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自称「只者」の人

稲葉浩志ソロアルバム「只者」
まだアルバムを聴く前に抱いた感想もろもろを書いておきます。

とても稲葉さんらしいアルバムタイトル。
最初に思ったのはこんなこと・・・

只者。言いたいことはちゃんと伝わるけどかなり独特な日本語タイトル。
「只者じゃない」のように否定語とセットで使われるのがふつうで、単体では見かけない単語。
「只者じゃない」は、他人(主に相手の力量を見抜く眼力を持った人物)から言われることで、自称として用いられるのも見たことがない。

ここから私が解釈した意味は~
「世間的には只者じゃないと思われてるみたいですが、全然普通の人=只者ですよ」

謙虚と自信が混在しているような印象。
本当に普通の人は「只者じゃないと思われてる」前提を持つことがほとんどないからね。

漢字2文字でここまで考えさせられる…秀逸なタイトルです。


以下は「音楽と人」でのインタビュー感想です。
一読しての感想がこちら↓

稲葉さんがあまりにも稲葉さんで…
表層は柔和で控えめだけど芯はすさまじく頑固。その頑なさが美しくも愛おしい

「普通なわけないでしょって思う人がいるのはわかってるんですけど、でも、自分が普通だってことを僕は知ってるので」
「『歌が上手いですね』と言われることがありますけど、そんなことはないんですよ、別に。全然上手くないですよ」

自己評価が低い人高い人、人によって傾向の違いはあれど、他者評価に揉まれ、事あるごとに変動しがちなものだと思う。
でも稲葉さんの自己評価は揺るがない。称賛の声に取り巻かれてもさらり受け流して微塵も影響されない。

以前から、稲葉さんの自己観察は外科医が内臓を観察するような精緻さがある、と思っていました。
喉の状態・身体の状態と同様に、仕事として自身の内面を観察・分析・研究しているような。
そこにはプロフェッショナルとしての強い自負があり、他人の安易なほめ言葉など、安易な中傷と同様なんの価値も認めず素通りする。
そういう頑なさを強く感じました。

そして、そんな頑固さがあるからこそ、自己を把握し学び続ける、新しいものに挑戦し続ける柔軟さが保持されているのだと思う。


しかし一ファンとして「歌が全然上手くない」とは聞き捨てならない(笑)
「歌が上手い」なんて各個人の曖昧な感覚であって明確な基準はない。だから「歌が上手い」と思う人がたくさんいるのであれば、一般的に「歌が上手い」という評価は妥当で、本人が否定しようとそれは変わらないんです。自分よりすごい人は数え切れないほどいる、ってなんの反論にもなりませんよ~

・・・うん、こういうのがいるから「面倒くさいから言わない」んですね・・・すみません・・・


インタビュアーが信頼できる金光さんだからこそ、普段あまり口にしないようなことまで踏み込んで発言されている印象。
特に終盤は読んでいて涙ぐんでしまった。

「結局、僕みたいな普通の人間がいっぱしのものになりたいなら、目の前のことを必死でやるしかないんですよね。他の人の何倍、何百倍もやらないと生まれながらに何かを持っているような人には敵わない。それだけは誇れるというか、やってきたからここにいるんだっていう自負はあるので」

今年60歳になるキャリア36年目の人が、必死で頑張ること、それをずっとやり続けること、そして周囲の人への感謝を、こんなにも真っ直ぐに、これだけの熱量を持って繰り返し語っている。そのことに感動してしまった。
心が無垢な人の、衒いのない言葉が眩しい。

年を取るにつれ、いろんなしがらみ虚栄慢心、感情感性の鈍麻、気力の減退などなど、心がくすみ淀んでいく要素はいくらでもある。
でも稲葉さんは年を重ねるほどに心が磨かれ澄みわたっていくような・・・不思議な印象を受ける。
やっぱり、只者ではない。


「稲葉浩志その人が、生々しく表れたアルバム」と金光さん評するアルバム「只者」。
いよいよ聴くことができる~!本当はCDで初聴きしたかったけど・・・まずはライブ予習に向け配信聴きます。わくわくドキドキ

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