友達と川下りをした。
流されるという恐怖はあったものの、乗ってみるとめちゃめちゃ面白かった。
普段は絶対観れない風景が広がっていて、それが緩やかに流れてゆく。
まるで水面に浮く葉っぱになったみたいで、“私”というものはなく、ただただその風景の一部でしかなかった。
ものすごく心地よかった。

そのまま溶けてしまいたかったけれど漕がなければ浅瀬や窪地にはまってしまう。
川の深さや流れをみて進まなくてはならない。
流れの筋があるのだけれど、一筋縄ではいかなくて、何度か浅瀬で座礁した。悔しい。けど面白い。

日が暮れて途中下車したけれど、そこがまたものすごいブッシュで、登れる場所が見つからない。
日はとっぷり暮れて、月の明かりが頼りとなった。
紆余曲折しながらも、最終的にブッシュを最短で抜けれるルートを友人Sが見つけてくれて、最初に死ぬ気で登って先の帰路を確保してくれていた友人Aが道を切り開いてくれての脱出劇だった。

ものすごく夏だった、と、帰りの車で友人Sが言ったので、本当に、思ってた以上に夏で、
「今年は夏らしいことがしたい」と友人Aに話した私のオーダーが、想像をはるかに超えて現実化したのだと思うとなんとも言えない気持ちになって、もう何も言うことはないぐらいにそれは夏だった。

振り返ってみると笑える。
それも生きているから。

数日経った今思うのは、
道にも流れがあって、それに身を委ねると思う場所に行ける。望む風景が見れる。会いたい人に会える。必要なものが手に入る。必要な情報がそこにある。
もちろん、がっかりするようなこともあるかもしれないし、スムーズにいかないことも、どうしてもあると思う。
けど何もないなんてことはあり得ない。
必ず何かがそこにある。

普段と違う道を行くのは、少しだけ勇気がいる。けど流れが見えたらそれに沿って行ってみるといい。
私はそれと真っ直ぐ向きあってみようと思う。
それは運命の運河。
私の命を運ぶ道筋は、私にしか見えないし私しか知らない。
乗ってしまえば怖いことはない。
本質的には何も変わらない。
そして
思い切れば道は開ける。
ものすごく明るかった。
暗くても眩しくても先は見えない。
自分の足元をみて、
感じる方へ
信じるほうへ進むしかない。

そんな夏の終わり。
一皮剥けたかな。

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