ポール・バーホーベン監督に会った時の話③(終) 〜やっと逢えたね〜
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7.いざ行かん
カトリーヌ・ドヌーヴの特別講義に落選した我々は、失意の日々を送っていた。
と、言いたいところだが、意外と現実は優しい。
……まぁあれだ。そもそもこの記事が「ポール・バーホーベン監督に会った時の話」と銘打っているので、ここまで引っ張る必要が無いことはうすうす感づいている。
てなわけでカトリーヌ・ドヌーヴ落選連絡の5日後。
事務局からメールが届いた。
「ポール・バーホーベン監督の特別講義、当選のお知らせ」
はい。ごっつあんです。
これは決して不正を働いたとか、裏金を渡したとか、事務局にクンロク入れたとか、そんなことではなく純粋に勝ち取りました。
願いは届きます。
というわけで無事、撮影からの特別講義というダブルヘッダーを組むことができたのだ。
6月24日。
ポール・バーホーベン監督の特別講義の日。
前日夜から「ついに会える。この目で見れる」と張り裂けさそうな想いで胸いっぱいになり、普通に寝坊した。ごめんねカントクくん。
急いで電車に飛び乗り、カントクくんの撮影現場に到着。
なんとかギリギリ間に合ったのでセーフということにしといてくれ。
朝から順調に撮影は進行し、無事早退する時間となった。
残るスタッフに現場を任せ、渋谷行の電車へと駆け込んだ。
電車の中ではニヤつきが止まらない。
「やっと逢える。大好きな、あの人に」
顔のほころびが隠せない。ほとんど変態である。
同じく電車に乗っていたタカギくん、コンノくんもウキウキだ。
そこで私は、彼らに一発カマしてやろうと、こう切り出した。
カシマ「オレ、監督にサインしてもらおうと思って『ロボコップ』のBlu-ray持ってきたんだ!」
コンノ「ええ!いいなあ!サインのことすっかり忘れてた……」
カシマ「抜かりないんでね。ぐへへ」
コンノ「なんか持ってくればよかった~メモとかあったかな……」
カシマ、すっかり上機嫌である。
しかし、いつも穏やかで冷静沈着な労働闘士・タカギくんが、驚きの情報を口にした。
タカギ「この前カトリーヌ・ドヌーヴの講義あったじゃん」
カシマ「あったね」
タカギ「そこでカトリーヌ・ドヌーヴは『私はサインやフォトセッションはしないわ』って講義が終わったらすぐ帰ったんだって」
カシマ「マジで?!」
タカギ「学校は準備してたのに片づけたらしいよ。だから、バーホーベンも無いかもしれないね。サイン会」
予想だにしなかった。
カトリーヌ・ドヌーヴはスターだ。最後の大女優だ。
だから「サインはしないわ」というのも頷ける。
ただ……ただ……
どうしても欲しい!バーホーベンのサインが!
人の欲望というのは恐ろしい。
ちょっと前までは一目見るだけで良い。
それが叶ったら講義が聴ければいい。
それが叶ったらサインが欲しい。
一度抱いた願望を捨てることはなかなか難しい。
受け入れられない私は、力なくつぶやいた。
カシマ「でも……バーホーベンなら、やってくれるかも……」
タカギ「きっと大丈夫だよ。してもらえるといいね。無理かもしれないけど」
コンノ「色紙とか買いに行こうかなあ」
タカギはめちゃくちゃ揺さぶってくるし、コンノは一切話を聞いていない。
そして私は『ロボコップ』のBlu-rayを持って狼狽えている。
ズッコケ3人組が乗った電車は、無事渋谷駅に到着した。
8.そこに、神がいた
映画美学校に行くと、すでに入場が始まっていた。
当選メールを見せ、講義室へ入ると同時に、ダッシュで前列へ向かった。
ステージには椅子が横並びで2つ置いてある。
今回の講義は、映画美学校の講師・高橋洋(『リング』脚本)との対談形式で行われる。
少しでもバーホーベンの近くで見たい私にとって、上手側に座るか、下手側に座るか。それが問題だ。
逡巡していると、続々と聴講生が入場してくる。
ええい、迷っている暇は無い。
思い切って、下手側に座った。
あとは始まるのを待つだけだ。
何分くらい経っただろうか。
司会者がステージに来た。
「大変お待たせいたしました。それではポール・バーホーベン監督をお招きしての特別講義を開催します」
超満員の講義室。詰めかけた聴講生全員が息を呑む。
いよいよ神が、やってくる。
上手側のドアが開き、入ってきたのは高橋洋。
そのままステージを進み、下手側に座った。
目の前、高橋洋かよ。
そう思ったのも束の間、圧倒的なオーラを放ちながら、シルバーブロンドの体格のいい男性が登壇した。
バーホーベンだ……
ポール・バーホーベンだ!
登壇したときの喜びと、聴講生の万雷の拍手は忘れられない。
のちのタカギくんに言われたのだが、
「バーホーベンが来た時のカシマくん、目がガンギマってた。まるで神を見ていたようだ」
違うよ、タカギくん。
まるで神を見ていたようだ。じゃない。
オレは神を見たんだ。
講義は2時間弱の予定。
前半は自身の映画人生や、ハリウッドメジャーでの苦労話、エンターテインメントと政治性をどのように融合させるか、などたっぷりと語っていただいた。
1時間ほど過ぎ、質疑応答の時間が始まった。
もちろん手を挙げる。真っ先に。
思いっきり目を開き、高橋洋に圧を与えた。
高橋洋と一瞬目が合うものの、思い届かず。
他の方へマイクが。
そこでの質問は、作品の性描写についてだった。
監督の作品には過激な性描写が登場する。
それを撮影する際には、慎重に検討を重ね、かなり気を遣っている。とのことだった。
具体的には、
綿密に書き込んだ絵コンテを用意して、カットごとに役者の了承を得ること。
役者と議論するときは、齟齬が起きないよう映る部位の名称をぼかさずストレートに出すこと。
撮影時にはスタッフの人数を最小限にすること。
いま聞くと、当たり前の話である。
しかしながら映画界では、芸術の名のもとに不本意な性描写を役者に強要していた時代が続いていた。
最近になってインティマシー・コーディネーターの導入など、改善の兆しこと見えているが、依然として完ぺきとは言えない状況だ。
そんな現在よりはるか昔から、バーホーベンは人一倍気を遣って映画を撮っていた。
ようやく時代がバーホーベンに追いついたのだ。
やっぱりバーホーベン、すげぇ……と感動していたとき、再び質問チャンスがやってきた。
すかさず挙手!そして圧!
頼むぜ!
しかし……
またしても敗北してしまい、すっかり意気消沈。
何度かそんなことを繰り返し、ついに最後の質問となってしまった。
ここしかない。カシマ、最後のお願いにやってまいりました。
あらん限りの力を振り絞り、天高く手を上げ、高橋洋を睨みつけた!
高橋コノヤロウ!当てやがれ!
何度か目が合う。
高橋洋は「しょうがねぇな」と目で語り、ついに
「はい、じゃ、そこのキミ」
ついに来た。念願成就。
マイクが回ってくる。震える手でマイクを握り、神に質問を投げかけた。
「同時代の映画に比べ『ロボコップ』は、カットが短いように感じます。これは短くしようと決めて編集したのでしょうか。それとも監督にとって心地よいリズムだったのでしょうか」
この質問をしようと思ったのは理由がある。
まず一点は『ロボコップ』が大好きなこと。
もう一点は、町山智浩が著書『ブレードランナーの未来世紀』の『ロボコップ』の章にて
「バーホーベンは繋いだものを見て『もっとカットを短く切れ』と編集技師に厳命した」
と書いてあったからだ。
なんとなく「そうなのか」と思っていたが、少しばかり引っかかっていたので、直接本人にぶつけてみたのだ。
すると監督はこう答えた。
「私は編集には立ち合いません。優秀な編集技師にお任せしています。私の映画は、撮影や編集をはじめ多くの部分をスタッフに一任しています」
どうだ町山智浩!
オレは裏を取ったぞ!スタッフに任せてるってよ!へっへーんだ。
これだけでも貴重な話を聞けた、と満足していたのだが、さらに監督は金言を与えてくれた。
「キミも映画監督になりたいのなら、信頼できるスタッフに任せることです。自分一人では、頑張っても100点しか出せません。でも優秀なスタッフがいれば、150点にも200点にもなります。その代わり、人材の見極めは大事ですよ。頑張りなさい」
質問に答えてくれただけでなく、こんなしょうもない映画学生にエールまでくれたのだ。
監督……オレ、頑張ります!
改めて決意を胸にしたのだった。何の因果かいまはポッドキャストで映画語ってるけど。
9.地球に産まれてよかった
敬愛する監督に直接質問ができた。
しかも温かい言葉までいただいた。
喜びに浸っていると、あっという間に終わりの時間が来てしまった。
登壇してきた事務局員が締めに入る。
「……これにてポール・バーホーベン監督の特別講義は終了となります。みなさん大きな拍手でお見送りください」
聴講生たちはまたもや万雷の拍手。
監督は立ち上がり、笑顔で手を振って降壇しようとしていた。
そのとき、事務局員が衝撃の案内をした。
「なお、サイン会・フォトセッションはございませんので、終了後はお帰りください……」
やはりそうか…
想定していたとはいえ、やはりグラっとくるぜ。
もう監督は出て行こうとしている。
ここを逃せば次は無い。
そう思った刹那、体が勝手に動いていた。
カバンの中の『ロボコップ』Blu-rayを手に取り、やわらに立ち上がった。
そして監督に駆け寄り、
「プリーズ、サイン、フォー、ミー」
驚く監督、睨みつけてくる事務局員、何してるんだあいつはという視線が聴講生全員から降り注ぐ。
でも、
こっちは命賭けてるんだ。
すまないが、ここは図々しくいかせてもらう。
放校になっても構わない。
人間には、戦わねばいけない瞬間があるのだ。
そんな思い有り余るオレを察してか、監督は優しくでサインをしてくれた。
そしてサインを終えると、とびきりの笑顔で退場していった。
ああ、良かった。
席に戻ったオレに、周りの聴講生が声をかけてきた。
「いいなぁ!サインなんてもらえないと思ったよ!」
「羨ましい!」
鼻高々だった。
本当に嬉しかった。
監督に頂いたサインがこれだ。
傷つかないようタオルに包み、ジップロックに入れ、カバンに丁寧にしまった。
さあ、あとは事務局に捕まらないようにさっさと帰るだけだ。
そそくさと学校を後にしようとしたとき、切迫詰まった顔の事務局員・ハヤシさん(仮名)が近づいてきた。
ヤバい!と覚悟を決めたのだが、ハヤシさんは、
「オレも欲しかったよ……見せてよ……」
結局ハヤシさんも映画ファン。
みんなでポール・バーホーベンのサインを眺めていた。
10.お楽しみはこれからだ
ハヤシさんは事務局長に呼ばれてその場からいなくなり、我々も三々五々。
興奮冷めやらぬまま友人らと出口へ。
他の聴講生たちも喜色満面。
意気揚々と学校をあとにしようとしたのだが、ある光景が目に入った。
さっきのハヤシさんが顔面蒼白で走り回っているのだ。
カシマ「ハヤシさん、どうしたんですか?」
ハヤシ「あの……どうしよう……」
カシマ「もしかして、監督怒らせちゃいました?」
ハヤシ「めちゃくちゃ怒ってんだよぉ……」
ヤバい。
上京してまだ1年弱。
こんなに早く荷物をまとめる日が来るとは。
ありがとう、東京。
いい夢見させてもらったよ。
カシマ「それってまさか、サインの……」
ハヤシ「そう。急いで準備しないと……」
カシマ「え?」
ハヤシ「監督、『サイン会を開くぞ』って怒ってんの」
なんということだ。
慈悲深きポール・バーホーベン監督は、今回の聴講生のためにサイン会を開くと言い出したのだ!
カトリーヌ・ドヌーヴの件があったので現場は大慌て。
当然サイン会の準備なんてしていなかった。
騒然とするロビー。
「ひとまず外で待ってて!」と差し迫った声で案内があった。
ぞろぞろと聴講生たちが出てきて、学校の外で待機。
本当に監督は来てくれるのだろうか……
と、その時!
監督がやってきた!
渋谷円山町の薄汚い通りに、偉大な巨匠ポール・バーホーベンがいる。
監督を前に自然と列ができて、みなみなノートやらメモやらを手に待ち構えていた。
当然オレも並んだ。
友人から「カシマくんはもうサインしてもらったじゃん」と真っ当すぎるご指摘を賜る。
うるせえ。
サインの次は写真だ!
監督は聴講生たち一人ひとりにサインをし、声をかけ、ツーショット写真を撮っていた。
サービス精神の塊だった。やっぱりあんたは最高だ。
いよいよ不届き者・カシマの番。
目が合うと監督はにっこりと微笑んでくれた。
オレは震える声で、
「サンキュー、フォー、アンサー、マイ、クエスチョン」
と抜群の英語力で感謝を伝えると、監督は目を細め、
なにかを言った。
カシマの耳は日本語専用なので、なにもわからなかった。
ちきしょう。もっと勉強しとけばよかった。
ともあれ写真だ。
後ろにいた友人にスマホを渡し、監督の横に行くと……
監督が肩を組んでくれたのだ!
いままで見ていても、肩を組んで写真を撮った人はいなかった。
これはうれしい。
タカギくんやコンノくんはじめ同級生たちも、無事サインと写真をもらえた。
じゃあ、いつもの店で一杯やるか!
と我々御用達の中華屋へ足を運ぶ道すがら、
「東京最高!」
と、渋谷のど真ん中で田舎もん丸出しで叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
こうして、夢の時間は終わった。
間違いなく、人生最高の夜だった。
もっともっと頑張ろうって、心に誓った。オレのバックにはバーホーベンがいるんだぞ。
そんなこんなで気合十分のカシマなのだが、
翌日以降の撮影ラッシュでとんでもないトラブルが続出したのは、また別のお話……
(おわり)
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