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ライフエンディングサポート

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人生最終盤を社会でどう支えるかを考えたい。死に関すること、介護のことなどをテーマにした文書をまとめます。
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#ライフエンディング

「家族に頼れない私」自治体が支えるエンディング

(*この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年5月10日の記事です) 一人暮らしなどで家族に頼れない高齢者が増え、入院する際の身元保証や葬儀、納骨や死後事務などをサポートする事業が広がっていることを前回「最期まで安心できる『おひとりさま』の身支度とは」で紹介した。今回は、市民の「終活」を自治体が支援する、新たなサポートの形を紹介する。神奈川県横須賀市が2018年5月に始めた「終活情報登録伝達事業」(通称「わたしの終活登録」)だ。墓の所在地や遺言書の

最期まで安心できる「おひとりさま」の身支度とは

(*この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年4月24日の記事です) 入院時や施設に入るとき、身元保証人を求められる場合がある。あなたには頼める人はいるだろうか。また、自身が亡くなったあとのさまざまな死後事務手続きや遺品整理などを、託すことができる人はいるだろうか――。こうした身元保証や死後に必要な手続きは、以前は家族がすることが当然と考えられていた。しかし、「おひとりさま」高齢者らの増加を背景に、それらを請け負う事業が広がりをみせている。「生前契

1%を遺贈寄付に 地方のお金は地方で 老老相続から社会還流を

9月5日から14日まで、日本で初めて「遺贈寄付ウィーク」が開かれる。遺贈寄付の普及をはかるために、様々なイベントやキャンペーンが行われる。英国や米国など多くの国々では2009年から、9月13日の「国際遺贈寄付の日(International Legacy Giving Day)」の前後に遺贈寄付の普及啓発キャンペーンが行われてきた。日本も遅ればせながらその波に乗るのだが、これが「ステップイヤー」になるのではないかと私は考える。そして、次の「ジャンプ」のためには「1% for

8月15日に遺言を書いた 死者の声を意識する

初めて遺言を書いた。深刻な意味ではない。7月に自筆証書遺言の法務局保管制度が始まったのを機に、自分でも実際に制度を経験しておきたいと思ったのだ。ただ、8月15日を作成日に選んだのは、それにふさわしい日のように感じたからだ。死者を意識し、無数の死者の連なりの末に今があり、自分がいること。自分もまたその連なりの中にいつか入っていくこと。敗戦から75年の節目の日に、そんなことを考えながら自身の死に向き合ってみたいと思った。 実際に書く作業自体は半日ですんだ。法務省のHPで作成の注

コロナ時代の日常と非日常の境界

新型コロナウイルスの緊急事態宣言下で、「日常」と「非日常」について考えた。いくつかの論点が浮かんだ。そもそも日常と非日常の境界線とは何か。その境界線こそが、かなり長期にわたるであろうコロナ禍においては、「リスク」を社会がどう判断するかという議論と不可分なのではないか。また、歴史的な長期的な視点でみれば、私たちがbeforeコロナ時代に過ごしていた日常とは、実は非日常ではなかったのか、ということだ。 長期にわたる災禍は非日常を日常とするいまが、beforeコロナ時代の日常とは

新型コロナが迫る覚悟 いまこそ「人生会議」

新型コロナウイルスの感染者が急増し、人工呼吸器や病院のベッドなど医療資源の不足が懸念されるようになってきた。それに伴い、私たち一人一人に「覚悟」が求められる場面も起こりうるだろう。そんなことを改めて考えさせられたのが、1日の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の記者会見だった。自分が患者になったとき、たとえば人工呼吸器の装着をどうするか、家族や身近な人と話し合って心の備えをしておいてほしいという趣旨の発言があった。現実は差し迫っている。いまこそまさに「人生会議」(アドバ

引き算の生き方とは 「方丈記」にみる安心感・充足感

「with&afterコロナ」の時代には「引き算の生き方」が求められると、一昨日、記した。「引き算」にはマイナスのイメージがあるが、そんなことはない。ひとことで言えば、際限のない物質的な充足や社会的地位向上には重きを置かない、生きる価値の中心点を置かない生き方のことだ。それは、いまさらかもしれないが、「方丈記」で鴨長明が記したような満足や安心感が高まった暮らしぶりだと考える。もちろん、自分がそんな悟ったような境地、暮らしをしているかといえば全く違う。マスク販売があると聞けば列

WITH&AFTERコロナ時代 「引き算」の生き方と「祈り」こそ

新型コロナウイルスのパンデミックは、いつかは収束していく。その時、私たちはもう「beforeコロナ」の生き方には戻らないだろう。オンラインによる会話、テレワークの普及といった変化はもちろん、死生観の変化といってもいい、もっと深い、本質的なところで生き方が変容し始めていると考える。「with&afterコロナ時代」には、「引き算」の生き方こそが求められているのではないか。その生き方を支えるのが「祈り」なのではないか。 はかない命 無常いま私たちは日々、感染の恐怖におびえている

人生会議とは何か? 関係性の再認識ととらえ直し 人生を充実させるための機会に

立教大学社会デザイン研究所で私が主宰している勉強会で、「人生会議とは何か」をテーマに対話した(議論でも会話でもなく対話)。ファシリテーターはライフ・ターミナル・ネットワーク代表の金子稚子さん。写真はそのさいのホワイトボード(一部加工)。なかなか話の展開が面白かったのだが、あらためて感じたのは、つまるところ「人生会議」とは関係性の再確認やとらえ直しではないかということだった。そこを基軸として以下、出てきた話などをもとに思ったことを少し。話題を思い出しながらなので、文章の流れに少

「看仏連携」看護とお寺の出会い 人生最終盤から死後までの連携を

大阪・大蓮寺で1月18日、「看仏連携」という催しが開かれた。副題は「あなたの街のお寺が<人生会議>の舞台となるために」「<看護と仏教>地域包括ケア寺院の可能性を考える」だ。人生の最終盤を支える看護師と、ともすると死後のことだけ顔を出すと思われている僧侶が連携、協働することの意義、実際にどうするかを考える場だ。全国各地から集う約100人の参加者は僧侶と看護関係者がほぼ半々。4時間以上にわたり熱気あふれるトークが繰り広げられ、これを機に実際の「動き」が広がり始める予感が満ちた。私