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ホロコーストから届く声

ホロコーストから届く声。
猪俣剛さんの巻頭の言葉を読めただけでも、買ってよかったと思える一冊。

いま心は世界中で「引きこもりたい」と訴えているのではないだろうか。
(中略)
愛しいものとは合一したい、危険なものは排除したい。こうしたあり方は、あまりにも当然の愛着といった感情に回収されていく。ひきこもった愛着の心性ぎ動いているのが、現代という時代であり、この感覚は現代の誰もが多かれ少なかれ自分のうちに抱えている。
(中略)
未曾有の体験を私たちにもたらしているのは、ウイルスそのものではなく、ウイルス+情報化社会と、それに対する引きこもりの心性なのではないだろうか。
(中略)
1936年にユングは「独裁者の台頭とは人々が自分たちの存在の集合的なあり方を他者に預け、それを自分たちでやりくりするという複雑な課題を他者に預けた1つの結果である。そうやって人々は身勝手に自分個人の個性化に取り組もうとしたのかもしれない」とニューヨークタイムズのインタビューに答えている。これはおそらくいま私たちが直面している課題と近い。引きこもりたい私たちはどうやってこの集合知的なあり方と関わるべきなのか。わたしたち自身がそれを考察していく必要がありそうだ。」


先日、とある会でメディアで働く人々がメディアの無力感を訴えていた。まさに自分も同じような無力感を感じることが多くある。最近「課題解決」の欺瞞を思うようになった。むしろ問題は解決しないし分断が埋まるなんてお花畑な現実でしかなく、分かり合えないことが自明となっている。ドミニクチェンも言っていたけれど、分かり合えないことがわかる、ということもコミュニケーションの第一歩なのではないか?
分かり合えないことがわかることや、分かり合えない中でも自分ごととして考えることの大切さを訴え続けることが大切に思うようになってきた。
調査報道の大切さは言うに及ばず、同じような話でも手を替え品を替え伝え続けることがいまオールドメディアに求められていることなのかもしれない。

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