哲学と宗教全史を読んで

年末・年始は少ないながらも本を読んだ。なかなか最後まで読み進まなかった「ニュータイプの時代」を読んだ後、「哲学と宗教全史」を読んだ。

一昨年・昨年と記憶に残る議論の中で、僕が困った時に相談していた人が「デザインは突き詰めると哲学に行き着く」「これから最も必要なのは哲学」のようなことを言い、彼の西洋哲学の知識と自分が多少知っている東洋哲学(と言っても百家争鳴程度だが)について議論をした。

毎年一緒に登山をする業界のレジェンドのお子さんが高校生にして世界のハッカーコンテストで優勝するほどの天才プログラマーなのだが、そのお子さんがアメリカ留学にあたり選択した学問が哲学だったようだ。「自分はそのままコンピューターサイエンスみたいなものを勉強するかと思ったけれど、プログラムを突き詰めるとその言語の思想にたどり着き、その思想を作った人間に興味が行く。考えを突き詰めると「人間とはなにか」ということに行き着くらしい。自分は息子がそういった結論に行き着いたことを誇りに思う」と満足げに話されていた。そういった経緯と宗教への考え方はアップデートせなかんなと思いこの本を読んだ。

全体の内容は分かりやすく意外とすっと読めた。これは僕が哲学者の名前だけは知っていたこともあるだろう。ただ、途中、カントやデカルトあたりからだんだん内容が難解になってきですがスッと理解できんかったので読み直さないとと思う。

「哲学」という言葉の性質から致し方ないけれども、中世以降は話題はヨーロッパに偏る、それはヨーロッパに哲学を学ぶ学府(大学)がたくさんあったことに起因するだろう。学府がたくさんあるといろいろな学派ができて摩擦が生じる。摩擦は互いの知性を磨く。西洋の哲学はキリスト教との関係は切っても切り離せずそのキリスト教を学ぶ神学と哲学は近しい関係にあったためでもあるだろう。神学と共に哲学は発展していった。

哲学は紀元前500年前後にヨーロッパ、オリエント、インド、中国で当時に火が立ったように思想家が生まれそれの考えは周りに伝播し、様々な摩擦を通じて磨かれた。哲学は元々世界とは何かと捉えるのが主題だった。この本でもあるようにヨーロッパ、ギリシア、オリエントあたりは世界を想像した神(一神教的な神でGodだろう)が存在し、天地を想像した神との向き合い方やこの世界はなんなのか考え明らかにするのが哲学や宗教のテーマだったのかなと思った。宗教はその世界を作った神とその神の詔を伝える預言者の言葉からなる物語を伝え、哲学はそれを受けて神や世界をどう捉えるか考え議論したい。考えるに一神教が発展していった地域は自然の影響が強く(或いはその因果で貧しく)、人がその日生きるのに大変だったせいもあるだろう。また、民族の結束(ユダヤ人)、巨大帝国の安定と維持のために宗教が利用されたこともあるだろう(アケメネス朝、ササン朝、ローマ帝国など)。

それとは別に人の生き方について問う哲学もあった。自分はなぜ生きているのか、正しい道を歩むことが自分はもちろん家族、国家のためになる。この修養の考え方はギリシアから始まるストア派、仏教、儒教に通じる。これらの哲学は前者に比べると考える人の安全は確保されていてその中で自己充足と周りの不幸をベースに考えられたのではないかと思う。なので、貴族や君主には支持されたが、そもそも安全が確保されていない民衆には広まらなかった。

ヨーロッパは貧しかったし、ローマ帝国などの巨大帝国が民主をまとめるためにキリスト教を上手く使いキリスト教も寄生を経て民衆に根差した不思議な力でヨーロッパに君臨した。中世に入り元々ギリシアで発展した哲学がイスラム社会を経由してヨーロッパに逆輸入されたり、大海原に出て新天地に旅するものが出たり、天文の技術が進歩したりと神中心の世界から神と人と距離を置くようになったり、地動説に代表されるこの世界の姿が別の形でわかるようになってきた。哲学や神学が定義してきた世界が技術の進歩により別のカタチで分かるようになってきたのだ。

哲学や宗教の歴史は人間の知性の進歩の歴史と言っても過言ではないと思う。知性・知力が低く安全が充たされて無い人は不都合を外界のせいにし、あるいは助けを求める。知性があり、安全的に恵まれてている人は不都合をじぶんが変わる事で回避しようとし自分を成長するために鍛錬する。これは大なり小なり今にも当てはまることかも知れない。

ざっと思ったことを文字に書き殴ってみたけど、もう一回読み直して見て自分の理解と知性を深めたいと思った。

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