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なぜ今 手仕事なのか?

時短、時短、時短・・・ 便利家電のほとんどは家事の時間短縮のため
電子調理器、フードプロセッサー、電子レンジ・・・
当然のように各家庭にある掃除機、洗濯機などもそうだろう
でも口をそろえて「時間がなくて家事が行き届かない」 どうして?
仕事、お付き合い、SNS、テレビ・・・
やらなきゃ「いけない」ことに追い回されている

3.11
計画停電や交通機関の変則運行の影響で 強制的に仕事が休みになった
年度末のタイミング 例年であれば 新年度に向けた会議が連発される
招集されてもぎゅっと凝縮したり
伝言やメールのやり取り(今ほどオンライン会議は浸透していなかった)で
何とかしのいだ
テレビも自粛でつまらない いつもより余裕がある時間を過ごした
その年の夏は例年以上に暑かった
原発の稼働停止を受けて 節電、節電、節電
部屋全体の空気の流れを工夫したり
氷と扇風機を組み合わせて簡易冷風扇を作ったりして
クーラーを使わずに過ごした 「やればできるんだ」
この頃から、身の回りのさまざまなことに
違和感ばかり感じるようになってきた

話はガラッと変わって 教員としての仕事の中で感じたと
子どもたちと接する中で 保護者との関係性の構築も欠かせない
「多くの親御さんたちが疲れちゃっている」
仕事、家事、子育て、親御さんどうしのお付き合い・・・
ことあるごとに”生きづらさ”というワードを耳にする
子どもたちが希望にあふれ 生き生きと 笑顔で育っていくこと
それには親御さんの様子が如実に影響する
「未来を担う子どもたちのために でっかいことをやろうじゃないか」
私のスローガン
子どもの命が最大級に輝くために 子どもたちの命を中心において
そのためには周りの大人たちの協力が必須
疲弊しきった世の中 弱体化している日本をどうにかするために
これまでの教育とは異なる学びを子どもたちに与える動きが加速しているが
同時に大人の意識改革も喫緊の課題だ と感じるようになってきた

「原点回帰」そう思った
やりたくないけどやらなきゃいけないこと もっと言うと
やらなきゃいけないと「思い込まされていること」に振り回されて
疲弊していないか?
そこを考えているときに思い出したのが
3.11の夏に「やればできるんだ」を実感したこと
生活のすべてを 例えば産業革命以前に戻そう とまでは言わない
ちょっと目線をずらすだけ ちょっと不便だけど丁寧に暮らす
生活のルーティンにガッツリ取り込めればベストだけど
便利さの恩恵が身に染みている現代人には難しい
かくいう私も このようなツールを使って発信している時点で
まさに便利さの恩恵を享受しているわけで
ホモサピエンスとして 本能的な欲求にもう少し従って生きてみませんか?
眠たいから寝る
お腹がすいたから食べる
寒いから暖をとる
「これを実現したいと思うから実践する」
自分の欲求に素直に従う ただそれだけ
東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授が折に触れて
「人間はやりたいと思う事 やらずにはおれない事しかできない」
といった趣旨のことをおっしゃっている 背中を押してもらえた気がした
若いときから私の言い訳に対して
「いやならやめちまえ」という友人がいた
「やめられるんなら とっくにやめてる!!」と返す私
我慢・・・すなわち抑圧 この抑圧がどんな悪影響を及ぼすか

私にとっての「やらずにはおれない事」が手仕事だったのかもしれない
フルタイムで働いて 状況によっては自宅に帰ってまで
その日面談をした子どものことが気がかりだったり
保護者からの連絡が気にかかったり 常にアタマが覚醒している状態
「動的瞑想」とは最近知った言葉
編み物をしたり 布を織ったり 刺繍をしたり
とにかく糸の類に触れていると 緊張がほどけてくる
思えば 私がものづくりをするきっかけも
「これを実現したいと思うから実践する」だった
欲しいと思う服があっても見つからない
フラッと生地屋さんに行ったら、自分で作れば実現することが分かった
友人に誕生日プレゼントをあげたい 既製品を買うにはお小遣いが足りない
自分で作れば見栄えは落ちるけど あげたいと思うものをプレゼントできる
それが高じて 素材を作ることにまで手を出してしまったのが
バーナーワークに手織り
自分で作れば自分の欲求に従ったものが確実に手に入る
・・・というほど簡単ではなく インスピレーションを具現化するための探究と言ったら とてつもなく時間と労力がかかるわけで・・・
でもこれが「やらずにはおれない事」本能的欲求だからできてしまう
「完成するのは10年後!?」と笑われてしまった でも
「やりたくない事」に追い回されて 自分を抑圧して生きるのと
完成まで あるいは実現までには途轍もない時間がかかっても
本能的に「やらずにはおれない事」に没頭して生きるのと
アナタはどちらが幸せですか?
「みんなそれを我慢して 定年まで働くんだよ」とは退職願を出した時の
校長の台詞 「私にはその我慢ができないのです」
子どもたちの命を曇らせるシステムに加担し続けるなんて私にはできません

かねてからの 大量生産大量消費 プチプラや100均の大流行
自分でものを作り出すどころか 直して使う なんて発想はどこへやら
失くした物をさがすことすらしないで ごみ問題を叫ぶ
コロナ禍で品薄状態を経験した直後に ウクライナ危機・円安・物価上昇
なのに賃金は停滞したまま 家計への打撃を実感しないわけがない
そんな今だからこそ 原点回帰 モノづくり・手仕事を見直しませんか?
「服が欲しい」→「自分で縫え」となった時 生地を”買う”という発想が
私から欠落していることに気が付いて 我が事ながら目が点になりました
これは極端すぎると自覚しています
だけどこんなイライラの募る毎日を 少しでもこころ豊かに過ごせたら
そんな風に思うのです
とかくお金が無い お金が足りない と頭が痛くなりがちです
でも お金が足りない分 自分でできることは自分でやる
自分で作れるものは自分で作る
安く 手っ取り早く欲しいものが手に入る生活に慣れ親しんでいる今
じょうずにできない・・・なかなか完成しない・・・のはかえってイライラかも
だけど 自分でできた 自分で作った という達成感は
鬱屈とした生活の中ではなかなか感じることができない充足感を
味合わせてくれると思うのです

失われていく伝統 衰退してしまった職人技
そんな観点からも 手仕事を見直したい思いもあります
でもやっぱり自分は生物屋さんなんだなぁと思うのは
「生物的欲求」とか 元来個々の身体に備わっている作動に目を向ける事で
現状を好転させることができるんじゃないか と仮説を立て始める
そんな思考の傾向があるところ
「豊かさって何だろう?」
身体が喜ぶこともひとつなのかなと思ったりもしています 

なぜ今 手仕事なのか
うまく伝わっているとうれしいです

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