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気象観測(COVID-19の影響と空白の天気図)

この小文もブログから移転させたものが基本となっています

はじめに

COVID-19の感染拡大による気象観測への影響について、5月7日付で世界気象機関(WMO)から公表されています。3枚目までの図はこのWMOのプレスリリース(下記)からの引用です。ここでは、WMOの資料も利用しつつ、気象観測の意義も含めて、今何が起きているのかを説明します。また、柳田邦男氏の名著「空白の天気図」のテーマにもいろんな意味で絡んでいますので、それにもちょっと触れてみました。

気象観測とは

まず気象観測の目的と実態をおさらいしておきます。グローバルに気象観測をしてそれを速やかに共有することの重要性は、19世期のクリミア戦争での黒海での戦艦の暴風被害を受けてのパリ天文台の調査で広く認識されるようになりました。地中海から黒海へ嵐が東進してきたことがわかり、気象観測を即時的に共有して天気図を書くことで、黒海の嵐を事前に予測できるのでは、というところから近代気象業務が始まっています。

第二次大戦後、コンピュータが誕生して数値予報と呼ばれる数値モデルによる天気予報で精度向上が著しいのですが、コンピュータによる時間積分の初期条件をどう与えるか、は極めて重要で、その初期条件に観測データを反映させる技術はデータ同化技術と呼ばれています。また、過去の数値予報値と観測値との関係を深層学習で導き出して、それを数値予報の結果に応用することで例えば気温予報や大雨予報の精度をさらに向上させる、というようなこともなされています。気象観測の第一義的な目的は、天気予報の初期条件をより正確に与えること等を通じて天気予報の精度を上げることにあります。

もちろん、気象観測はそれ自身にも重要な価値があり、ある地点での気温の平年値を算出する、10年に一度の降水量はどの程度かを知る、さらには気候変動や地球温暖化の実態を観測に基づくファクトから解き明かす、といった価値も重要です。また、科学は観察、観測、実験結果からわかる事実関係を土台にしています。気象学の研究で台風や大雨、猛暑、モンスーンなどのメカニズムを追求する上でも、観測は必要不可欠なものです。

気象観測というと小学校の校庭にあったような百葉箱的な観測を連想されるかもしれません。このような観測が歴史的にも古くからある地上観測です。しかし、大気は空高くまで分布していて、低気圧や高気圧は水平方向だけでなく高度方向にも構造を持っています。このため、これらの予測を行うためには、3次元的な構造を把握する必要があります。そこで、気球に気象観測測器をぶら下げて飛揚し上空の観測を行う高層観測が、100年程度前に始まりました。

この高層気象観測はコストがかかるので、貧しい国では運用するのが困難ですし、海洋上はほとんど観測は実施されていません。海洋上では地上観測に代わるものとして、船舶からの気象観測が貴重なデータとして活用されています。地上気象観測、高層気象観測、船舶による気象観測、これらが伝統的な気象観測となります。

上空の気象観測については、衛星による観測が始まり、海洋上も含めて面的な観測が可能となり、地球全体の大気の初期条件の把握になくてはならない手段となっています。ただ、衛星観測は電磁波を使うリモートセンシングに分類され、電磁波の情報から大気の鉛直構造を逆読みすることなどに起因して精度には課題があり、より真の値に近い観測値が得られる高層気象観測等と相補的に使っています。

リモートセンシングではない上空の観測としては、最近では民間航空機による観測が広く使われるようになりました。航空機は上空の気象状況に左右されながら飛行しますし、空中に浮かぶための浮力自体も気温や風が重要なデータとなります。このため、航空機には気温や風を観測する仕組みがもともとありました。これらの観測結果を気象機関とも共有することで、気象機関からの航空機向けの気象情報の精度向上にも寄与します。こんな背景から、民間航空機の観測を即時的に共有化して、数値予報の初期条件に反映できる仕組みが世界的に構築されています。

COVID-19の航空機観測への影響

民間航空機による観測なので、入出国が制限され、旅行や出張、親類訪問などが激減して航空機が飛ばなくなってしまうと観測も激減してしまいます。通常時は1日あたり80万の観測データが入ってくるところ、75-80%の減少、特に海洋が広がり途上国も多い南半球では90%の減少にもなった時期もあるようです。

下記に、1月31日と5月4日のデータ分布図をプレスリリース資料から持ってきています。本当はCOVID-19以前と比較するのが良いのでしょうが、1月31日だと中国では既に相当の影響が出ている時期ですね。1月31日段階ではデータ密度が高かった北米と欧州で激減していること、南半球での影響が顕著なことがわかります。欧州では、代替手段として気球による高層観測の数を増やすなどの対策を行なっているようです。気球による高層観測、お金がかかるだけでなく、使い捨ての観測なので環境破壊ですとか落下時のリスクもあり、長期的には減らしていく方向で、その代わりに航空機観測をさらに充実させようという流れだったのですが、皮肉な状況です。

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COVID-19の地上観測への影響

下図は、地上気圧観測について4月の最終週が1月に比べてどの程度減少しているか、濃い赤の地域ほど大きく減少していることを示します。日本も含め先進国では、地上観測について百葉箱に象徴されるような人力による観測から自動観測に転換されています。一方、貧しい国々では、自動観測そのものにコストがかかる上に必要な電力・通信基盤の問題もあり、自動化は進んでいません。パンデミック下で地上気象観測の数が減少している地域の多くは人力で観測を実施している地域です。私見ですが、これに加えてこれらの国々では、気象業務自体が未発達で気象サービスも行き届かず、気象観測を含む気象事業がエッセンシャルワークとして認知されているのだろうかという懸念もあります。

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観測減少の影響

これらの観測データが減少することによる影響ですが、地上気象観測については数値予報精度への影響はそれほど大きくはないと考えられますが、欠測が長引くことにより地域における気候変動の基礎データが欠けることになり、温暖化対策などへの影響の方が懸念されるかもしれません。一方、航空機による観測については、特に南半球などでは他のデータが少ないだけに影響が大きいのかもしれません。特に海洋上は衛星観測に大きく依存することになります。

一方、日本付近は、偏西風の上流域に当たる中国大陸では高層観測も多く、航空機観測減少の影響はそれほど深刻ではないかもしれません。むしろ、国際情勢が悪化してこれらの地域での高層観測データが共有化されない状況が万が一発生すると大きな影響が出るかもしれません。

空白の天気図

ここまで書いてきて連想されるのは、柳田邦男氏の名著、「空白の天気図」です。広島への原爆投下が1945年8月6日、その約1ヶ月後9月17日に、室戸台風、伊勢湾台風とともに昭和の3大台風の一つである枕崎台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸、広島県での死者行方不明者は2000名を超え、全国のそれの半数以上となりました。原爆後のバラックでの生活者を襲ったという原爆投下と台風との複合災害の観点を持ちつつ、広島の気象台の職員が原爆の調査から枕崎台風への対応も含めて高い士気を持って責務を果たす様子を描いています。戦争中は天気予報は軍事統制下に置かれて軍事機密でした。

空白の天気図の直接的な意味は、台風の影響で通信回線が途絶えて九州等の観測データが伝えられず空白となった、というのがあります。しかし、当時の天気図を見ると中国も空白ですね。西からやってくる高気圧低気圧の予想は困難を極めたでしょうし、偏西風のトラフに影響される台風の北上予測も難しかったと推測されます。

気象データが軍事機密となる時代が2度と来ないことを祈るとともに、隣国との関係が今後どう推移するのか、大陸の東側の列島である日本は偏西風の下流域にあるという宿命を意識しておくことも重要かと思います。

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原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」


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