室」を開催されました。

そこで教わった見方を後になって様々なことに応用すると、まったく景色が違って見えることにもなりました。

「今日は牛乳やジュースの味を変えてみよう」と言うことになりました。

近くのお店で買ってきた牛乳やジュースを並べ、先生が気を入れる出すをされて、生徒がそれを確認するのです。

味が変わると言っても牛乳がジュースに変わるわけではなく、その濃淡に変化が起きると言う分けです。

そんなことできる?と私も始めは疑いの目を向けていたのですが、微妙ではありますが味の濃淡は変化が起きました。

左手にコップを載せてその上から右手の人差し指をくるくる回し、さらにその指を底の方に回しチョンと突き刺すような動きをしたのです。

味変わるんですね。

右回りの時と左回りの時、味の濃淡は変化するのです。

この動作どこかで行われているか? すぐ気が付きませんか。

そうです「茶道 チャ・ドウ」でお点前を頂く時に、茶碗を反時計回りに2度回すそうですが、なぜ左回りなのでしょうか。

誰もお茶の先生だって分からないかもしれませんね。

鳥居先生の講座では教えてくれました。

クラスター 今は忌まわしい言葉に使われていますが、本来は分子・原子の集合体を指します。

気の出し入れをすることで、ジュースなどの分子を変化させ味の濃淡を変化させるそうです。

日本では「道 ・ドウ」と呼ばれるものについては、その動作儀式がどのような意味を持っているのか、誰も説明できないものがあります。

それを「気」という観点から意味を見出そうとすると、十分納得できるようになります。


「剣の道」竹刀をもって行う「ケンドー」ではありません。

「真剣」本物の日本刀で切りあう剣の道です。

大学で「保険学」の授業でした。

未だ教授の意図が分からないのですがこのようなお話をされました。

「山岡鉄舟と言う剣の達人に、やくざの清水の次郎長がきいたそうだ。剣の達人になるにはどうしたら良いか」

答えて曰く「強いものとは闘わないことだ」

ふ~んと聞いていました。なんで保険と関係あったのだろうか?

宮本武蔵という剣豪は、百戦錬磨で負けることがなかったと言われています。なぜでしょうか?

それも強い勝てない相手とは闘わなかったからだそうです。

でもまだ剣も抜かない相手と対峙する前に、どのようにして強いか弱いか判断できるのでしょうか。

それは呼吸法です。いかに呼吸が深いか否かにかかるのです。

息をしている時は力は入りません。

吸気してるときは全く力は入れられません。吐いている時はまだ良い方ですが、吐き切った時が大きな力が出るはずです。

落合選手がバターボックスに入ると、深呼吸をしていますね。

息を十分に吐いて構えてボールを待っています。

やっているのは剣の達人と同じです。

もし剣を構えながらいつ切り込むかと言う時に、自分が息を吐き切る寸前なのに、相手がまだ息を吐きつづけていたら切り合う前に逃げ出すのが良いと言う分けです。

もっとも呼吸法を普段から行っていれば気の達人でもあるわけで、剣を抜く前に相手の気配も十分に感じられるはずとも言えます。

私が行っている韓国の鍼、高麗手指鍼では手のひらに鍼を刺して治療します。

私の研究だと手のひらには体や、内臓脳神経のツボも見つけることが出来ます。

更に進化論を入れれば、それぞれのツボが3つも見いだせるのです。

手のひらは体であり脳でもあるわけです。

さて、皆さんは神社に行くと柏手を打ちますね。なぜですか?

神様はいつもお社の後ろの方でお休みになっているので、柏手を打ってお呼びするのだと聞いたことはありませんか?

お寺ではなぜ柏手は打たないのですか。この答えはネットでお調べください。

パンパンと柏手を打てば、手のひらに刺激を与えます。

身体全体、脳全体に刺激を与え気がめぐって活性化することになります。

単なる作法や儀式として行っていたことに意味や説明がつかないわけはありません。

「道・ドウ」と名の付くもので、精神性が秘められた物には、必ず説明がつかない納得できずただ儀として行われている所作、動きがあります。

なんでかな?

と感じた時には「気」という観点からこれらを見なおすと、新たな発見や真に納得できたりするものです。

神社って災害で流されて無くなったなんて聞いたことありますか?

昔から続いているお寺は焼失しても、災害にあったなんて覚えはありません。

どうしてでしょうか?

サポート頂いたら最先端の医学雑誌と、最先端の進化論本を購入し難病治療研究に役立てる予定です。