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人生最終盤を社会でどう支えるかを考えたい。死に関すること、介護のことなどをテーマにした文書をまとめます。
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#ACP

人生会議とは何か? 関係性の再認識ととらえ直し 人生を充実させるための機会に

立教大学社会デザイン研究所で私が主宰している勉強会で、「人生会議とは何か」をテーマに対話した(議論でも会話でもなく対話)。ファシリテーターはライフ・ターミナル・ネットワーク代表の金子稚子さん。写真はそのさいのホワイトボード(一部加工)。なかなか話の展開が面白かったのだが、あらためて感じたのは、つまるところ「人生会議」とは関係性の再確認やとらえ直しではないかということだった。そこを基軸として以下、出てきた話などをもとに思ったことを少し。話題を思い出しながらなので、文章の流れに少

「看仏連携」看護とお寺の出会い 人生最終盤から死後までの連携を

大阪・大蓮寺で1月18日、「看仏連携」という催しが開かれた。副題は「あなたの街のお寺が<人生会議>の舞台となるために」「<看護と仏教>地域包括ケア寺院の可能性を考える」だ。人生の最終盤を支える看護師と、ともすると死後のことだけ顔を出すと思われている僧侶が連携、協働することの意義、実際にどうするかを考える場だ。全国各地から集う約100人の参加者は僧侶と看護関係者がほぼ半々。4時間以上にわたり熱気あふれるトークが繰り広げられ、これを機に実際の「動き」が広がり始める予感が満ちた。私

この人生会議の広報はやめたほうがいい

何度となく話題にしているACP(人生会議)。厚労省が昨年、11月30日を「いい看取りの日」にしたから、今年は11月になれば広報・告知に力を入れることは当然予想していた。広報のために吉本興業と契約したと聞いたときに、少し不安だったのだが、やはり心配が現実となってしまった。厚労省が11月25日に発表した人生会議のポスターをみて、驚いた。死に向き合うことを愚弄しているように感じ、不快感を覚える。 死は死だ。辛い現実を笑いにまぶすことで多くの人に伝えたいという意図は理解する。だが、

ACP(人生会議)への懸念

ACP(人生会議)への期待感を、これまでいろいろと述べたり書いたりしてきた。とはいえ、私は人生会議を盲目的に信奉しているわけでもないし、問題がないなどとはこれっぽっちも思っていない。そこで、まとめて懸念を記しておく。懸念はあるにせよ、最期まで「生き抜く」ための大切なツールにとして活用できる人たちは必ずいると思っているし、そうした懸念材料を減らして、より多くの人たちに役立つことこそが肝要だと思っているからだ。 「空気」による同調圧力 大きくは3つの懸念がある。一つ目は同調圧力

終活から集活へ。「人生会議」への期待もこめて

ここ3、4年ほど、講演会など、事あるごとに口にする言葉がある。「終活から集活へ」だ。 人と集い、語らい、交流し、縁を紡ぐ。それを集活と言っている。終活は大事だが、いま多くの人が関心を寄せる終活には足りない部分があると思っている。そんな私の思いをインタビューしてくれた記事もある。 終末期医療の治療方針をだれが決める? 足りないものは大きく分けて2つ。一つは集活で、もう一つは終末期(人生最終段階)医療の治療方針に関する事だ。実は2つは密接不可分、表裏一体だと思うので、後者につ