キャッチャーインザライ

p48(キャッチャーインザライ)
そのうちに、僕は、洗面台に座ってるのが飽きちゃってね。二、三フィート後ろに下がってタップダンスをやりだした。理由なんか何もあったわけじゃない、ただ、ふざけてそうしただけのことさ。本当は僕は、タップも何もできやしないんだけど、洗面所は石の床だろう、タップ・ダンスには向くんだな。僕は映画で見た奴の真似を始めた。ミュージカルで見た奴をね。僕は映画は大嫌いなんだけど、真似をするのは面白いんだな。ストラドレーターの奴は、ひげを剃りながら、鏡の中の僕の姿をじっと見てやがったよ。僕はまた、観客さえあれば何にもいらない男なんだな。なにしろ自己顕示屋なんだよ、僕は。「おれは知事のせがれでね」と、僕は言った、だんだん調子に乗ってきちゃってさ。むやみやたらとタップをふみながらだぜ。「おやじがタップ・ダンサーにならしちゃくれねえんだな。オックスフォードへ行けって言いやがる。しかし、おれの血の中に入っちまってんだな、タップ・ダンスがさ」ストラドレーターのやつは笑ったね。あいつ、ユーモアのセンスはそう悪くないんだ。

p176 (ハプワース)
あの議員と、ミスター・ハッピーの胸が悪くなるへつらいかたに腹を立てて、お腹のかわいい赤ちゃんが悪い影響を受けないようにくれぐれも注意してくださいって。本当にあの二人がくだらないことを話しているところは不愉快だった。ミセス・ハッピーは心から同意してくれた。その日、そのあとで、ぼくは彼女のために、嫌だったけどミスター・ハッピーのたっての頼みをきいて、夕食がすむと、バディとバンガローにいって、お客である、あの嫌な議員のために何曲か歌をうたったりした。だけどぼくは、腐敗臭の漂う場所にバディを連れて行く権利なんてなかった。だから心ひそかに、神様にぼくを罰してくださいと祈っている。出過ぎた真似をしたと思う。賢い弟に相談もしないで軽はずみに受けたりしちゃいけなかったんだ。ただ、招待を受けたあとふたりで相談して、タップシューズを履かないでいくことにした。ところが、これが大間違いで、ただの気休めに過ぎない事がわかった。その晩、場が盛り上がって、ぼくたちはソフトシュータップをすることになったんだ!皮肉なことに、僕たちのタップは最高の出来だった。それはミセス・ハッピーがアコーディオンを弾いてくれたからだ。美人で才能のない人が、アコーディオンで下手な伴奏をしてくれたら、そうならざるを得ない。ぼくとバディはすごく感動して、すごく楽しくなった。ぼくたちはまだ幼いけど、美人で才能のない人のためとなると、突っ込みどころ満載の、ひょうきんな引き立て役になってしまう。こういうところは直そうと思う。まったく、かなり大きな問題だよね。

p228 (ゾーイー)
これからウェーカーといっしょに舞台に出るってときに、シーモアが靴を磨いてゆけと言ったんだよ。僕は怒っちゃってね。スタジオの観客なんかみんな低能だ、アナウンサーも低能だし、スポンサーも低能だ、だからそんなののために靴を磨くことなんかないって、僕はシーモアに言ったんだ。どっちみち、あそこに坐ってるんだから、靴なんかみんなから見えやしないってね。シーモアはとにかく磨いてゆけって言うんだな。『太っちょのオバサマ』のために磨いてゆけって言うんだよ。彼が何を言ってるんだか僕にはわからなかった。けど、いかにもシーモア風の表情を浮かべてたもんだからね、僕も言われた通りにしたんだよ。

p131(キャッチャーインザライ)
オーバーをあずけることもできないほどこんでたけど、でもずいぶん静かだった。それはちょうどアーニーがピアノを弾いてたからなんだ。彼がピアノに向かったら、これはもう、何か神聖なものということになってたんだな。これほどうまい人間は他にいないんだから。僕のほかにも、テーブルがあくのを待ってる2人連れが三組ばかしいたけど、こいつらはみんな、アーニーの演奏してるとこを見ようとして、押しこくったり爪立ちしたりしてるんだ。アーニーの奴、ピアノの前にでっかい鏡を備えつけてね、自分にでっかいスポットライトをあてさして、演奏してる自分の顔が誰にでも見えるようにしてやがったな。でも、演奏してる指は見えないんだ-でっかい年とった顔だけなんだ。たいしたもんさ。僕が入って行ったとき弾いてたのが、なんていう名前の歌か、よくは知らないけど、しかし、なんという歌にしろ、彼がそれをすっかりいやったらしいものにしていたことには間違いない。高音を弾く時に、自慢たらしく漣みたいなバカな音を入れたり、その他にも、聞いててイライラしてくるような曲芸めいた弾き方をいろいろとやってみせるんだ。でも、弾き終わったときの聴衆の騒ぎは聞かせたかったよ。君ならきっとヘドを吐いたろう。まるで気違いなんだ。映画を見ながらおかしくもないとこでハイエナみたいに笑う低能がいるけど、あれと全く同じだったね。神に誓っていうけど、仮に僕がピアノ弾きか俳優かなんかであったとして、あんな間抜けどもからすばらしいなんて思われるんだったら、むしろいやでたまんないだろうと思うね。拍手されるのだっていやだろうよ。拍手ってのは、いつだって、的外れなものに送られるんだ。僕がピアノ弾きならいっそ押し入れの中で弾くな。ま、それはとにかく、アーニーの演奏が終わって、みんなが頭がすっとぶほどの勢いで喝采すると、アーニーの奴、回転椅子に坐ったまんま、くるりとこっちを向いて、いかにもつつましやかにインチキきわまるおじぎをしやがった。まるで彼が、すばらしいピアノ弾きであるばかりでなく、非常につつましい人間ででもあるみたいにね。あんなのすごいインチキなんだ-あいつは、本当は、たいへんなキドリ屋なんだから。でも、おかしな話だけど、僕は、演奏が終わったとき、アーニーが少し気の毒になったんだな。あいつは、自分の演奏がそれでいいのかどうかも、もうわかんなくなってんじゃないかと思うんだ。それは彼だけの罪じゃないんだな。一部分は、頭がすっとぶほどに喝采するああいう間抜けどもの責任でもあるんだ-あいつらは、機会さえ与えられれば、誰をだってだめにしちまうんだから。とにかく、おかげで僕はまた気が滅入って、いやな気分になっちまった。

p135 (キャッチャーインザライ)
「お兄さんどうしてて?」ほんとはそいつがききたかったにきまってるんだ。
「元気ですよ。ハリウッドにいます」
「ハリウッドですって?すてきだわ!何してらっしゃるの?」
「さあね。なんか書いてますよ」と、僕は言った。僕はその話はしたくなかったんだ。兄貴がハリウッドにいるというだけで、彼女がそれをたいしたことのように思ってるのが見え見えなんだよ。ほとんどの人がそうなのさ。たいてい兄貴の小説なんか読んだこともない人たちだけどね。でも、僕にはそれが頭に来ちゃうんだな。

p191、192 (ハプワース)
正直に暗い側面をざっと書いてきたけど、残念ながら、もう一つ書かなきゃいけないことがある。もし父さんと母さんがまだホテルのロビーに遊びにいってないなら、いっておきたい。ふたりの子供はかなりの高い確率で、本来自分の責任ではない痛みを経験するという、残酷な資質を授かっているんだ。ときには、見ず知らずの人の代わりにそういう目にあうこともある。相手はたいがいカリフォルニアかルイジアナの怠け者で、会ったこともしゃべったこともない人間。ここにいないバディに代って、ぼくからもいっておくけど、ぼくたちは自分たちの機会を利用して義務を全うするまでは、現在のこの興味深く滑稽な体のあちこちに小さな傷を負わないわけにはいかない。残念なことに、この痛みの半分はそれを避けている人や、それをどう扱っていいかよくわかっていない人が負うべきものなんだ!だけど、母さん、父さんにいっておくけど、ぼくたちが機械を利用して義務を全うするときは、良心に恥じることなく、ちょっとした気分転換の気持ちでこの世を去ると思う。それまで感じたことのない気分でね。もうひとつ、父さんと母さんの息子バディ-もうすぐ戻ってくると思う-に代っていっておく-名誉にかけていうけど、原因はなんであれ、ぼくたちどちらかが死ぬときには、もう一人が必ずその場にいるはずだ。ぼくの知る限り、間違いない。

p227 (ゾーイー)
「あともう一つ。それでおしまいだ。約束するよ。実はだね、きみ、うちに戻ってきた時に、観客のバカさ加減をわあわあ言ってやっつけたろう。特等席から『幼稚な笑い声』が聞こえてくるってさ。そりゃその通り、もっともなんだ-たしかに憂鬱なことだよ。そうじゃないとはぼくも言ってやしない。しかしだね、そいつはきみには関係のないことなんだな、本当言うと。きみには関係のないことなんだよ、フラニー。俳優の心掛けるべきはただ一つ、ある完璧なものを-他人がそう見るのではなく、自分が完璧だと思うものを-狙うことなんだ。観客のことなんかについて考える権利はきみにはないんだよ、絶対に。とにかく、本当の意味では、ないんだ。分かるだろ、ぼくの言う意味?」

p139 (キャッチャーインザライ)
手袋を手にしっかと持ったぐらいにしてんだけど、腹の中じゃ、こいつの顎に1発くらわすかどうかすべきとこだ-こいつの顎を砕いてやるべきとこだ、なんて思ってんだな。ただ、そいつをやるだけの度胸がないってわけだ。黙ってそこに突っ立って、すごんで見せるのが関の山。

p70《対エスキモー戦争の前夜》
「しみったれ」という言葉を口にするくらい腹を立ててはいたのだが、ことさらそこに力を入れていうだけの度胸はない。

p204 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは少々身をかがめるだけ労さえ取らず、すなわちこの運チャンのように人には聞かせぬように、あくまで礼節を守ってという配慮すら示さずに、フランス語で彼に言ってやったのだ-彼は粗野で、愚鈍で、横柄な低能であり、わたしがいかに彼を嫌悪するか、とうてい彼には見当もつかないであろう、ということを。

p156 (キャッチャーインザライ)
チャイルズってのはクエーカーでさ、しょっちゅう聖書を読んでいた。とてもいい奴で僕は好きだったんだけど、聖書に書いてあることでは、意見が一致しないとこがいっぱいあるんだ。特に十二使徒についてがそうなんだな。彼は、もし僕が使徒が嫌いだったら、イエスやなんかも嫌いなはずだって、そう言いはるんだ。だって、使徒はイエスが選んだんだから、その使徒も好きになるのが当然だって、そう言うんだよ。僕はこう言ってやった-イエスが使徒を選んだことは知っている。しかし、あれは手当たり次第に選んだんだ。イエスには一人一人を吟味して回るひまがなかったんんだ。だからといって、僕はイエスを責めたりなんかしてんじゃない。ひまがなかったのは何もイエスのせいじゃないんだから。いまでも覚えてるけど、僕はチャイルズに、ユダは自殺をした後で、地獄へ行ったと思うかって訊いたんだ。イエスを裏切ったりなんかしたあのユダさ。チャイルズは、もちろん、と言ったね。そこなんだな、僕が彼と意見の合わないのは。僕は、千ドル賭けてもいいけど、イエスは絶対にユダを地獄になんか送らない、と言った。今でも僕は、千ドル賭けるね、もしも千ドルあったらば。あの使徒たちだったら、どの人だって、ユダを地獄に送ったろうと思う-しかも、さっさとさ-しかし、何でも賭けるけど、イエスは絶対にそんなことはしない。

p193 (ゾーイー)
「何をしゃべっても、まるできみの『イエスの祈りを』を突き崩そうとしているように聞こえる。ところが実際はそうじゃないんだ。本当は、きみがその祈りを、なぜ、どこで、どんなふうに使うかという、それに反対してるだけだよ。人生におけるきみの義務、あるいは単なるきみの日常の義務、それを果たす代わりの替え玉として、きみがそれを使ってるんではないということを、ぼくは確信したいんだ−確信したくてたまらないんだ。だがもっとひどいことを言うと、君が理解してもいないイエスに向かって、どうして祈ることができるのか、ぼくには分からないんだよ−神に誓って分からんな。しかし、本当に許し難いと思うのはだね、きみもぼくとおなじくらいの分量の宗教哲学を漏斗で注ぎ込むようにして食わされてきた身であってみれば−本当に許し難く思うのは、きみがイエスを理解しようとしない点だよ。もしきみが、あの巡礼のように非常に素朴な人間であるか、あるいはまったくすてばちな人間であるのなら、あるいは弁明の余地があるかもしれない−しかしきみは素朴な人間じゃない。それにそんなにすてばちな人間でもない」そのとき、先ほど寝転んでから初めて、ゾーイーは、目は依然として閉じたままで、唇を硬く噛みしめた−それは(実を言うと)と括弧に入れて言うけれど、彼の母親がよくやる格好にそっくりであった。「お願いだから、フラニー」と、彼は言った「もしも「イエスの祈り」を唱えるのなら、それは少なくともイエスに向かって唱えることだ。聖フランシスとシーモアとハイジのじいさんを、みんなひとまとめにまとめたものに向かって唱えたってだめだ。唱えるのなら、イエスを念頭に置いて唱えるんだ?イエスだけを。ありのままのイエスを、きみがこうあってほしかったと思うイエスではなくだ。きみは事実にまっこうから立ち向かうということをしない。最初にきみを心の混乱に陥れたのもやはり、事実にまっこうから立ち向かわないという、この態度だったんだ。そんな態度では、そこから抜け出すこともおそらく出来ない相談だぜ」ゾーイーは、すっかり汗ばんでしまった顔を、いきなり両手で覆うと、ちょっとそのままでいて、それから放して、また手を組み合わせた。そして再び喋りだした。打ちとけて面と向かって言うような口調である「ぼくが当惑する点はだね、本当に当惑しちまうんだけどさ、どうして人が−子供でも、天使でも、あの巡礼のように幸運な単純家でもないのに−新約聖書から感じられるのとは少々違ったイエスというものに祈りを捧げたい気になるのか、そこがわからないことなんだ。いいかい!彼は、ただバイブルの中でいちばん聡明な人間というだけだよ、それだけだよ!誰とくらべったって、彼は一頭地を抜いてるじゃないか。そうだろう?旧約ににも新約にも、学者や、予言者や、使徒たちや、秘蔵息子や、ソロモンや、イザヤや、ダビデや、パウロなど、いっぱいいるけど、事の本質を本当に知ってるのは、イエスの他に一体誰がいる?誰もいやしない。モーゼもだめだ。モーゼなどと言わないでくれよ。彼はいい人だし、自分の神と美しい接触を保っていたし、いろいろあるけれども−しかし、そこがまさに問題なんだな。モーゼは接触を保たなければならなかった。しかし、イエスは神と離れてないというとことを合点してたんだよ」そう言ってゾーイーはぴたりと両手を打ち合わせた−ただ一度だけ、高い音も立てずに、おそらくはわれにもなく打ち合わされた両の手であった。が、その手は、いわば音が出る前に、再び胸の上に組み合わされていた。「ああ、まったくなんという頭なんだろう!」と、彼は言った「たとえば、ピラトから釈明を求められたときに、彼を除いて誰が口をつぐみ続けただろうか?ソロモンではだめだ。ソロモンなどとは言わないでくれ。ソロモンだったら、その場にふさわしい簡潔な言葉をいくつか口にしたんじゃないか。その点では、ソクラテスも口を開かないとは保証できない。クリトンか誰かがなんとかして彼をわきへ引っぱり出して、適切な名言を二言三言記録にとりそうな気がする。しかし、とりわけ、何をさておいても、神の国はわれわれと共にある、われわれの中にある。ただわれわれがあまりにも愚かでセンチメンタルで想像力に欠けるものだから見えないだけだということを、聖書の中の人物でイエス以外に知っていた者があっただろうか?それをちゃんと知ってた者がさ。そういうことを知るには神の子でなければいけないんだよ。どうしてきみはこういうことが思いつかないのかな?ぼくは本気で言ってんだぜ、フラニー、ぼくは真剣なんだ。きみの目にイエスのありのままの姿がその通りに見えていなければだな、きみは『イエスの祈り』の勘所をそっくりそのまま掴みそこなうことになるんだぜ。もしもイエスを理解していなかったら、彼の祈りを理解することもできないだろう−きみの獲得するものは祈りでもなんでもない、組織的に並べられたしかつめらしい言葉の羅列にすぎないよ。イエスはすごく重大な使命を帯びた最高の達人だったんだ。これは聖フランシスなんかと違って、いくつかの歌をものしたり、鳥に向かって説教したり、そのほか、フラニー・グラースの胸にぴったりくるようなかわいらしいことは何一つやってる暇がなかったんだよ。ぼくはいま真剣に言ってんだぜ、チキショウメ。きみはどうしていま言ったようなことを見落とすのかな?神がもし、新約聖書にあるように仕事をするために、聖フランシスのような、終始一貫して人好きのする人格を持った人物を必要としたのだったら、そういう人物を選んだに違いないよ。事実は神の選びえた中でおそらく最もすぐれた、最も頭の切れる、最も慈愛に満ちた、最もセンチメンタルでない、最も人の真似をしない達人を選んだんだ。そういうことを見落としたら、断言してもいいけれど、きみは『イエスの祈り』の要点をきれいに掴み落としてることになる。『イエスの祈り』の目的は一つあって、ただ一つに限るんだ。それを唱える人にキリストの意識を与えることさ。きみを両腕に掻き抱いて、きみの義務をすべて解除し、きみの薄汚ない憂鬱病とタッパー教授を追い出して二度ともどってこなくしてくれるような、べとついた、ほれぼれするような、神々しい人物と密会する、居心地のよい、いかにも清浄めかした場所を設定するためじゃないんだ。きみにもしそれを見る明があるならば-『ならば』じゃない、きみにはあるんだが−しかもそれを見ることを拒むとすれば、これはきみがその祈りの使い方を誤っていることになる。お人形と聖者とがいっぱいいて、タッパー教授が一人もいない世界、それを求めるために祈ってることになってしまうじゃないか」

p224 (ゾーイー)
「ぼくがどこにいようと、それに何の関係がある?サウス・ダコタ州のピエールだよ。僕の言うことを聴いてくれ、フラニー−ぼくが悪かった、あやまるから怒らんでくれ。そして僕の言うことを聴いてくれよ。あと一つか二つ、ごく簡単なことを言いたいだけだ。そしたらよすよ、それは約束する。しかし、ついでに聞くんだが、きみは知ってたかな、去年の夏、バディとぼくとできみの芝居を見に行ったんだぜ。何日か憶えてないけど、僕たちがきみの『西の国の人気者』を見たこと、知ってるかい?ものすごく暑い夜だった、それだけは間違いない。でも、ぼくたちがあそこに行ってたこと、きみ、知ってた?」
返事をしなければならないような感じである。フラニーは立ち上がったが、すぐまた腰を下ろした。それから灰皿を少し向こうへ押しやった。いかにもそれが邪魔だというふうに。
「いいえ、知らなかったわ」と、彼女は言った「誰も一言も−いいえ、わたし知らなかった」
「そうか、行ってたんだよ。ぼくたち、あそこに行ってたんだ。それからきみに言っとくけどね。あのときのきみはよかった。ぼくがいいって言うのは、口先だけじゃないからね。あのメチャメチャ舞台はきみのおかげでもったんだ。観客の中の陽に焼けた間抜けどもでもみんな、それは分かってたぜ。ところが聞くところによると、きみは芝居を永久にやめたいという−ぼくはいろんなことを聞いてるんだ、いろんなことを。シーズンが終わって帰ってきたとき、きみがやった大演説、あれも僕は憶えている、ああ、フラニー、ぼくは腹が立つよ。こんなこと言っちゃ悪いけど、きみには腹が立つよ。きみは俳優の世界は欲得ずくの奴らはダイコンだらけという、刮目すべき大発見をしたね。ぼくの憶えてるとこでは、きみは、結婚式場の案内者が天才ぞろいでないからといって参っちゃった誰かにそっくりだぜ。一体どうしちゃったんだよ、きみは?きみの頭はどこについてるんだ?きみの受けたのが畸形な教育だったら、せめてそれを使ったらいいじゃないか、使ったら。そりゃきみには、今から最後の審判の日まで『イエスの祈り』を唱えていることもできるだろう。しかし、信仰生活でたった一つ大事なのは『離れていること』だということが呑みこめなくては、一インチたりとも動くことができないんじゃないか。『離れていること』だよ、きみ、『離れていること』だけなんだ。欲望を絶つこと『一切の渇望からの離脱』だよ。本当のことを言うと、そもそも俳優というものを作るのは、この欲求ということだろう。どうしてきみはすでに自分で知ってることをぼくの口から言わせるんだい?きみは人生のどこかで−何かの化身を通じて、と言ってもいいよ−単なる俳優というだけでなく、優れた俳優になりたいという願望を持った。ところが今はそいつに閉口してる。自分の欲望を見捨てるわけにはいかないだろう。因果応報だよ、きみ、因果応報。きみとして今できるたった一つのこと、たった一つの宗教的なこと、それは芝居をやることさ。神のために芝居をやれよ、やりたいなら−神の女優になれよ、なりたいなら。これ以上きれいなことってあるかね?少なくともやってみることはできるよ、やりたければ−やってみていけないことは全然ないよ」

p229 (ゾーイー)
「ぼくはね、俳優がどこで芝居しようと、かまわんのだ。夏の巡回劇場でもいいし、ラジオでもいいし、テレビでもいいし、栄養が満ち足りて、最高に日に焼けて、流行の粋をこらして観客ぞろいのブロードウェイの劇場でもいいよ。しかし、きみにすごい秘密を一つあかしてやろう−きみ、僕の言うこと聴いてんのか?そこにはね『太っちょオバサマ』でない人間は一人もおらんのだ。その中にはタッパー教授も入るんだよ、きみ。それから何十何百っていう彼の兄弟もそっくり。シーモアの『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もどこにもおらんのだ。それがきみには分からんかね?この秘密がまだきみには分からんのか?それから−よく聴いてくれよ−この『太っちょのオバサマ』というのは本当は誰なのか、そいつがきみに分からんだろうか?……ああ、きみ、フラニーよ、それはキリストなんだ。キリストその人にほかならないんだよ、きみ」

p169 (キャッチャーインザライ)
前にこんなことがあったんだ。エルクトン・ヒルズに行ってたときだけど、ディッグ・スラグルっていう同室の子が、ひどく安っぽいスーツケースを持ってたんだ。奴は、そいつを棚の上に置かないで、いつもベッドの下に押し込んでたんだな。僕のと並んでるとこを人に見られたくないわけさ。おかげで僕はすごく憂鬱な気持ちになっちゃってね、僕のを投げ捨てちまうか、さもなきゃそいつのと交換しようかと、終始思ったもんだ。僕のはマーク・クロスの製品で、本物の牛革やなんかでできてるんだ。ずいぶん高いだろうと思うよ。ところがおかしなことがあったんだ。どういうことかといつとだね、しまいに僕は、僕の旅行カバンを棚からおろして、僕のベッドの下に押し込んだわけさ。そうすれば、スラグルの奴が、つまんない劣等感なんか感じなくてすむと思ってね。ところが奴はどうしたと思う?僕が自分のを僕のベッドの下に押し込んだ翌日、奴はそれを引きずり出して、また棚の上に戻したんだ。なぜ彼がそんなことをしたのか、しばらく僕には見当もつかなかったけど、それはつまり、僕のをあいつのだと人に思わせたかったからなんだな。ほんとなんだ。そんなふうに、実におかしな奴だったよ、彼は。たとえばだね、僕の旅行カバンのことで、しょっちゅういやみったらしいことをいうんだな。新しすぎるし、第一、ブルジョワくさいって言うんだ。このブルジョワってのが彼愛用の言葉なんだ。どっかで読むか聞くかしたのさ。僕の持ってるものは、なんでもすごくブルジョワくさいんだ。僕の万年筆までブルジョワくさいんだよ。しょっちゅう僕から借りるくせして、それでもやっぱりブルジョワくさいんだな。いっしょに部屋にいたのは、たったの二か月ばかしで、それから両方ともが部屋をかえてくれって学校に頼んだんだ。ところが、おかしいじゃないか、部屋が変わってみると、そいつがいないのがなんとなく寂しいんだな。そいつは実にユーモアのセンスのある男でね、いっしょにいて楽しかったことが何度もあったからなんだ。向こうだって、おそらく、同じだったんじゃないのかな。僕の持ち物がブルジョワくさいと言ってたのも、はじめのうちは冗談にそう言ってからかってただけなんだし、僕もぜんぜん気にしてなかったんだ-事実、なんとなくおもしろかったからね。ところが、しばらくたつうちに、それが冗談でなくなってきた。実際、自分のスーツケースよりもはるかに悪いスーツケースを持った奴と同室になってみたまえ、なかなかやりにくいもんだぜ−こっちのが本当に優秀で、相手のがそうでない場合にだよ。もしそれが頭のいい奴で-それがって、相手がだよ−頭のいい奴だったりして、ユーモアのセンスのある奴だったならば、どっちのスーツケースがよかろうと、そんなこと気にするはずはないと思うだろう。ところがそうじゃないんだな。ほんとなんだ。僕があんなストラドレーターみたいな馬鹿な野郎と同日になったのは、一つにはそこにわけがあったんだ。少なくともあいつのスーツケースは僕のと同じくらい優秀な奴だったんだから。

(キャッチャーインザライ〈夏休みの課題〉)
「人生は競技、ゲームだとも。坊や。たしかに人生は、誰しもがルールに従ってやらなければならない競技、ゲームなんだ」「そりゃ…そうですね、はあ、そうです。分かってます。人生は競技、ゲームだ、とかなんとか。だから、ルールに従ってやらなければいけない、とかですね。」
競技(ゲーム)だってさ。ゲーム(競技)ときたね。クソくらえ。まったく対したゲーム(競技)だよ。もし君が強い、優秀な奴ばっかり揃ったチームに属していたとしたら、そりゃたしかにゲーム(競技)でいいだろうさ。そいつは認めるよ。でももし君がそうじゃない方、つまり強い、優秀な奴なんて1人もいない相手方のチームについてたらどうなるんだ。そのときは競技(ゲーム)どころじゃないだろう。とんでもない。お話にもならないよね。ゲームもクソもあるもんか。(競技でなんかあるもんか。)

p173、174 (キャッチャーインザライ)
「そうですね、ぼくはロミオにもジュリエットにもそんなに心を惹かれないんです」と僕は言った。「そりゃ好きは好きですけど-なんていうかな。ときどき、あのふたりにいらいらしちゃうんですね。つまり、ロミオやジュリエットが自殺するとこよりも、マキューシオが殺されるとこの方がずっと気の毒な感じがしたんです。本当を言うと、マキューシオがあのもう一人の男に刺されてからのロミオには、僕はどうも好感が持てなかったな、あの男-ジュリエットのいとこの-なんていいましたっけ?」
「ティボルトでしょう」
「そう、そう。ティボルト」と、僕は言った-僕はいつでもあいつの名前を忘れちまうんだ。「あれはロミオの責任ですよ。つまり、僕は、あの芝居の中で、彼が1番好きだったんです、あのマキューシオが。どう言うかなあ。モンタギュウ家やキャピュレット家の連中は、あれはあれでいいですよ−ことにジュリエットはね−しかし、マキューシオは、あれは−どうも説明しにくいな。あの男は実に頭がよくて、愉快で−。実を言いますとね、僕は人が殺されたりすると、頭に来ちゃうんです−ことに頭がよくて愉快で、といった人がですね−しかも、自分のせいじゃなく、他人のせいで殺されたりしますとね。ロミオとジュリエットが死ぬのは、あれは、少なくとも自分たちのせいですから」

p191、192 (ハプワース)
正直に暗い側面をざっと書いてきたけど、残念ながら、もう一つ書かなきゃいけないことがある。もし父さんと母さんがまだホテルのロビーに遊びにいってないなら、いっておきたい。ふたりの子供はかなりの高い確率で、本来自分の責任ではない痛みを経験するという、残酷な資質を授かっているんだ。ときには、見ず知らずの人の代わりにそういう目にあうこともある。相手はたいがいカリフォルニアかルイジアナの怠け者で、会ったこともしゃべったこともない人間。ここにいないバディに代って、ぼくからもいっておくけど、ぼくたちは自分たちの機会を利用して義務を全うするまでは、現在のこの興味深く滑稽な体のあちこちに小さな傷を負わないわけにはいかない。残念なことに、この痛みの半分はそれを避けている人や、それをどう扱っていいかよくわかっていない人が負うべきものなんだ!だけど、母さん、父さんにいっておくけど、ぼくたちが機械を利用して義務を全うするときは、良心に恥じることなく、ちょっとした気分転換の気持ちでこの世を去ると思う。それまで感じたことのない気分でね。もうひとつ、父さんと母さんの息子バディ-もうすぐ戻ってくると思う-に代っていっておく-名誉にかけていうけど、原因はなんであれ、ぼくたちどちらかが死ぬときには、もう一人が必ずその場にいるはずだ。ぼくの知る限り、間違いない。

p248 (キャッチャーインザライ)
僕はD・Bの机の上に腰を下ろすと、その上にのっかってる物を眺め回した。大部分はフィービーのもので、学校やなんかに関係した物ばかしだった。たいていは本だけどね。1番上のには「楽しい算数」と書いてあった。僕は1ページ目をちょっとあけてのぞいてみた。するとそこにはフィービーの字でこう書いてあった-

4B−1
フィービー・ウェザフィールド・コールフィールド

これには僕もまいったね。彼女の真ん中の名前はジョゼフィンで、ウェザフィールドなんかじゃないんだ。ところが彼女、このジョゼフィンてのがきらいなんだよ。僕が見るたんびに、新しい名前を考え出して、この真ん中のとこを付けかえてんだ。

算数の下は地理の本で、地理の下は綴り字の本だった。フィービーは綴り字が得意なんだ。どの学課もよくできるんだけど、中でも綴り字が1番得意なんだ。それから、その綴り字の教科書の下にはノート・ブックが積み重ねてあった。フィービーはノート・ブックを五千冊ばかしも持ってんだ。あんなにたくさんノート・ブックを持ってる子供なんて見たことないだろうと思うよ。僕は1番上になってた奴を開いて、1ページ目をのぞいてみた。そこにはこう書いてあったね-

バーニス、休み時間に会いに来てね
だいじなだいじなお話があるんだから

そのページにはそれだけしか書いてない。次のページにはこう書いてあった。

なぜアラスカ東南部にはあんなに缶詰工場
が多いか?
鮭がたくさんとれるから。
なぜりっぱな森林があるか?
気候が適しているから。
わが国の政府はアラスカ・エスキモーの生活をらくにするためにどんなことをしてやったか?
明日調べること!!!
フィービー・ウェザフィールド・コールフィールド フィービー・ウェザフィールド・コールフィールド フィービー・ウェザフィールド・コールフィールド フィービー・W・コールフィールド フィービー・ウェザフィールド・コールフィールド殿
シャーリーへ回してちょうだい!!!

シャーリーあなた射手座だと言った
けどただの牡牛座じゃないのうちへ
いらっしゃるときあなたのスケートを持って来てね

僕はD・Bの机に腰をかけたまま、そのノート・ブックを始めからしまいまで読んだ。たいして時間はかからなかったけど、こんなものなら僕は、フィービーのでも誰のでも、子供のノート・ブックだったら、1日じゅう、夜までぶっ通してだって読んでいられるんだ。子供のノート・ブックって奴には弱いんだよ。それから僕は、また一本煙草に火をつけた-それが最後の一本だった。

p200〜205 (ゾーイー)
それから、部屋そのものはろくに見まわしもしないで、いきなりくるりと振り向くと、ドアの裏側に断固として釘付けにされた、一枚の、かつては雪のように白かったビーバーボードに、おもむろに向かい合って立った。それは、縦も横も、ほとんどドア全体を蔽うほどの巨大な代物であった。その白さといい、なめらかさといい、広さといい、かつては墨と筆とを求めて泣き叫んでいたであろうことは、誰の目にも明らかだった。とすれば、その哀訴は無駄でなかったことになる。ビーバーボードの表面には、見渡すかぎり、世界各国の文献からとってきた文句を4つの欄にわたって書き込んだ、なかなか豪奢な模様の装飾が施されていたからである。文字は細かいげれど、黒々として、所々いささか気取った書体の所もあるが、つとめて読みやすく書かれていて、墨をこぼした跡も消した形跡もない。ビーバーボードの下の端のドアの敷居に近いところですら、仕事ぶりの潔癖さは少しも減じていない。二人の書家は、この辺は、代わる代わる腹這いになって書いたにきまっている。引用の言葉やその原作者を、何らかの種類によっていくつかのカテゴリーかグループに分類しようという試みは行われていなかった。だから、これらの引用文を上から下へ、蘭の順を追って読んでいくのは、洪水の罹災地に建てられた避難民救護者の中を歩くようなもので、たとえば、パスカルとエミリ・ディキンスンとがすまして同じ寝床に入っていたり、いわばボードレールとトマス・ア・ケンピスの歯ブラシが並んでぶら下がっていたりする。
ゾーイーは、文字が読めるくらいの傍近くにたつと、左側の欄のいちばん上から始めて順次下の方へと読み進んでいった。その表情-というよりむしろ無表情-は、駅のプラットフォームに立って、暇つぶしに、広告板に貼られたドクター・ショルの足あての広告を読んでいる人と選ぶところがなかった。

汝は仕事をする権利を持っているが、それは仕事のために仕事をする権利に限られる。仕事の結果に対する権利は持っていない。仕事の結果を求める気持ちを仕事の動機にしてはならぬ。怠情に陥ることも禁じられねばならぬ。
一挙一動、すべて、至尊の上に思いを致して行うべし。結果に対する執着を棄てよ。成功においても失敗にあっても心の平静を保て。〔書家の一人によって「心の平静を保て」という所に下線が引かれている〕ヨガの意味するところはこの心の平静なのである。
結果を顧慮しながら為された仕事は、さような顧慮なく、自己放下の静けさのうちに為された仕事にくらべてはるかに劣る。婆羅門の知識に救いを求めよ。結果を求めて利己的に仕事をする者はみじめである。 

-バガバッド・ギーター-

それはたまたま成ることを愛した。

−マーカス・アウレリウス−

カタツブリ ソロソロノボレ フジノヤマ

−一茶−

神について語るならば、神の存在そのものを否定する人たちがあり、また、神は存在するが、自ら活動することも、他と関係することも、なにかを予見することもないという人たちもいる。第三の人々は、その存在を認め、これに予見の本質も付与するが、それは大きな天界の事柄に対する予見のみであって、地上の事柄には及ばない。第四の人々は、天界の事物のみならず、地上の事柄をも認めるが、各個人にしては認めない。第五は−ユリシーズとソクラテスはこれに属するが−次のように叫ぶ人である。
「わが動きにして汝の知らざるはなし!」

−エピクテタス−

初めて会った一人の男と一人の女とが、東部に向かう汽車の中で話を交わし始めるとき、愛の関心とクライマックスが訪れる。
「ところで、あなた」と、クルート夫人が言った。一人の女というのは彼女なのだ。「グランド・キャニオンはいかがでした?」
「大した洞窟ですな」彼女の介添役は答えた。
「まあ、面白い言い方ですこと!」クルート夫人は答えた「あたしに何か弾いてくださらない?」

−リング・ラードナー(『短編小説作法』)−

神は観念によらず、苦痛と矛盾によって心を教育する。

−ド・コサード−

「パパ!」キティは悲鳴に似た声を上げると、両手で父の口をふさいだ。
「いや、わしは何も…」彼は言った「わしは嬉しいのだ。…ああ、なんて馬鹿なんだろうな、わしは」彼はキティを抱擁し彼女の顔に、手に、それからまた顔に接吻した。それから彼女の頭上で十字を切った。
この男に対してこれまでは感じたことのない新しい愛情が、レーヴィンの身体を包んだ。そのとき、キティの父親のたくましい手に、静かに優しく口づけするのが彼の目に映った。

−『アンナ・カレーニナ』−

「主よ、われわれはみんなに、神殿の絵姿や肖像を拝むのは間違いを犯すことだと教えなければなりません」
ラーマクリシュナ−「それがお前たちカルカッタ人たちのくせだ。ものを教え、説教したがる。自分たち自身が貧者なのに、無数の品物を与えようとする。…神は絵姿や肖像を通じて自らが礼拝されていることを知らないと思うのか?礼拝する者は間違いを犯すにしても、神はその者の心のうちを知るとは思わないか?」

−『スリ・ラーマクリシュナの福音』−

「われわれのところに合流しないか?」最近、真夜中も過ぎて既に人影もほとんどなくなったあるコーヒー店で、連れのなかった私をたまたま見かけたある顔見知りが、そう言って私を誘った。「いや、結構だ」と私は答えた。

−カフカ−

民衆と共にある幸福

−カフカ−

聖フランシス・ド・サールの祈り−「そうです、父よ!そうです、常に、その通りです!」
ズイガン(瑞巌)は毎日自分に向かって呼びかけた「ズイガンよ」
すると彼は自分に答える「はい」
続いて彼は付け加える「覚めてあれよ」
再び彼は答える「分かりました」
「その後では」と、彼はさらに続ける「他人に騙されるな」
「分かりました、分かりました」と、彼は答える。

−むもんかん(無門関)−

ビーバーボードの文字は何しろ小さかったので、この最後の章句でも上から五分の一ほどの所にしか達していない。ゾーイーは、この欄をあと五分間ほど読み続けても、膝をかがめる必要はなかったろうが、あとは読むのをやめて、おもむろに後ろを向いた。

p266〜271 《テディ》
マカードル一家の4つのデッキ・チェアは前から二つ目の列の中央で、クッションが置かれていつでも坐れるようになっていた。テディはその一つに腰を下ろしたが、意識してかせずにか、両隣が空席になるような位置を彼は選んだ。そして生白いむき出しの脚をのばし、
足掛けに両脚をそろえてのせると、ほとんど同時に右の尻のポケットから安物の小さな手帳を取り出し、取り出したと思う間もなくたちまち注意は手帳一つに吸収されて、彼とその手帳のほかには何もかも-日光も、船客も、船も-一切存在しないかのような様子でページをめくり始めた。
ごく稀に鉛筆で書いた例外もあるにはあったけれど、手帖の文句はほとんどが全部がボールペンで書かれている。書体そのものは昔のパーマー式(訳注オースチン・ノーマン・パーマーの考案になる華麗な書体)ではなくて、昨今アメリカの小学校で教えているブロック体、変に気取ったところがなくて読みやすい。それにしても淀みなく流れる感じが印象的な筆跡であった。そしてそこに書かれている言葉や文章、これは少なくとも機会的に考えた場合、どう見ても子供の手になるものとは思えなかった。
テディは1番最近書いたらしいところをかなりの時間をかけて読んでいた。3ページを少しばかり越えている-

1952年10月27日の日誌
所有者 シオドア・マカードル
Aデッキ412号室

この日記を発見せし者はただちにシオドア・マカードルに返却されたし。応分の謝礼を進呈す。

父の軍隊時代の認識表を探し出し、可能な時にはいつでも身につけられるよう配慮すること。身につけても死にはせぬし、父が喜ぶから。

機械と忍耐力があったらマンデル教授の手紙に返事を書くこと。これ以上誌の本を送らぬように要請すること。とにかく一年間は手元にあるので十分だ。とにかく詩なんてもううんざり。人が浜辺を歩いているところへ椰子の実が落ちてきて運悪く頭に命中する。運悪く頭は真っ二つにに割れちまう。すると男の妻が歌を歌いながら浜辺を歩いてきて、二つに割れた頭を見つけ、誰だか分かって拾い上げる。もちろん妻はひどく悲しんで胸も裂けんばかりに泣く。こういうところがまさに詩のうんざりなゆえんである。仮にその女が二つに割れた頭を拾い上げて、大いに腹を立てながらその頭に「こんな真似は止めて!」と、怒鳴るとしたら。しかし教授に返事を出すときこんなことを書いてはいけない。これは論争を誘発するおそれが多分にあるし、それにマンデル夫人は詩人である。

ニュージャージー州エリザベス市もどこか、スヴェンの住所を確かめること。彼の奥さんに会うのは興味がある。飼犬のリンディも同様。但し、自分で犬を飼うのは嫌だ。

ウォカワラ博士に腎炎の見舞状を書くこと。博士の新しい住所を母に訊くこと。

運動用申板で瞑想ができるかどうか、明朝食事前にためしてみること。但し、失神しないこと。それから食堂であの給仕がまたあの大きなスプーンを落っことしても失神しないこと。父が激怒するから。

明日図書室に本を返しに行ったとき次の語句を調べること-
腎炎
億劫
到来物の馬の口中は見るな
狡猾
三頭政治

図書室の人にもっとやさしくすること。先方からふざけかかってきたときは一般的な話題でかわすこと。

藪から棒にテディは、半ズボンの横のポケットから弾丸型の小さなボールペンをだすと、キャップを取り、椅子の肘掛を使わずに、右の腿を机にして書きだした。

1952年10月28日の日誌
届先及び謝礼については1952年10月26、27日の記載に同じ。

今朝、瞑想の後に次の人々に手紙を書いた。
ウォカワラ博士
マンデル教授
ピート教授
バージェス・ヘーク・ジュニア
ロバータ・ヘーク
サンフォード・ヘーク
ヘークお祖母さん
グレアム氏
ウォルトン教授

父の認識表がどこにあるか、母に訊いてもよいのだが。母はおそらくそんなもの身につけるには及ばぬと言うだろう。父が持って来ていることは分かっている。荷物に入れるのを見たのだから。

ぼくの考えによると人生とは到来物の馬だ。

思うにウォルトン教授が父や母を批判したのは頗る悪趣味である。教授は人を特定の型にはめたがる。それは今日起こるか、またはぼくが16歳になる1958年2月14日に起こる。こんなことは口にするさえ愚劣である。
この最後の記入を終わってからもテディは、まだ先があるような様子で、ボールペンをかまえながらページを見つめていた。

p259(キャッチャーインザライ)
「兄さんは、また、全部の科目にみんな失敗したんでしょう」そう彼女は言った。-とても意地の悪い口調でね。しかしまた、その言い方は、ある意味で少々おかしくもあったな。ときどき、まるで学校の先生みたいな口のききかたをするんだからね。まだちっちゃな子供なのにさ。
「いや、そんなことはない」と、僕は言った。「英語はパスしたよ」そう言ってから僕は、別に何の意味もなしに、フィービーのお尻をつねってやった。横を向いて寝てるもんだから、お尻がこっちに突き出してたんだ。まだお尻なんかないみたいな子供なんだけどさ。

p18 《バナナフィッシュにうってつけの日》
「あれをその人着てるのよ。それが全身ヒップといった感じの人なの。そして、シーモアのことをマジソン街にお店を出してるあのスザンヌ・グラースの親戚かって、何度も何度も訊くのよーあの夫人帽のお店の」

p121,122 《小舟のほとりで》
食堂に通じるスウィング・ドアが開いて、この家の女主人のブーブー・タンネンバウムが台所に入ってきた。二十五歳の小柄でヒップがないみたいな女性で、何色と言えるほどの特色もなければしなやかさもない髪の毛は、ヘア・スタイルなどあらばこそ、ただ耳の後ろに押しこくっているばかり。

p277(キャッチャーインザライ)
「ママはバスルームへ行くし、パパはラジオのニュースなんかを聞くだろう。今が1番いいよ」

p84 (ゾーイー)
台本を読んでいたゾーイーは、突然、母親の声に邪魔された。言ってることは建設的なのに、その実うるさい以外の何物でもない言葉をバスルームの戸の外からかけてきたのである
「ゾーイー?まだ風呂に入ってるの?」
「ああ、まだ風呂に入ってる。どうして?」
「ほんのちょっとだけ、中へ入りたいんだけど。あんたにあげる物があるのよ」
「かあさん、おれ、湯につかってるんだぜ」
「ほんの一分だけよ。シャワーカーテンを引きなさい」ゾーイーは読みかけのページに別れの一瞥を与えると、台本を閉じ、それを浴槽の外へぽとりと落とした。

p97 (ゾーイー)
「あたしはお父さんが何かに正面からぶつかってゆくのを一度だって見たことがない。あの人は、変わったことや不愉快なことがあると、ラジオなんかかけてさ、イカレたのが歌でも歌いだすと、それでもう、そんなことはどっかへ行っちまうとと思ってるのよ」
姿の見えないゾーイーから、大きな爆笑が湧き起こった。それは彼のバカ笑いと聞き分け難いものだったけれど、しかし微妙な違いがあった。
「あら、そうですよ!」グラース夫人はきまじめに言い続けた。そして身を乗り出して「ねえ、あたしの意見を正直に言ってあげましょうか?どう?」
「どうって、べシー、どうせ言わずにはいないんだろう、だから、ぼくが何を言ったって結局は-」
「あたしの見るところじゃね-これ、まじめに言うんですよ-あたしの見るところじゃね、お父さんは、あんたたちがもう一度ラジオに出るのを聞きたがっているんですよ。こりゃ決してふざけて言ってんじゃない」グラース夫人はまた大きく息をついた。「お父さんはね、ラジオのスイッチをひねるたんびに、『これは神童』の番組を出して、あんたたちが、質問に答えるとこを、一人一人、もういっぺん聞いてみたいって、そう思ってるにちがいないのよ」彼女は固く口を結んで言葉を切った。その間を置いたことが無意識の強調になって「あんたたちみんなをよ」と、彼女は続けた。そして、急に少し身体を起こした。「というのは、つまり、シーモアのもウォルトのもっていうこと」彼女は一口大きく煙草を吸った。
「お父さんは過去に生きてるんですよ。まったく過去だけに。テレビだってろくに見やしない、あんたが出るときでなきゃね。笑うのはよしなさいな。おかしくなんかないわ」
「誰も笑ってやしないさ」

p283 (キャッチャーインザライ)
「バッファローから来た女房の友達仲間とさっきまでいっぱいやってたとこなんだ……バッファローから来たというよりバッファロー(野牛)そのものだな、実をいうと」

p83
「どこ出身ですか、軍曹?-腕がぬれてますよ」
また腕を引っこめる「ニューヨークだ」
「ぼくもです!ニューヨークのどこです?」
「マンハッタン。美術館から二ブロック離れたところだ」
「ぼくはヴァレンタイン・アヴェニューに住んでるんです。知ってますか?」
「ブロンクスかい?」
「はずれ!ブロンクスのそばですけど、ブロンクスじゃありません。あそこもマンハッタンなんです」
ブロンクスそばだが、ブロンクスじゃない、か。覚えておこう。

p27 《バナナフィッシュにうってつけの日》
「コネティカット州ホーリーウッドか」と、青年は言った。「ひょっとしたら、そいつはコネティカット州ホーリーウッドの近くじゃないか?」シビルは彼を見やった。「そこがそのまんまあたしの住んでるとこよ」

p51 (最後の休暇の最後の日)
「『リディア・ムア』に出てる男の人?」マティが聞いた。
「いや、リディア本人さ。そのために、ひげはそっちゃったんだ」

ここでキャッチャーインザライの一つの主となる部分を迎えるような気がするんで、分かりやすくするために書き方を変えて番外編としてスペンサー先生とアントリー二先生の比較をしていこうと思うので、彼らにまつわる事を交互に並べて書いてきまンゴ٩( ᐛ )و

・番外編 スペンサー先生VSアントリー二先生

(アントリー二先生)
アントリー二先生というのは、これまでに僕が接した中で一番いい先生だったろうと思う。まだずいぶん若い人なんだ。兄貴のD.Bよりもたいして上じゃないだろう。そして、いっしょに冗談を言い合っても敬意を失わずにすむ人なんだな。前に話した、あのジェームズ・キャスルっていう、窓から飛び降りた子を最後に抱き上げたのはこの人だったんだ。アントリー二先生はジェームズ・キャスルの脈をしらべたりしてたけど、自分の上着を脱いで彼の身体にかぶせると、診療所までずっと抱いて行ったんだ。上着が血だらけになったけど、先生は気にもかけなかった。

(スペンサー先生)
競技場へ降りて試合の応援に行かなかったもう一つの理由は、歴史の担任のスペンサー先生のところにお別れの挨拶に行かなくちゃならなかったからだ。先生は流感にかかっていて、クリスマス休暇に入る前に学校で顔を合わせる機会もなさそうだった。僕がうちへ帰る前に会いたいという手紙を先生からもらっていたのさ。先生は僕がもうペンシーには戻らないであろうことを知っていたんだな。

(アントリー二先生)
アントリー二先生夫妻は、サトン・プレースにある、とてもしゃれたアパートに住んでいた。居間へ行くのに段々を二段おりて行くようになってたり、バーやなんかがついてるんだ。僕は何度も行ったことがある。というのは、僕がエルクトンヒルズをやめてから、先生は、僕がどうしてるかを見に、よくうちへ来て、夕食をいっしょに食べたりしたことがあるからなんだ。その頃の先生はまだ独身だった。それから、先生が結婚してからは、ロング・アイランドのフォレスト・ヒルズにあるウェスト・サイド・テニス・クラブへ出かけて、先生や奥さんと、たびたびテニスをやったんだ。奥さんがここのクラブに入ってたんでね。すごい金持ちなんだよ、この奥さんは。

(スペンサー先生)
そのうちにスペンサー先生の奥さんがドアをあけた。先生のとこには女中やなんかいないんで、ドアはいつも、先生か奥さんかが自分で開けるんだ。あんまり金持ちじゃないからね。

(アントリー二先生)
エレベーター・ボーイの野郎が、やっと連れて上がってくれて、やれやれというとこでベルを鳴らしたら、戸口にはアントリー二先生が出たんだな。バスローブにスリッパという格好で、片手にハイボールを持ってんだよ。

(スペンサー先生)
先生のとこでは、先生と奥さんとめいめいが自分の部屋を持ってるんだ。 スペンサー先生はキッチンの隣に自分の部屋をもっていた。どちらももう60歳かそれより少し上だろう。そして、 70歳くらい、あるいはもっと上かもしれないな。でも、結構あれで人生に楽しみを見つけてるんだな。 ぼけたような状態なのに、楽しそうだ。 もちろん、チンケな楽しみだけどさ。こんなこと言うと、意地悪く聞こえるのは分かっているけど、 それにしても、先生は一体なんのために生きているんだろう、もうすべてが終わっているのに、とおもったりすることがある。意地悪で言ってんじゃないんだ。それは違う。考えすぎだ。先生のこと普通に考えて、考えすぎなければ、先生はしっかりやってることがわかるはずだ。ぼけたような状態で、いつもいろんなことを楽しんでいる。僕もいろんなことを思い切り楽しむことがあるけど、それはほんのたまにだ。ときどき、老人のほうがうまい生き方をしているような気がする。ただ交代したいとは思わない。だって腰はすっかり曲がっちまってるしさ、格好なんてひどいもんだ。 授業中に、黒板になんか書いててチョークを落としたりなんかすると、 いつも前列の子が立っていって、そいつをひろって手渡してやらなきゃならないんだぜ。たまんないと思うんだな、僕ならいやだから。先生の部屋のドアは開いていた。スペンサー先生は寝室の大きな安楽椅子に座っていて、ナバホの毛布にくるまっている。その毛布は奥さんと一緒にイエローストーン公園で、インディアンから買ったんだって。80年くらい大昔に買ったらしい。たぶん、インディアンから毛布を買うって事が刺激的だったんだと思う。 それを買ったのがどんなにうれしかったか、それがこっちにもわかるんだな。 こういうことだよ、僕の言うのは。

(アントリー二先生)
一つには、どちらも理知的なタイプだったからね、特に先生のほうが。ただ、人と会ってるとこでは、理知的というよりむしろ諧謔を弄するほうだったけど、その点ちょっとD.Bに似てるとこがあるんだ。奥さんのほうはきまじめだったな。相当ひどい喘息があってね。二人ともD.Bの小説は全部読んでいて-奥さんのほうもだぜ-D.Bがハリウッドに行ったときなんか、先生が電話をかけてきて、D.Bに行くなと言ったんだ。それでも彼は行ったけどさ。アントリー二先生に言わせると、D.Bのような作品の書ける人間がハリウッドに行ったってしょうがないって言うんだ。まさに僕が言った通りなんだよ、だいたいにおいて。

(スペンサー先生)
D.Bは今ハリウッドに住んでいて、ハリウッドは、このいやったらしいうらぶれた場所からそんなに遠くはないからね。奴さん、だいたいいつも週末になると僕を訪ねに来てくれる。来月あたりうちに戻る時には、 車に一緒にのっけてってくれるってことだ。なにしろジャガーを手に入れたばかりなんだよ。時速200マイルくらいでぶっとばせるような英国車さ。うん、四千ドルくらいはしたんじゃないかな。 兄はなにしろ羽振りがいいんだ。 昔はそうじゃなかったんだけどさ。 うちにいた頃のD Bは当たり前の作家として暮らしていた。 ひょっとして君は名前を耳にしたことがないかもしれないからいちおう説明しておくと、 彼は「秘密の金魚」という短編集を出していて、こいつは掛け値無しの最高の本だったね。中でも一番いいのは「秘密の金魚」っていう短編 で誰にも自分の金魚をどうしても見せたがらない子供のことを書いたものなんだ。どうして誰にも見せないかっていうとさ。その子が自分のお金で買った金魚だからなんだ。これには参ったね。今の彼は 彼って、つまり、D Bだけど今じゃハリウッドに移って、せっせと身売りみたいなことをしている。僕の兄D Bがだよ。僕は、何が嫌いって、映画ぐらい嫌いなものはないんだ。

(アントリー二先生)
フィービーのクリスマスのおこづかいには、手をつけずにすむものなら全然手をつけずにおきたかったから、先生のとこまで歩いて行くべきだったんだけど、外へ出るとへんな気持ちになっちゃってさ。目眩がするみたいなんだな。それで仕方がない、タクシーに乗ったんだ。乗りたくなかったけど、乗ったんだな。そのタクシーを拾うのにさえ、えらい時間がかかったぜ。

(スペンサー先生)
僕は正門のところまでずっとかけていったんだが、そこで立ち止まって一息いれた。念のため言っておくと、僕は息がすぐに切れちまうんだ。まず第一に僕はすごいヘビースモーカーだ。というか、その当時はヘビースモーカーだったんだ。ここに来てからタバコをやめさせられた。もう一つ僕は去年一年だけで6インチも背が伸びた。そのせいか、僕は結核になりかかって、あれこれ検査するってんでこんなとこにきてからに、まあ、とくにどっかが悪いって事じゃないんだけどね。
で息を整えてから202号線を渡り ー 路面が凍ってて、もう少しで脚の骨を折るところだった。それからヘシィ アヴェニューに消えた。ほんとうに消えたんだ。あんな晩、通りを横切ったりしたら、誰だって消えてしまう。嘘じゃない。そのあとはっと気づくと、トムソン ヒルを駆け下りてて、両手にひとつずつ持ったトランクが脚にばんばんぶつかってた。一気に下って、校門の前で立ち止まった。で息を整えるとすぐに204号線をかけて渡った。突っ切った。 バカみたいに寒くって、もう少しで滑っちまうとこだったな。 なんのために駆けたりしたのか、自分でもよくわかんない。たぶん、なんということもなく、駆けたくて駆けたんだろう。国道を向こう側まで渡った時には、このまま消えてなくなるんじゃないかという感じだったな。 つまりそんな感じの 正気の沙汰とは思えないでたらめな 午後だったんだよ。やたら寒くって、太陽なんかもぜんぜん顔を見せてなくて、道路を横切るたんびに、そのまま消えて無くなりそうな感じがしたな。スペンサー先生の家に着いて ー そこにいくのが目的だった。スペンサー先生の家につくが早いか、いきなり呼び鈴を鳴らしたね。本当に体が凍っちまってたんだから。耳は痛むし、指なんか、てんで動きゃしない「早く、早く。誰かドアを開けてくれよ」もう少しで僕は声に出してそう叫ぶとこだった。トランクをポーチに置き、呼び鈴を乱暴にせわしく鳴らすと、手で両耳を覆った。痛かったんだ。そしてドアに向かって話しかけた。「お願いです、お願いです!」ぼくは声をあげた。「開けてください。凍えそうなんです。」そのうちにスペンサー先生の奥さんがドアをあけた。
「ホールデン!」奥さんがいった。「ほんとによく来たわねえ!さあ、入ってちょうだい。まさか、凍死してるんじゃないでしょう?」奥さんは僕が来たのを本当に喜んでたんだと思う。僕に好意を持ってたんだから。少なくとも、僕の見るところでは、好意を持ってたと思うんだ。(僕にはそんな気がしていたということなんだけどさ。)奥さんは素敵な人だ。日曜日のホットチョコレートはかなりひどかったけど、そんなのはどうでもいい。僕はなかにとびこんだ。 「お変わりありませんか?奥さん?」と、僕はいった。「先生はいかがです?」
「凍え死んでない?きっと、ずぶぬれね」先生の奥さんは相手が少し濡れてるくらいじゃダメな人なんだ。からからに乾いているか、ずぶぬれか、どちらかでなくちゃいけない。だけど学校はなんて聞かなかったから、老先生から話は聞いているんだなと思った。そこで玄関にトランクを置いて、帽子を脱ごうとしたんだけど、ろくに指が動かなくて、帽子が掴めない。「こんばんは。先生のインフルエンザはいかがですか?もう治りましたか?」 「オーバーを脱がしてあげましょうね」奥さんはそう言った。先生はどうかってきいた僕の言葉なんか聞こえやしないのさ。少しつんぼなんだよ、奥さん オーバーを玄関の外套かけにかけてもらうと、僕は、手でちょっと髪を撫で上げた。僕は髪をよくクルー カットに刈ってるんで、あんまり櫛を使う必要がないんだな。「お変わりありませんか?奥さん?」もう一度僕はそう言った。ただ、奥さんに聞こえるように、声を大きくしてさ。「元気ですよ、ホールデン」そう言って奥さんは、外套かけの戸を閉めた「あなたこそお変わりなくて?」そう言った奥さんのその口ぶり(口調)から、僕はスペンサー先生が奥さんに僕のおっぽり出されたことを話したんだということを、すぐ感づいたね「元気です」と僕は言った。「先生はいかがですか?もう流感はよろしいですか?」「よろしいですかって!ホールデン、あの人はまるで、完全な さあなんていったらいいんでしょうね、、、とにかくお部屋にいますよ。入ってらっしゃい」

(アントリー二先生)
「お元気ですか、先生?奥さんはいかがです?」
「どっちもゴキゲンだよ。そのオーバーをもらおう」先生は僕のオーバーをぬがせて、その辺へかけてくれた。

(スペンサー先生)
この時の先生は生まれた時にそいつでくるんでもらったんじゃないかって気がするくらい古ぼけた、情けないバスローブを着てやがったんだ「もう完全に元気」って感じにはとてもみえない。たぶん奥さんはそう思いたいんだろう。元気はつらつだと思っていたいんだ。 これでますます気が滅入っちまったのさ。

(アントリー二先生)
「僕はまた、君が生まれたばかりの赤ん坊を抱いて来るのかと思った。宿るに家なし、ってとこでね。まつ毛に雪なんかつけてさ」ときどき先生はすごく気のきいた冗談を言うことがあるんだ。

(スペンサー先生)
「こんちは、先生」「手紙ありがとうございました。でも、手紙がこなくても学校を去る前にくるつもりでした。インフルエンザはいかがです?」「(あーむ)今より具合がよかったら、医者を呼びにやってるところだな」先生はそう言った。先生は自分の言った言葉がおかしくてたまらなくなったらしく、 気違いみたいに笑いだしたんだよ。(大ウケした)いいかげんわらってから、やっと、身体をしゃんと起こすと、 「まあ、座りなさい、きみ(あーむ)」と、いいながらまだ笑っている。

(アントリー二先生)
「そうか、君とペンシーも、とうとう別れたか」先生はそう言った。この先生は、いつも、こんなものの言い方をする人なんだ。時にはそれがとてもおもしろく感じられることもあったけど、ときにはそうでないこともあったな。先生の場合、ちょっとばかし多すぎるんだよ。何も先生のことをウィットがないとかなんとか言ってんじゃないんだ-事実、ウィットはある人なんだから-しかし、「そうか、君とペンシーも、とうとう別れたか」というような言い方をしょっちゅうされたんでは、やはりときには神経に触ることがあるよ。D.Bもときどきこれをやりすぎることがあるんだ。

(スペンサー先生)
「歴史の授業で、わたしがきみを落としたのはきみが何も覚えていなかったからだ。きみは一度も試験勉強をしなければ毎回ある課題の口述も適当だし、授業の予習もしなかった。一度もだ学期中一度でも教科書を開いた事があるかね」二度ほどざっと読みましたと答えた。それは先生の気持ちを傷つけたくなかったからだ。先生は、歴史はほんとうにおもしろいとおもっている。僕はバカだと思われてもかまわないけど、先生の書いた本をろくに読まなかったと思われるのはいやだった。でも先生は聞いてもいないんだな。だいたい、こっちでなんか言っても、あんまり聞かない先生なんだ。 「わたしが歴史で君を落としたのは君が全然なんにも知っていなかったからだよ」「わかってますよ。先生。チェッ、そいつはわかってるんです。先生としちゃ当然ですよ。」「全然何にもだからな」先生はまたそう言った。これをやられると、僕は、頭に来ちゃうんだな。こっちが最初にそうだと言ってるのに、その上におっかぶせて、こんな風に二度言うんだからな。おまけに先生は三度言ったんだ。「それにしても、全然なんにもだよ。学期中に一度でも教科書を開いた事があるかあやしいもんだと思う。どうなんだね?正直に言いたまえ、坊や」「そうですね、二、三度、ざっと目を通しました」僕はそう言った。

(アントリー二先生)
「何がいけなかったんだ?」先生はそう言った。「英語はどうだった?英語をしくじったなんて言おうものなら、さっさと出て行ってもらうからな、この若き作文の天才め」
「そりゃ、英語はちゃんと通りました。でも、たいていは購読だったんです。作文は学期の間にたった二つぐらい書いただけです」と、僕は言った。「でも、《弁論表現》をしくじっちゃって。必修で《弁論表現法》っていう単位があるんですよ。それを落としちゃったんです」
「どうして?」
「さあ、わかりません」僕はその話にあまり立ち入りたくなかった。まだ、なんだか、目まいかなんかするような感じだったし、それに、急にひどい頭痛がしてきたんだ。ほんとなんだよ。しかし先生が興味を感じてるのがはっきりわかったから、少しばかり話すことにしたんだ。「その授業の時には、クラスの全員が一人一人立って何かしゃべらなきゃならないんです。なんでも好きなことでいいんですけどね。そして、その生徒がちょっとでも本題と無関係なことを言うと、できるだけ早く《脱線!》といってどなることになってるんです。これがどうも頭に来ちゃって。《F》でした、僕は」
「どうして?」
「さあ、わかりませんね。その《脱線!》なんていうのが神経に触るんですね。でも、よくわかりません。困ることはですね、僕は、人が脱線するのを聞いてて、ちっとも嫌じゃないんですよ。そのほうがおもしろいと思うんです」
「つまり、人が何か話をしてくれるとき、要点をはずさずに話してもらいたくはない、というんだね?」
「いえ、違います!要点やなんかははずさずに話してもらったほうがいい。でも、あんまり要点をはずさなすぎるのはいやなんです。どうもあやしいな。はじめからしまいまで要点をはずさずに話すっていうのがいやなのかな?《弁論表現》で最高の点数をとった生徒たちは、はじめからしまいまで要点をはずさずにしゃべった連中なんです-その点は僕にも依存はないんですけど、リチャード・キンセラという生徒がいましてね、これはどちらかというと要点をはずすほうだったもんだから、みんなからいつも《脱線!》ってどなられてばかりいたんです。ひどかったですよ。だって、第一そいつはとても気の小さい男だったんです-ほんとに気が小さいんですよ-だから自分の番が来ると、いつも唇が震えてました。教室のずっと後ろのほうに坐ると、ろくに声も聞こえないくらいなんです。でも、唇のふるえがいくらかとまった時には、こいつの話が、僕は他の誰よりも好きでしたね。でも、こいつもこの科目はだいたい落第です。《Dの上》ですもの。しょっちゅう《脱線!》ってどなられてたからなんです。たとえば、彼のおやじさんがヴァーモント州に買った農場の話をしたことがあるんですけど、このときなんか、はじめから終わりまで、《脱線!》ってどなられつづけでした。先生は、ヴィンスン先生というんですけど、彼が、そこの農場やなんかで、どんな動物を飼い、どんな野菜を作ってるのか、そんなことを話さなかったというので、このときは《F》をつけたんですよ。では彼がどうやったのかといいますとね、リチャード・キンセラですよ、はじめはそういう事を話そうとしたんです-それから急に、おふくろさんがおじさんからもらった手紙のことを言いだしたんですよ。そのおじさんが四十二のときに小児麻痺になったとか、副木をあててる格好を見られたくないから、誰にも病院へ見舞いに来させなかったとかいうことをですね。そりゃ農場とはあまり関係がない-それは僕もみとめます-しかし、いい話だったんです。誰でもおじさんの話をする場合はいいもんですね。ことに、父親の農場のことを話しはじめておいてから、急に、おじさんのことにもっと興味をひかれて行くってのは、いいですよ。興奮してしゃべってる奴に向かって、《脱線!》ってどなってばかりいたりするのが、僕には不潔に思えるんです……でもわかりません。うまく説明できないんです」僕はそう言った。説明しようという気もあまりなかったんだ。ひとつには、ひどい頭痛がしてきたしね。それに、先生の奥さんがコーヒーを持って入ってきてくれないだろうかと、待ち遠しい気持ちでもあったんだ。こういうことが僕にはひどくいらいらするんだな-口ではコーヒーが用意できたと言っておきながら、実際にはできてなかったりすることがさ。
「ホールデン……ひとつ、簡単な、多少しかつめらしい、教師根性まる出しの質問をするけどね。全てのものには時と場合がある、とは思わないか?もしも、はじめに父親の農場のことを話だしたのならば、あくまで要旨を貫いて、それから次に、おじさんの副木の話に移る、と、そうやるべきとは思わないかね?もしくはだ、おじさんの副木のことがそんなに興味をそそる題目なのならばだよ、最初からそっちを題目に選ぶべきじゃなかったのかな-農場じゃなくて」
僕は、考えたりなんかする気には、どうもなれなかった。頭は痛いし、気分も悪かったんだ。実をいうと、腹まで少し痛かったんだよ。
「そうですね-そうかもしれない。たぶん、そうでしょう。たぶん、農場ではなく、おじさんのほうを題目に取り上げるべきだったんでしょう、それが一番興味のあることだったらですね。でも、僕が言いたいのはですね、たいていの場合は、たいして興味のないようなことを話だしてみて、はじめて、何に一番興味があるかがわかるってことなんです。これはもう、どうしてもそうなっちゃうことがときどきありますよね。だから、相手の言ってることが、少なくとも、おもしろくはあるんだし、相手がすっかり興奮して話してるんだとしたら、それはそのまま話さしてやるのがほんとうだと僕は思うんです。僕は興奮して話してる人の話って好きなんです。感じがいいですね。先生は、そのヴィンスンっていう先生をご存知ないんだからな。ときどき頭に来ちゃうことがありますよ。その先生もあのクラスの奴らも。しょっちゅう、統一しろ、簡潔にしろって、そればかり言ってるんです。ものによってはそれができないものだってあるでしょう。つまり、人からそう言われたからって、なかなか簡潔にもできないし、統一もできないもいのがあると思うんです。先生はそのヴィンスンっていう人をご存じないからなあ。そりゃ、いろんな知識なんかは持ってるんだけど、あんまり頭のよくない人だってことはすぐわかるんです」

(スペンサー先生)
「きみはいったい、どう考えてるんだ、きみ?」「なんていうか、退学は残念だと思っています。いろんな理由で」ぼくはそういったけど、考えていることを先生に伝えるのはとても無理だと思っていた。トムスン ヒルに立って、ビューラーやジャクソンや自分のことを考えていたと話してもしょうがないだろう。「いまここで、その理由をいくつか説明するのは難しいと思います。でも、今夜、たとえば今夜、僕は荷物をトランクに詰めてスキーブーツも入れました。スキーブーツをみたとき、ここを去っていくのが悲しくなりました。母さんがあちこちのスキー用品店を回って、店員に間抜けな質問をしている姿が思い浮かんだからです。そうして母さんが買ってくれたスキーブーツはぼくの足に合わなかったんです。でも、ぼくは母さんが好きです。本当に好きなんです。僕がここを去るのが悲しいのは、母さんと足に合わないスキーブーツのせいなんです」僕に言えるのはそこまでだった。そろそろ先生の家を出なくちゃいけない時間だったからだ。「ペンシーを去るについて、君は別に、これといった心の呵責は感じないのかね?」「ああ、そりゃいくらか呵責はありますよ。そりゃあります…しかし、そうたいしてありませんね。今のとこは、少なくとも。まだピンと来ないんだと思うんです。僕はなんでもピンと来るまでに時間がかかるんですよ。」「いまに来るようになる(そのうち案ずるようになる)」「学校生活がなつかしくなって、さみしく思うぞ、きみ」いい先生だと思う。本当にそう思う。僕はもっと何か言おうと思った。「そうでもないと思います。いくつかなつかしくなることはあります。列車でペンティまで往復したこととか。食堂車にいって、チキンサンドとコーラを注文して、新刊でどのページもつるつるして真新しい感じの雑誌を五冊読んだこととか。それからトランクに貼ったペンティのステッカーも。あるときそれをみた女の人に、あら、アンドルー ウォーバックを知ってる、ってきかれたことがあるんです。ウォーバックのお母さんでした。先生も、ウォーバック、知ってますよね。すごく嫌な奴です。小さい子の手首をひねってビー玉を取り上げるようなやつです。でも、お母さんは感じのいい人でした。あのお母さんたら、頭が変になって病院に入れられてもおかしくないのに ー 母親ってのはだいたいみんなそうだと思います ー 息子を愛しているんです。思い込みの強そうな目には、あの子はすごい子なのよと書いてありました。ぼくは一時間くらい列車で、ウォーバックのことを話しました。学校では人気者で、みんな何をする時でもまず彼にききにいくとか。ウォーバックのお母さんは大喜びで、おおはしゃぎでした。たぶん、心の底では息子が嫌な奴だということは、なんとなくわかってたんだろうと思います。でも、そんなことはないよといってあげたんです。ぼくは、母親って好きなんです。どうしようもなく好きなんです」ぼくは口をつぐんだ。先生は僕の顔を見て、またうなずきだした。とても深刻な顔をしてね、急に、僕は、先生に対してとても悪いような気がしちゃって、もっと深く話そうという気にはなれなかった。「ねえ、先生僕のことは心配なさらないで下さい」僕はそう行った。「口先だけで言ってんじゃありません。大丈夫ですよ、僕は。いま、一つの時期を通り抜けようとしてるだけなんです。誰だっていろんな時期を通り抜けて行くんじゃありませんか?」 スペンサー先生は僕の言ってることがわかってないらしい。少しくらいはわかってたんだろうけど、先生が言った。「カレッジに行くつもりはないのかね?君?」「ありません。その日その日を生きている感じなんです。」なんだか嘘っぽいけど、自分でも自分が嘘っぽいことを言っているのが分かっていた。ぼくは言いたいことをそれほど言ってはいなかった。 「そうさなあ。そういうものかなあ」こんな答え方をされると、僕は、いやになっちゃうんだな。 いつもそうだ。ぼくはちょっとおかしい。ほんとうにそう思う。 「そうですよ。みんなそうに決まってますよ」僕はそう言った。 ベッドの端に腰掛けてから、ずいぶんたっていた。 チェ、堅えのなんのって、ベッドがさ、もう10分も座ってたら死んじゃったよきっと。先生はベッドの上に何かを放り上げるたんびにしくじってばかりいるし、なさけないバスローブなんか着ちゃってさ、胸は見えるし、そこらじゅう、ベトベトしたヴィックスのノーズドロップの臭いはするし、僕はもう、それ以上そこにぐずぐずしてるわけにはいかなかったんだよ。「いい加減に言ってんじゃないんですよ、先生。どうぞ、僕のことはご心配なく」僕はさっと立ち上がってちょいと先生の肩に手をかけたりなんかしちゃってさ、「いいですね?」と言ったんだな。「そろそろおいとましなきゃならないんです。実は家へ持って帰らなきゃならない道具を、体育館に、いっぱい置いてあるもんですから。列車に乗り遅れると困るのでそろそろ失礼します。先生には感謝しています。ほんとうです。」 「ホットチョコレートを一杯飲んで行ったらどうかね?家内もたぶん ー 」 「はあ、ごちそうになりたいんですが、ほんとうにごちそうになりたいところですけど。やっぱりおいとましなきゃならないんです。この足で体育館に行かなきゃなりませんし。でも、ありがとううございました。ほんとにありがとうございました、先生」それから、僕たちは握手をしたんだな。握手とかなんとか、くだんないことをさ。先生の手は汗でべとついていた。でも、僕は、すごく寂しくなっちゃった。僕は先生に言った。そのうち手紙を書きます。僕のことは心配しないでください、僕なんかのことで落ち込んだりしないでください、ぼくはちょっとおかしいんです。すると先生は、ホットチョコレートを飲んでいきなさい。そんなに時間はかからないから、といった。「いいえ、もう失礼します。どうか、お体、お大事に」「ああ」先生はもう一度ぼくと握手した。「じゃあ、元気でな」部屋を出るとき後ろから先生が何かいったけど、聞き取れなかった。がんばれよ。といったんだろう。ぼくは先生に心から申し訳なく思った。先生の考えていることはよくわかった。

(アントリー二先生)
アントリー二先生は、しばらくの間、なんとも言わなかった。が、立ち上がって氷に塊をとってグラスに入れると、また腰を下ろしたね。しきりと考えてるのがわかるんだな。が、僕は、この話の続きは、今でなく、明日の朝にしてもらいたいものだと、そればかりを願ってた。ところが先生は、いやに熱中してやがんだよ。とかく、こっちの気の進まない時にかぎって、相手は話し合いをしたがるものなんだ。
「よし、わかった。今度は僕の言うことをちょっと聞いてくれ。……君の記憶に残るような言い方をしたいんだが、うまく言えないかもしれないけど、一両日のうちに手紙は書いて送るから、そしたらちゃんとわかるだろう。しかし、とにかくまあ、言ってみよう」先生は、また注意を集中してたけど、そのうちにこう言った。「君がいま墜落の淵に向かって進んでると思うと僕は言ったが、この墜落は特殊な墜落、恐ろしい墜落だと思うんだ。堕ちて行く人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。その人間は、ただ、どこまでも堕ちて行くだけだ。世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境がとうてい与えることのできないものを、捜しもとめようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分の置かれている環境では、捜しているものはとうてい手に入らないと思った人々というべきかもしれない。そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。わかるかい、僕の言うこと?」
「ええ、わかります」
「ほんとか?」
「ほんとです」
先生は立ち上がって、また少しグラスに酒をついだ。それからもう一度腰を下ろした。が、ずいぶん長い間ひとことも話さなかった。
「君をおどかすつもりはないんだがね」先生はそう言った。「しかし、僕には、君が、きわめて愚劣なことのために、なんらかの形で、高貴な死に方をしようとしていることが、はっきりとみえるんだよ」そう言って先生はへんな顔をして僕を見た。「もし僕が君に何かを書いてやったら、きみはていねいにそれを読んでくれるか?そしてそれをしまっておいてくれるか?」
「ええ、もちろん」と、僕は言った。事実また、僕はその通りにやったんだ。そのとき先生が書いてくれた紙を、今でも僕は持ってんだから。

(スペンサー先生)
「君の ー おう ー 答案だがね、そこの、私の箪笥の上にのっている。積み上げてあるのの、一番上だ。すまないが、それをとってくれないか」実にきたないやり方だとおもったけど、僕は立っていって、答案をとるとそれを先生のとこへ持っていった。それよりほかにやりようがないじゃないか。いやですね、そんなことやりたくありませんね、なんて言えないじゃないか。それからまた例のセメントみたいなベッドの端に腰を下ろしたのさ。先生の答案の受け取り方は、科学的な目的のために、伝染病でも扱っているパスツールか誰かみたいだった。チェ、さよならなんか言いに寄るんじゃなかったよ。僕がどんなに後悔したか、想像もつくまいとおもう。「教室では11月の4日(3日)から12月の4日(2日)まで古代エジプト人についての授業だった。」「選べるテーマが全部で25あった選択論文の問題に対して、君は、自分で選んでエジプト人の事を書いている。 どんな事を書いているか、ひとつ、聞かせてやろうか? 」「いえ、けっこうです。」と僕は言ったね。それでもかまわず先生は読みやがった。やめさせることなんて、できたもんじゃない先生は癇癪玉みたいにカッカしてやがったんだから。(先生ってものは、一度こうしようと思ったら、もう止められるもんじゃないからな。ただ、やっちゃうんだから、かなわないよ。)「きみはこう書いた。」
エジプト人は古代民族で北アフリカ(アフリカ北部)のもっとも北に住んでいた古代のコーカサス人種白色人種である。アフリカは周知の通り、東半球最大の大陸のひとつである。古代エジプト人は現代の我々にとって、多くの点で興味深い。また、聖書にもしばしば登場する。聖書には昔のファラオについてのおもしろい逸話がたくさんかかれている。かれらは周知の通り、みんなエジプト人だった。」僕はそこに座って、こういうたわごと(カスみたいなもの)をいちいち聞いてるより仕方なかったんだ。きたないよ、まったく、やりかたが。先生は僕を見上げると「改行」といって続けた。「エジプト人に関して最も興味深いのは、彼らの習慣である。エジプト人はいろんなことをするのに、とても興味深いやり方をしていた。また、彼らの宗教も非常に興味深い。彼らは死者を、非常に特殊な方法で、墓に埋葬した。ファラオは死ぬと、死者の顔を無慮何世紀にもわたって腐敗しないようにするために、防腐処置のしてある特殊な布で顔を包まれた。今日に至るまで、医学者たちはその防腐剤の組成がわかっていない。そのため、われわれは死んで一定の時間がたつと顔が腐るのである。どんな材料を用いて死体を包んだのか、近代科学もなおその秘密を知りたく思うであろう。この興味ある謎は、20世紀の今日もなお、まさに近代科学に対する挑戦である。」先生は答案越しに、また僕を見た。僕は先生の方を見るのをやめた。答案の段落が、終わるたびに、みつめられるのはつらい。「エジプト人の生活の知識の多くは、われわれの毎日の生活に役立っている。」先生はそう言ってからつけ加えた。「 君の論文は ー 論文ということになるんだろうな、これでも ー とにかく、ここでおしまいだ 」皮肉たっぷりな口調で、先生はそう言った。僕はなんだか先生が憎らしくなってきた。こんな年寄りがこんなにも皮肉になるものかと、びっくりするほど皮肉だったな。「ところが君は」と先生はさらに言うんだよ。「答案の一番おしまいのところに、わたしにあてて短い手紙をかいている」「はあ、知ってます」と僕はいったね。大急ぎで(ものすごい早口で)それを言ったが、それは、そいつを先生が読み出さないうちに、やめさせたかったからなんだ。しかし、やめさせることなんて、できたもんじゃない。先生ってものは、一度こうしようと思ったら、もう止められるもんじゃないからな。ただ、やっちゃうんだから、かなわないよ。(先生は癇癪玉、爆竹みたいにカッカしてやがったんだから。)スペンサー先生へ〔奴さん、声を出して読みだした。〕エジプト人について、僕のしってるのはこれだけです。僕にはあまり興味のもてる人たちではなさそうに思います。もっとも先生の講義は非常に興味深いのですけれど。でも、僕を落として下すってもいっこうに構いません。とにかく、英語以外のものはみんな落っこちそうな僕なんですから。敬具そう言ってから、つけ加えた「以上」先生は僕の答案を下ろすと、ベッドの方に投げた。けど、届かなかった。さっきベットに放り投げようとした「アトランティック マンスリー」が落ちたところだ。 僕は立ち上がって答案を「アトランティック マンスリー」の上に置いた。すると先生はいきなり「アトランティック マンスリー」を重くて困るみたいに取り上げて僕の答案の野郎を下におくとまるで、ピンポンかなんかで、僕をさんざんやっつけでもしたみたいな顔をして、こっちを見やがった。こんなチャラッポコを僕に読んで聞かすなんて、僕は先生を絶対に許すまいと思うんだ。もしも先生がそいつを書いたんだったら、僕なら絶対に読んで聞かせたりするもんか ー 嘘じゃない(本当だよ)冗談でいってんじゃない。第一だね、僕がこの手紙をかいたのはだよ、先生がぼくを落っことすのにあんまり寝ざめが悪くないようにと思って、そのためにかいてやっただけなんだからな。

(アントリー二先生)
先生は、部屋の向こう側にある机のとこに歩いて行くと、立ったまま、一枚の紙に何かを書きつけた。それから戻ってきて、その紙を手にしたままで腰を下ろしたんだ。「妙なことだけどね、これは専門の詩人が書いたものじゃないんだ。ウェルヘルム・シュテーケルという精神分析の学者が書いたものなんだ。こう言って-君、聞いてるのか」
「はい、もちろんです」
「こう言ってるんだ『未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある』」先生は身を乗り出して、その紙を僕に手渡したんだ。僕は渡された紙にすぐ目を通したね。それからお礼やなんかを言って、ポケットにおさめたよ。ここまでしてくれるなんて、親切な人でなければできないことさ。実際そうに違いないよ。ただ、困ったことに僕は、そのとき、あんまり注意を集中したりしたくなかったんだ。急に、すごく疲れがでちまったんだな。ところが先生のほうは、ちっとも疲れてないのがはっきりとわかるんだな。一つには相当酔ってたからでもあるけどね。「いまに君も自分の行きたい道を見つけ出さずにはいないと思う」なんて言いだしたんだ。「そのときには、そこへ向かって出発しなければならない。しかも、すぐにだ。君には1分の余裕もないんだから。君の場合は特にだ」先生が僕の顔をまっすぐに見たりしてるもんだから、僕はうなずいたよ。しかし、先生の言ってることがどこまで納得できたか、あやしいもんだった。かなりの自信ならあったけど、そのときは絶対大丈夫というとこまでは行かなかったね。なにしろめちゃくちゃに疲れてたんでね。

(スペンサー先生)
僕がエルクトンヒルズをやめた最大の理由の一つは、あそこの学校がインチキ野郎だらけだったからなんだ。それだけのことなのさ。全くウジャウジャいやがんだから。たとえばだよ、バース先生っていう校長がいやがんだけどね、これは僕が臍の緒切ってからこの方お目にかかった最大のトンマで見苦しいインチキ野郎だったね。サーマーよりも10倍もひでえや。たとえば日曜日にだな、ハースのやつ、車で学校に乗り付けてくる親たちに。いちいち握手して回るんだ。すごくカッコいいぐらいにしちゃってさ。ただ、それがイカさない親だと、違うんだな。僕と同室の子の両親と握手したとこなんか、見せてやりたいくらいだった。つまりだね、生徒のお袋がデブだったり、田舎くさかったりするだろう、あるいは親父がさ、肩のでっかい服なんかきちゃって野暮な黒白コンビの靴なんか履いてるような野郎だとするだろ、そうするてえと、ハースの野郎、ちょっと手を握って、とってつけたような作り笑いなんかしやがって、そのまますっと行っちまうんだな。そして誰か他の子の親たちのとこへ行って、そうだな、半時間も喋ってやがんだ。こういうのはたまんないね。頭にきちゃう。こんなのにぶつかると、僕はすっかり気が滅入っちゃってどうにかなっちまうんだな。あのエルクトンヒルズって学校は、僕は大嫌いだ。スペンサー先生はしじゅう、うなずいていた。きみのいうことはちゃんとわかっていると言わんばかりだ。だけど、ほんとうにそうなのかどうかはわからない。ぼくのいうことをすべて理解してくれているのか、それともただの、インフルエンザにかかった変わり者で気のいい老人なだけなのか。そのとき、スペンサー先生が何か言ったんだが、僕は聞き漏らしちまった。ハースのことを考えてたもんでね。

(アントリー二先生)
「それから、これは君には言いにくいことなんだが、いったん君の行きたい道がはっきりと掴めたらだな、まず君のやるべきことは、学校に入るということだ。それはぜひそうしなければいけない。君は学生だ−そう思うのは君の気に入らないかもしれないけどね。君は知識と恋仲にある身なんだ。しかも、そのうち、君にもわかると思うんだが、いったんそのヴァインズ先生や《弁論表現》のたぐいを通り抜けてしまえば−」
「ヴィンスン先生です」と、僕は言った。先生がヴァインズ先生と言ったのは、ヴィンスン先生のつもりだったんだから。でも途中で口なんかはさむんじゃなかったと思ったね。

(スペンサー先生)
僕は、さっきから僕を坊や(あーむ)と言っているその呼び方をやめてもらいたくてたまんなかった。2分おきにこんな呼び方をさせられたんじゃ、たまったもんじゃないよ。そんなことを考えていたけど、先生には言えなかった。とにかくね、先生がぼくを落っことしたことを相当気にかけてるのはよく分かるんだ。それで僕は、一度よたをとばしてやった。僕は本当に低脳で、とかなんとか、そんなごたくを並べたのさ。もしも僕が先生の立場にあったら、僕もやはりまったく同じことをやったであろう。教師というのはいかにつらい職業であるか、大部分の人には、そこのところがよくわかっていない、とかなんとかこういった調子でね。お手の物のしょうもないデタラメだよ。ところが、おかしいだろう、そんなよたをとばしながら、僕は頭の中では他のことを考えてたみたいなんだ。僕の家はニューヨークにあるんだが、僕はあのセントラルパークの池のことを考えてたんだな。あの南側通りのちかくにあるさ。僕がうちに帰る頃にはセントラルパークの凍っているかな。もし真ん中まで凍っていたら、朝、窓からそれを見た人はアイススケートをするかもしれない。池にはカモがいるけど、池が氷ついたら、あのカモたちはどこへいくのかと思ったんだよ。誰かトラックでやってきてさ、動物園かどっかへ連れていくのかな?それとも、ただ。どっかへとんでいっちまうのかな?そんなことを考えていたのさ。それにしても僕はついてたんだな。スペンサー先生に向かってよたをとばしながら、同時にカモのことをかんがえることができたんだからね。おもしろいよ。先生に向かって話をする時はだな、あんまり考える必要はないんだな。(そんなにいちいち真剣になることはない)ところがだよ、スペンサー先生、僕がよたをとばしてるところへ、いきなり口を入れてきやがった。この先生は、人が話してると、きまって口を入れやがんだ。

(アントリー二先生)
「そうか−ヴィンスン先生だったな。いったんそのヴィンスン先生のたぐいを通り抜けてしまえばだ、その後は、君の胸にずっとずっとぴったりくるような知識に、どんどん近づいて行くことになる−もっとも、君のほうでそれを望み、それを期待し、それを待ち受ける心構えが必要だよ。何よりもまず、君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、激しい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない、それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができる−君がもしその気になればだけど。そして、もし君に他に与える何かがあるならば、将来、それとちょうど同じように、今度はほかの誰かが、君から何かを学ぶだろう。これは美しい相互援助というものじゃないか。こいつは教育じゃない。歴史だよ。詩だよ」そう言って先生は言葉を切ると、大きく一口ハイボールを飲んだ。それからまた言い出した。いやあ、本当に興奮してたね、先生は。僕は先生を押し止めたりするような真似をしなくてよかったと思った。「僕は何も」と先生は言うんだ。「教育があり学識がある人間だけが世の中に価値ある貢献をすることができるなんて、そんなことを言うつもりはない。事実、そうじゃないんだから。しかしだ、教育や学識のある人間のほうが、溌剌たる才智と創造的能力は最初からあるものとしてだよ−不幸にして、そういうのは少ないんだけどね−しかしその場合には、単に潑剌たる才知と創造的能力だけの人間よりも、はるかに計り知れぬほどの価値をもった記録を後に残しやすい、と、こういうことは言えると思うんだな。そういう、教育や学識のある人間のほうが、自分の考えを表現するにも、だいたいにおいて、明確に表現するし、たいていは、自分の考えをとことんまでつきつめてゆく情熱を持っている。その上−これが一番大事な点だが−十中八九、そういう人のほうが、学識のない思想家よりも謙虚なものだ。わかるかね、僕の言うこと?」
「ええ、わかります」
それから、また、かなり長い間、先生は黙りこんでいた。君にそういう経験があるかどうか知らないけど、相手が考えこんでるのを前に見ながら、黙って坐って、口を開くのをまってるのは、いささかつらいもんだぜ。本当だよ。僕は出かかるあくびをかみころしてばかしいたね。といっても別に、退屈だったとかなんとかいうんじゃない−そうじゃないんだ−ただ、急に、すごくねむくなったんだよ。
「学校教育には、他にもまだ、君の役に立つことがある。相当のところまでこれを続けて行けば、自分の頭のサイズはいくつかということが、わかりかけてくるんだ。何が自分の頭に合うか、それから同時に、何が合わないかということもたぶんね。しばらくするうちに、特定のサイズを持った自分のこの頭には、どんな種類の思想をかぶったらいいかということもわかってくる。一つには、そのために君は、自分に似合わない、自分にふさわしくない思想を、いちいちためしてみるという莫大な時間の浪費を節約できることにもなる。君は、自分の本当の寸法を知り、それに合わせて自分の頭にかぶるものを選ぶことができる」
そのとき、僕は、出し抜けにあくびをしちまったんだな。なんとも無作法な野郎だけど、どうにもしょうがなかったんだ!
でも、アントリー二先生は、ただ笑っただけだったね。そして「さあ、君の寝床をこしらえよう」そう言って腰を上げたんだ。やがて寝床作りもすっかり終わった。「ここは全部君に提供する」アントリー二先生はそう言った。
「しかし、君はその脚をいったいどう処分するつもりかな」
「それならいいんです。僕は短いベッドには慣れてますから」と、僕は言った。

(スペンサー先生)
「やれやれ!」と僕は言った。ついでに言うと、この「やれやれ」ってのも口癖なんだ。ひとつに僕はボキャブラリーがお粗末だからだけど、あと、 僕はときどき実際の年齢よりずっと子供っぽく振る舞っちまうんだよ。僕は 当時16歳で、今では17歳なんだけど、 よく13歳の子供がやるみたいなことをしちゃったりする。これは実に皮肉な話で。だって僕は6フィート2インチ半もあって、白髪が生えてんだから。嘘じゃないんだよ。頭の中片一方の側は ー 右側だけどさ ー 白髪がいっぱい、ゴマンと生えてんだ。子供の頃からずっとこうなんだよ。それでいながら、今でも、ときどき12ぐらいの子供みたいなことをやるんだからな。みんなからそう言われるんだ。特に親父からね。それも、いくらかはその通りなんだが、(たしかにある一面としては真実なんだが)しかし、全くその通りってわけのもんじゃない。僕としちゃ適当に聞き流してはいるんだけど、それにしても、大人ってのは、いつだって、全く自分たちの言う通りと思うものなんだ。こっちは知っちゃいないやね。ただ、年相応にふるまえって大人から言われると、ときどき、うんざりするよね。僕だって場合によっちゃ、年齢よりもずっと大人びた行動をとることもあるんだ。嘘じゃなくてさ。ところがみんなそういうのには目を留めてくれない。人って肝心な所はまるで見てないんだよな。
スペンサー先生は、今度は頷かなかった 僕を持て余してるみたいで、申し訳ない気がした。

(アントリー二先生)
「どうもありがとうございました。先生と奥さんは、ほんとに、今夜の命の恩人です」

(キャッチャーインザライ〈夏休みの課題〉)
「人生は競技、ゲームだとも。坊や。たしかに人生は、誰しもがルールに従ってやらなければならない競技、ゲームなんだ」「そりゃ…そうですね、はあ、そうです。分かってます。人生は競技、ゲームだ、とかなんとか。だから、ルールに従ってやらなければいけない、とかですね。」
競技(ゲーム)だってさ。ゲーム(競技)ときたね。クソくらえ。まったく対したゲーム(競技)だよ。もし君が強い、優秀な奴ばっかり揃ったチームに属していたとしたら、そりゃたしかにゲーム(競技)でいいだろうさ。そいつは認めるよ。でももし君がそうじゃない方、つまり強い、優秀な奴なんて1人もいない相手方のチームについてたらどうなるんだ。そのときは競技(ゲーム)どころじゃないだろう。とんでもない。お話にもならないよね。ゲームもクソもあるもんか。(競技でなんかあるもんか。)

p169 (キャッチャーインザライ)
前にこんなことがあったんだ。エルクトン・ヒルズに行ってたときだけど、ディッグ・スラグルっていう同室の子が、ひどく安っぽいスーツケースを持ってたんだ。奴は、そいつを棚の上に置かないで、いつもベッドの下に押し込んでたんだな。僕のと並んでるとこを人に見られたくないわけさ。おかげで僕はすごく憂鬱な気持ちになっちゃってね、僕のを投げ捨てちまうか、さもなきゃそいつのと交換しようかと、終始思ったもんだ。僕のはマーク・クロスの製品で、本物の牛革やなんかでできてるんだ。ずいぶん高いだろうと思うよ。ところがおかしなことがあったんだ。どういうことかというとだね、しまいに僕は、僕の旅行カバンを棚からおろして、僕のベッドの下に押し込んだわけさ。そうすれば、スラグルの奴が、つまんない劣等感なんか感じなくてすむと思ってね。ところが奴はどうしたと思う?僕が自分のを僕のベッドの下に押し込んだ翌日、奴はそれを引きずり出して、また棚の上に戻したんだ。なぜ彼がそんなことをしたのか、しばらく僕には見当もつかなかったけど、それはつまり、僕のをあいつのだと人に思わせたかったからなんだな。ほんとなんだ。そんなふうに、実におかしな奴だったよ、彼は。たとえばだね、僕の旅行カバンのことで、しょっちゅういやみったらしいことをいうんだな。新しすぎるし、第一、ブルジョワくさいって言うんだ。このブルジョワってのが彼愛用の言葉なんだ。どっかで読むか聞くかしたのさ。僕の持ってるものは、なんでもすごくブルジョワくさいんだ。僕の万年筆までブルジョワくさいんだよ。しょっちゅう僕から借りるくせして、それでもやっぱりブルジョワくさいんだな。いっしょに部屋にいたのは、たったの二か月ばかしで、それから両方ともが部屋をかえてくれって学校に頼んだんだ。ところが、おかしいじゃないか、部屋が変わってみると、そいつがいないのがなんとなく寂しいんだな。そいつは実にユーモアのセンスのある男でね、いっしょにいて楽しかったことが何度もあったからなんだ。向こうだって、おそらく、同じだったんじゃないのかな。僕の持ち物がブルジョワくさいと言ってたのも、はじめのうちは冗談にそう言ってからかってただけなんだし、僕もぜんぜん気にしてなかったんだ-事実、なんとなくおもしろかったからね。ところが、しばらくたつうちに、それが冗談でなくなってきた。実際、自分のスーツケースよりもはるかに悪いスーツケースを持った奴と同室になってみたまえ、なかなかやりにくいもんだぜ−こっちのが本当に優秀で、相手のがそうでない場合にだよ。もしそれが頭のいい奴で-それがって、相手がだよ−頭のいい奴だったりして、ユーモアのセンスのある奴だったならば、どっちのスーツケースがよかろうと、そんなこと気にするはずはないと思うだろう。ところがそうじゃないんだな。ほんとなんだ。僕があんなストラドレーターみたいな馬鹿な野郎と同室になったのは、一つにはそこにわけがあったんだ。少なくともあいつのスーツケースは僕のと同じくらい優秀な奴だったんだから。

p232 (ハプワース)
それから、面白そうで、つまらない本を二冊、簡単に包んでいっしょに送ってほしい。そうすればほかの-男女を問わず、天才、秀才、卓越した控えめな学者による-本をけがさないですむからね。アルフレッド・アードンナの『アレキサンダー』とシオ・アクトン・ボームの『起源の思索』がいい。父さん母さん、あるいは図書館のぼくの友人でもいいから、無理のない程度で、なるべく速く、暇なときに郵便で送って。どちらもつまらない、ばかばかしい本なんだけど、これをバディに読んでほしいんだ。現世で初めて、来年学校に入る前にね。ばかばかしい本だからといって、はなからばかにしちゃいけない!あまり気の進まない、いやな方法だけど、バディみたいな才能豊かな子に、日常の愚かさやつまらなさを直視させるための最も手っ取り早い方法は、おもしろそうで、愚かで、つまらない本を読ませることなんだ。二冊の無価値な本をさりげなく渡せばきっと、口をつぐんだまま、悲しみや激しい怒りのにじんだ声をきかせることなく、こう伝えることができる。「いいかい、この二冊の本はどちらも、それとなく、上手に感情をおさえて、目立たないようにしてあるけど、芯まで腐りきっている。どちらも有名なにせ学者が書いたもので、ふたりとも読者を見下して、利用してやろうという野心を心密かに抱いている。この二冊を読んだときは、恥ずかしさと怒りで涙がにじんだ。あとは何も言わずに、この二冊を渡すことにする。これは神さまがくださった見本、それも腐りきった呪わしい知性と、見せかけだけの教育の見本だ。才能も人間的洞察もない駄作だ」バディには、ひと言だって余計な注釈を付け加える必要はない。この言葉もまた辛辣かな?辛辣じゃないといったら、それこそ、冗談をいうなと笑われるだろう。とても辛辣だよね。だけど、逆に言わせてもらうと、父さんはこういった連中の危険に気づいてないのかもしれない。ひとつはっきりさせるために、ざっと手短に、アルフレッド・アードンナのほうを検討してみよう。彼はイギリスの有名大学の教授で、アレキサンダー大王の評伝を、分量は多いけど、ゆったり読みやすい文章で書いた。そしてしょっちゅう言及するのが、自分の妻。彼女も有名な大学の優秀な教授だ。それからかわいい犬のアレキサンダー。あと、彼の前任者であるヒーダー教授。この人も長いことアレキサンダー大王の研究で生活していた。このふたりは長年、アレキサンダー大王をうまく利用して-金銭的な面ではどうか知らないけど-名誉と地位を得た。それなのに、アルフレッド・アードンナはアレキサンダー大王を愛犬アレキサンダーと同程度に扱っている!ぼくはアレキサンダー大王も、その他のどうしようもない軍人もあまり好きじゃないけど、アルフレッド・アードンナはひどい。だって、さりげなく、不当な印象を読者に与えようとしているんだから。要するに、自分の方がアレキサンダー大王より優れているといわんばかりなんだ!それも、自分と、妻と、ついでに愛犬が居心地のいい場所にいてアレキサンダー大王を搾取し利用しているからできることだっていうのに。アレキサンダー大王がいたということに、これっぽっちも感謝していない。いまの自分があるのは、アレキサンダー大王を好きなように、うまいこと使う特権を得られたからだというのに。ぼくがこのインチキ学者を非難するのは、彼がいわゆる英雄や英雄崇拝を嫌っていて、わざわざ一章をアレキサンダーと、彼に匹敵するナポレオンに当て、彼らが世界にどれほどの害悪と無意味な血を流してきたかを示しているからじゃない。この論点はぼくも、正直いって、大いに共感できるからね。そうじゃなく、こんな大仰で、平凡な章を書くなら、せめて次の二点はおさえておいてほしいと思うからなんだ。これはちょっと議論する価値があると思う。だから、どうか、がまんして、無償の愛情を持って、最後まで読んでほしい!いや、おさえておくべき点は三つある。

1.英雄的なことができる資質が備わっている人なら、英雄や英雄的行為をどんなに嫌っていても足元がぐらつくことはない。また、英雄的なことをする資質に欠けていても堂々と議論に入ることはできるがその場合、徹底的に注意深く理知的で、体のすべての灯りを灯すよう努力し、さらに神への熱い祈りを二倍にしなければ、安易な道に迷い込んでしまう。

2.人は、一般的な判断ができるくらいの頭脳を持っているのは当然。もしその程度の頭脳がないなら、皮をむいた栗でも十分に代替可能だ!しかし自分の目でみることが重要だ。とくにこの種のこと、英雄や英雄的行為に関してはそれが必要不可欠といっていい。人間の頭脳は魅力的で、好ましく、じつに分析能力に長けているだけで、人間の歴史を包括的に理解したり-英雄的なことであれ、非英雄的なことであれ-その人がその時代に愛情や良心にかられて果たした役割を理解する能力はまったく持っていない。

3.アルフレッド・アードンナは、アレキサンダー大王の幼い頃の家庭教師がアリストテレスだったという事実をおおらかに認めている。それなのに、嘆かわしいことに一度も、アリストテレスがアレキサンダー大王に謙虚であれと教えなかったことを非難していない!
この興味深い問題に関して、ぼくが今までに読んだ本では、アリストテレスが少なくとも、アレキサンダーが偶然手に入った王の衣だけを受け取って、その他のクソのような-失礼-王の付随物は拒否するように言ったなんて、どこにも書かれてはいなかった。
腹立たしい話はもうやめよう。神経が擦り減ってきちゃった。それにシオ・アクトン・ボームのいかがわしくて非常に危険な、才能なき、冷ややかな文学作品について語るつもりだった時間を使い果たしてしまった。ただ、繰り返しになるけど、ぼくは本当に心配でしょうがないんだ。もしバディが小学校に入学を許可されて、長く、とても複雑な正規の教育を受けたあと、こういう危険で、つけあがった、とことんありきたりの本を読むかと思うとね。

p126、127(ゾーイー)
「はい」グラース夫人はそう言って、キング・サイズの彼女の煙草の袋と紙マッチを差し出した。
ゾーイーは、一本抜き取るとそれを口にくわえ、マッチを擦るには擦ったものの、いろいろな思いが迫ってきて、実際に煙草に火をつけるまでには至らなかった。彼は、マッチを吹き消して、口から煙草を取った。それから苛立たしげにちょっとかぶりを振って「分からないな」と、言った「ぼくには、フラニーに効き目のある精神分析の医者が町のどこかにきっとかくれているようなきがするんだ−昨夜もそのことを考えていたんだが」そう言って彼は軽く顔をしかめた。「しかし、ぼくには誰も心当たりがない。フラニーに多少なりとも効目のある医者となると、それはかなり特殊なタイプの者でなければならないだろう。そもそも自分が精神分析の勉強をする気になったのは、神の恩寵によると、そう信じている人間でなければなるまい。トラックに轢き殺されもしないで開業の免許がとれたのだって、神の恩寵による。多少なりとも患者の役に立てるような生まれながらの頭が持てたのも神の恩寵によると、そう信じている人間でなければならないはずだ。ところが、こういう方向に物を考える優秀な分析家をぼくは一人も知らないんだな。しかし、フラニーに多少なりとも役に立つ精神分析の医者があるとすれば、それはこういう類の医者に限るんだ。もしもあいつが、フロイト一点張りの医者だとか、折衷医学を振りまわす奴だとか、てんでありきたりの野郎だとか−とにかく、自分の直感や知性に対して、わけの分からないやみくもな感謝の気持ちすら持ってないような医者につくようなことがあったら−あいつ、治療が終わった暁には、シーモアよりもっとひどいことになってるぜ。そいつを考えると、ぼくは心配で心配でたまらなかったんだ。この話はちょっとよそうじゃないか、悪いけどさ」ゾーイーはゆっくりと時間をかけて煙草に火をつけた。それから、煙草を吐き出しながら、さっきの、火の消えた煙草がのっているつや消しガラスの受け棚の上に、それをのせた。そして、いくらかくつろいだ姿勢に返った。彼は爪の先にやすりをかけ始めた−爪は完全にきれいになっているのである。

はい。と、だいたいの感じは掴めたと思うけど、ざっとわかりやすくぼく個人的観点から見た妄想をここに叩きつけておくと、バナナフィッシュの時説明した時と同じでここも彼らの話してる内容と自分たち自身もそれに連動してる感じになっていて、それプラス、ここではスペンサー先生とアントリー二先生が交錯することで、より複合的で入りくんだものになってる。アントリー二先生の箇所でホールデンがリチャードっていう友達が農場の話をしていたのが急遽おじさんの手紙の話に飛んでしまい、先生やクラスのみんなからは《脱線!》と言われて非難されるんだけど、何はどうあれ、人が興奮して喋ってるんだから、ひとまずは聞いてあげればいいのに。みたいな所があったように、スペンサー先生もアントリー二先生も途中で会話の趣旨が変わってくる。スペンサー先生は最初は説教っぽかったのが、最後は同情、心配に変わっていくし、逆にアントリー二先生のほうは最初仲良しでいい感じだったのが、どんどん説教っぽくなっていて、最後の方はホールデンの口数も少なくなってくる。それは何故か?っていったら、いや、ここからはぼくのホールデンにはこうあってほしいっていう願望になってしまうんだけど、スペンサー先生に怒られてた時に口ではデタラメを並べつつも頭の中では公園のカモのことを考えていたように、アントリー二先生と会話しながらも頭の中じゃスペンサー先生に想いを馳せててほしいなと思う。比較は当たり前だけど比較する相手がいないと比較にならないし、もっと言うならば、立場や環境が揃った上ではじめて成立するものであるからそういった事をふまえつつ眺めてみると、アントリー二先生と話してるうちに、頭の中では、スペンサー先生との違いが、スペンサー先生と話してる時には見えてなかった、気付いてなかった側面が、ホールデンの中で見えてきたんじゃないかな?と思う。まあそんなところで区切っとこう٩( ᐛ )و
では後ちょっと元に戻りまする〜

p324(キャッチャーインザライ)
「行くかもしれないし、行かないかもしれない」
彼女はそう言った。そして、通りを向こう側へいちもくさんに、自動車が来るか見てみもしないで、駆けて行っちまった。彼女は時々気違いみたいになっちゃうんだ。
でも、僕は後を追わなかった。彼女の方で僕の後からついて来ることがわかってたからね。それで僕は、その通りの公園側を、動物園を目指して、ダウンタウンのほうへ歩きだしたんだ。すると彼女も、向こう側の歩道をダウンタウンのほうへ向かって歩きだしたんだ。僕のほうへぜんぜん顔を向けなかったけど、おそらく、目のはしっこから、僕がどこへ行くか、注意して見てるにきまってるんだ。とにかく、僕たちは、そんな格好で、動物園までずっと歩いていったのさ。ただひとつ弱ったのは、二階建てバスがやってきた時で、通りの向こうが見えず、彼女がどこにいるやらわかんなくなった。でも、動物園のとこに来たときに、僕は大きな声でどなったんだ。「フィービー 僕は動物園に入るよ!君もおいで!」彼女はぼくのほうを見ようとしなかったけど、僕の声が聞こえたことはわかってたんで、動物園に入る階段を下りかけながら振り返ってみると、フィービーは、通りを横切って、僕の後をついて来るとこだった。

p114、115(他人)
帽子箱を持った背の高いブロンドの女の子が、道路の向こう側を早足で歩いている。広い道路の真ん中あたりで、青いスーツを着た小柄な少年が、座り込んだ子犬を引っぱって、道路を渡り切らせようとしている。

p58 《コネティカットのひょこひょこおじさん》
両膝をつきテーブルの下をのぞいて煙草を探しながら、メアリ・ジェーンは言った「ねえ、ジミーどうなったか知ってる?」
「知るもんか。そっちのあんよ。そっちよ」
「車に轢かれたんだって。傷ましいじゃない?」
「スキッパーがね、骨くわえてたの」ラモーナがエロイーズに言った。
「ジミーに何があったの?」と、エロイーズは訊いた。
「車に轢かれて死んじゃったの。スキッパーがね、骨くわえてたでしょ、そしたらジミーがね、どうしても-」

p55《コネティカットのひょこひょこおじさん》
あんた、ウォルト(シーモア)が死んだってこともルーには言わないつもり?」

p 174(ゾーイー)
最初は断片的に、ついでは全面的に、彼の注意は、いま5階下の向かい側の路上で、作者や演出家やプロデューサーによって妨害されることなしに演じられている、一場の高貴な情景に惹かれていった。私立女学校の前に、かなり大きな楓の木が一本立っている-この幸運に恵まれた歩道の側に立ち並んだ4、5本の街路樹のうちの一つであった-が、そのときちょうど、7、8歳の女の子がその木の後ろに隠れたのだ。女の子はネーヴィ・ブルーの両前の上着を着て、アルルのヴァン・ゴッホの部屋のベッドにかかっている毛布によく似た色調の赤いタモシャンター(訳注スコットランド風のベレー)をかぶっている。好都合なゾーイーの位置から見ると、彼女のタモシャンターは、実際、絵具を落としたように見えなくもないのだ。女の子から15フィートばかり離れた所では、彼女の犬が-緑の革の首輪と紐をつけたダックスフントだが-革紐を長く後ろにひきずったまま、主人を見つけようとして、においを嗅ぎながら、やっきとなってその辺をくるくる駆け回っている。別離の苦悩が彼には耐え難いのだ。そのうちにとうとう彼も主人のにおいを突きとめたけれど、そこへいくまでの時間が短きに失せず、長きにも失しない。再開の喜びはどちらにとっても大きかった。ダックスフントが、かわいい叫び声を上げ、続いて嬉しさに身をよじりながら頭を下げ下げにじり寄ってゆくと、女主人は、彼に向かって何事かを大声に叫びながら、木のまわりにはりめぐらされた針金の柵を急いで跨いでいって、彼を抱き上げた。彼女は彼らだけにしか通じない特別な言葉で数々の賛辞を与えてから、やがて彼を地面に下ろし、紐を拾い上げると二人は嬉々として、五番街とセントラル・パークがある西の方へ歩いていって見えなくなった。反射的にゾーイは窓のガラスとガラスを仕切っている横木に手をかけた。窓を開けて身を乗り出して、小さくなっていく二人の姿を見送ろうと思ったのかもしれない。だが、それが葉巻の方の手だったために、ちょっとためらっているうちに機会は過ぎてしまった。

キャッチャーインザライ 完

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