子供が投げたオモチャにそっくりなのに飛行船になれない【最終話】:「あなたの味方」
石鹸に髪の毛が絡まっている。
アボカド、パトローネ、暗室、青写真、浴室に吊るされるネガフィルム、裸体、カランの音、湯気。
閉鎖病棟で週に2回許されるお風呂の時間。
私は明日の朝、この病院を退院する事になった、最後に浴室で病院での出来事を洗い流そうとしていた。
髪の毛を洗いながらこの閉鎖病棟での色々な事を思い出す。
退院したらお母さんとお菓子屋さんをやりたいって言ってたサナエちゃん、私が眠れないって言ったらずっーと手のひらをマッサージしてくれた。交感神経と副交感神経を切り替えるツボ初めて知ったよ。
髪を泡立てる。
いっつも看護師と喧嘩していたユキちゃん、まだ病院に残るけど退院したら歌舞伎町でキャッチの仕事したいって話してた、歌舞伎町のキャッチの仕事がかっこいいっていつも話してたよね。なんでだよ。
髪を洗い流す。
四柱推命を勉強していた高橋くん、この間退院したのにもう病院に戻ってきたらしい。退院してすぐ神社で裸になって神様に抗議して警察沙汰になってまた措置入院だって。でも俺は悪くないって。そうだよね。
スポンジに石鹸を染み込ませる。
眠れない私に睡眠薬を渡さず抱きしめてくれた看護師のアレサ「退院したら音楽活動がんばるんだよ!あなたはここにいるべき人じゃないんだから」自信はないけれど思わず頷いてしまうくらいの笑顔だった。
スポンジで体を撫でる。
病室の窓から見えるマンションの住人達、それぞれの暮らし、それぞれお気に入りの照明の色、青からオレンジ匂いはしないけれど伝わってくる夕飯の味、ちょっと羨ましかった。
体を洗い流す。
この病院にやってきた161センチ35キロの女の子、ガリガリに痩せ細っていて薬とお酒が大好きで、本当は何か作りたいのに、壊して死に損なってここにきたんだって。
洗い流した鏡を見つめる。
私だよ。
浴室の窓から光、裸体の沈みで出来た波、反射して天井に水面が。
垢が落ちてさっぱりした私はその私を見つめた、明日退院すると言うのにちっとも病気が治ったとは思わなかった。
それどころか「病気」がより真実味を帯びてやってきたのである。
明日社会に出るということは家賃を払って水道代をケチって怒られ謝り慰め微笑み明るく楽しく涙を流すということである。
それらはこの閉鎖病棟内では一切感じられなかったリアルだ。
明日の朝10時にこの病院を出る
10時
いつかのラブホテルのチェックアウトの時間
ラブホテルから出てくる連中と私は同じ時間帯に日光を浴び、その部屋での色々な夜のことを忘れて電車に揺られて何事も無いように働くのである。
私は許されたくなかった、その夜達のことを分かられてたまるか、
あんたそれ私が濡らした枕よ。
私はどこにでも居るしどこにも居ない。
消えてしまいたい新宿の彼女も壁を呪う私も飛び降りそうな池袋の彼女も鉄格子越しの彼女も全て簡単に許してしまうの?
物分かりがいい睡眠薬はその言葉たちにディレイをかけながら入眠を催す
目が覚めるとそこは17号室だった
おはようと声が聞こえる
朝7時に起きてみんなで歯磨き粉を捻る、
「今日医院長回診よ」
「えーもうちょっと寝たかったぁー」
「はい朝のお薬のお時間ですよ」
今度は知らない喋り声。
口内でレキソタンがまたお湯に溶けていった。
石鹸に金髪が絡まっている。
「ねえあなた私達の3年間はなんだったの?」
振り向くと3年前の私が泣いていた。
「そうだね。でも曲にしてるし歌にしてる。
だから大丈夫」
皆さんへ
魚住英里奈です。
エッセイを書き始めてだいぶん時間が経ってしまいました。 長らく筆を止めていて本当にごめんなさい。正直最後まで書けないと思っていました。
エッセイの依頼を頂いた際
「措置入院の体験を経て立ち直った経験を書いて欲しい」との依頼を受けました。
とても嬉しかったです。
実際退院してからの私は唄を通して皆さんと心通わせて来れたと思います。
ですが依頼を受けてからの私は体験を思い返して書き続けているうちに
私がまだ病室にいた頃にすぐに帰れてしまうような気がして恐ろしくなってしまったのです。
私は唄を通しては強気であったものの、文章の持つ力の前ではその剥き出しの裸になっていくリアリティを前にしては私の心はまだあまりに脆かったようで
書いていくうちにどんどん病んでいきました。入院体験を思い出すたびフラッシュバックして夢にも出てくるようになり文章を書けなくなってしまいました。書くのがとても遅れてごめんなさい…。
一つ分かったことは、私は病気が治ったわけではなく、病気を受け入れて病気と共に生活していく事ができるようになったという事です。
例えば夏の前には調子が悪くなるから活動を控えよう。
今思いついた事は実行できる可能性が低いし後で落ち込むから決断は3日後にしよう。
この動悸はライブ前にたまにあるから気にしなくても大丈夫。
など傾向と対策が分かっただけなのです。
少しの管理不足で風邪をひくように誰しもが鬱の芽を持っていて死ぬまでにその芽が発芽するかしないかだけだと思っています。
もし発芽してしまっても上手く付き合っていくしかないです。
そしてその時は音楽や文学があなたの味方です。
それが分かった事と、初めてこのような体験をさせていただいた点滅社の屋良さんに感謝しています。そして読んでくださった皆さんありがとうございました。
魚住英里奈