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アショーカ王についての長いメモ

アショーカ王という人物について、聞いたことのある人はいるとおもう。
アショーカ王は古代インドのマウリヤ朝の3代目の王様で、紀元前268年ごろに王位につき、インド亜大陸を歴史上はじめてほぼ統一した偉業を成し遂げた。インドのえらい王様だ。
インド亜大陸をほぼ統一した王様は、アショーカ王のほかには、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝くらいだ。その後大英帝国によりインドは支配されるが、そうかんがえるとあの広い地域を統一できる力を持っていた王のすごさがわかってもらえるだろうか。

この記事は、アショーカ王について知りたい人のためになんか軽くまとめるか〜くらいの気持ちで、手持ちの資料を漁りつつ書いている。
アショーカ王研究はとてもすすんでいるので、ここにその全てをまとめることは無理。なのでここではアショーカ王のざっくりとしたエピソードや、インドぜんぜん知らなくても読めそうな参考文献から紹介できればいいなと考えている。


アショーカ王についてわかっていること。

アショーカ王はマウリヤ朝の王様だった。
マウリヤ朝というのは、インドの北東のほう、マガダ国があった場所に興った王朝だ。アショーカ王のおじいちゃんである初代王はチャンドラグプタで、アレクサドロス大王と同じ時代の人であると考えると、アショーカ王の生きた時代がなんとなくわかるかもしれない。
ちなみに領土が最大だったころのマウリヤ朝はこんなかんじだ。
現代のアフガニスタンあたりまで領土だったと考えられている。

右上のパータリプトラってのが首都だ。花の都とよばれ栄えたマガダ国の都だ。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Maurya_empire_in_265_BCE.jpg

さて、仏教の伝説によると、アショーカは父王ビンドゥサーラの死後に兄を殺して王位を奪った。アショーカ王は非道な政治を行なった暴君であり、「暴虐のアショーカ(チャンダ・アショーカ)」と呼ばれて恐れられていた。彼はインド征服をじゃんじゃんすすめ、即位8年目あたりに東インドのカリンガ国を征服し、南インドの南端を残しほぼインド亜大陸を征服した。
しかしカリンガ国との戦争で数十万人の犠牲者を出したことを後悔し、仏教に深く帰依するようになり、「法のアショーカ(ダルマ・アショーカ)」と呼ばれるようになったという。
彼は仏教教団を保護し、もともとあった8つの仏塔(お釈迦様の遺骨がおさめてある塔。ストゥーパという)のうち7つを開いて仏舎利を分け、8万4000の仏塔を建てた。仏教経典の編纂事業を援助し、王子を南方のスリランカに派遣して仏教を伝えたとされている。
晩年は財産を寄進しすぎたので幽閉されたとか、最期は食べ物のアーマラカまでも寄進したとか悲しい話もある。

碑文によると、アショーカ王は在位中にダルマ(人が生きるために守る規範)による政治をすることを決め、国のいたるところに石柱をたて、岩山にも法勅を刻んだ。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ashoka_pillar_at_Vaishali,_Bihar,_India.jpg
ヴァイシャーリーにあるアショーカ石柱。上にライオンさんがすわってる。かわいい。
石柱の上にはライオンが有名だけど、ぞうさんのタイプもある。

碑文にはアショーカ王の思想がぎっちり刻まれている。
・民のために政治をすること
・裁判を公平にすること
・街道沿いに木を植えて井戸を作り休憩所を作り街道を整備すること
・無益な殺生をしないこと
・人や動物のための病院をつくること
などが書かれている。そして実際それらが実行されていたということもわかっている。
碑文はマガダ地方の俗語のプラークリット語(古代インドの言葉)で、文字はブラーフミー文字やカローシュティー文字がある。ほかにもいろいろあってアフガニスタンにはギリシャ語でかかれた碑文も発見されてる。
石柱はいまでも残っていて、インドに行けば実物をみることができる。

サールナートの石柱の上の部分。インドの国章の元ネタになってる。ツヤツヤの砂岩すごい
https://en.wikipedia.org/wiki/Pillars_of_Ashoka#/media/File:Sarnath_capital.jpg

アショーカ王は仏教だけに傾倒していたわけではなくて、碑文を読むとジャイナ教やバラモン教やアージーヴィカ教など、どの宗教も尊重していたようだし、そもそも彼が推進した「法(ダルマ)」の政治のダルマっていうのは、人が生きる上での規範のことで、親を大切にしましょうとか、正しくいきましょうっていうものだったので、当時の仏教の教えのみを強調していたわけではない。王位についたときはバラモン教の儀式もやってるし。

アショーカ王が建てた仏塔のいくつかはまだインドにも残っている。サーンチーにあるストゥーパ第一塔の基盤はマウリヤ朝時代のものなので、おそらくアショーカ王が建てたものの一つだろうと考えられている。

サーンチー第一塔と呼ばれるストゥーパ。めちゃでかい。中心部以外の部分や周囲の囲いとかは後世に増築された

周囲の彫刻などはシュンガ朝時代以降に増築されたもので、アショーカ王の姿だと思われるものが彫られている。傘は王権の象徴なので、中心の人物がアショーカ王だろう。

サーンチーのストゥーパにはアショーカ王とおもわれる人物が彫られている。
ほかの地域のストゥーパなどの仏教遺跡にはあまりないらしい。

ちなみに、デリーにある有名な錆びない鉄柱は「アショーカ・ピラー」(アショーカ王の柱)と呼ばれているけど、アショーカ王がたてたものじゃない。たしかにグプタ朝時代の鉄塔がたってるのはすごいんだけど。アショーカ王のは石塔。鉄塔はちがうとおぼえておこう。ちなみにデリーにはアショーカ王の本物の石柱もあるのでややこしい。

アショーカ王伝説と史実の狭間

アショーカ王についてわかっていることはおおきくふたつある。
一つは、アショーカ王の遺した碑文。
アショーカは王になったあとにインド中に(ていうかマウリヤ朝の領土となったところに)「これからは!こういう政治をします!」と所信表明みたいな内容を彫った石柱をたてた。あと岩山とかにもいっぱい文章を刻んだ。
内容は似てるところと違うところもあって、在位中にいろんな内容の碑文を残しているので、刻まれている文章は考古学的な資料として重要視されている。多少盛ってるとしても信頼できる。
ちなみに碑文にはアショーカという名前よりも「神々に愛された王」などと書かれていることのほうが多い。
具体的にどんなことが書かれているかは翻訳した本がたくさんあって安価なものもあるのでそっちを読んでもらえればとおもう。

もうひとつは、仏典などアショーカ王に書かれている文献
こちらには、王様になるまでの物語なども書かれているが、史実なのか伝説なのかわからない。
ていうのは、これはアショーカ王伝説だけではなくて、インドは史実を残すことにそんなにこだわりがなく、口承伝承のほうが書物よりも格上な伝統もあったりする。あと、後世の人がなんかいいかんじに書き加えていくことも多くて、古代なんて特に形になるまでに数百年かかっている文献ばかりなので、書かれてあることが史実である可能性は低い。
もちろん文献の研究はすごくすすんでいて、おそらくこの時代だろうという推測ができることはあるんだけど、考古学的な証拠が残ってないことのほうが多い。また、地方にちらばっている資料はそれぞれ内容が違ってる。

そんなかんじなので、アショーカ王について書いてある物語も、伝説とか誇張もいっぱいあるよね、いっぱい盛ってるだろうね、書いた人の気持ちや思想もたくさん入ってるよね、というのを差し引いて読む必要がある。

アショーカ王について書かれている文献

アショーカ王について載っている仏典関連の古い資料は、大きく分けて二種類ある。
一つは北方に伝わる『阿育王伝』『阿育王経』、サンスクリット語の『ディヴィヤ・アヴァターナ』などの仏教系の経典類。
もう一つは南方に伝わるスリランカの史書『ディーパヴァンサ』『マハーヴァンサ』などの資料。
あと『ブッダ・チャリタ』の最後に載ってるお釈迦様の遺骨分けの伝説にもアショーカ王が登場する。
どちらもインドではなくインドの外に伝わっていて、仏教徒にとっての理想の王の姿が記されている。
ヒンドゥー教関連のプラーナ文献とかジャイナ教の文献にもアショーカ王は登場するけど、そちらは詳しいことは載ってない。あとアショーカ王の物語は日本にも伝わっていて、今昔物語にはアショーカ王(阿育王)の物語がいくつか入っている。

北方伝承と南方伝承の内容は、似てるところもあるけど違うことが多い。北方の内容が南方のに入ってることもあったりするけど、編纂した人も時代も仏教思想も違うので。
たとえばアショーカ王が若い頃に暴君だったというお話は共通しているけど、アショーカが99人の兄弟を殺して王位を継いだというのは、南方伝承にあるお話だ。一方、北方伝承では兄弟のスシーマ王子を殺したのは大臣であり、アショーカが直接手を下したわけではない。しかし王位についたあと話をきかない大臣たちを500人殺したとか、自分の容姿をばかにした宮廷の女性たち500人を焼き殺したとか、地獄を作って殺人大好きな門番を置いて、そこに入るものをじゃんじゃん殺させたとある。(ちなみにこのあと改心した)

南方伝承と北方伝承は、どちらもアショーカが暴君だったことが誇張されているけど、兄弟の数も名前も一致しなくて書いてあることもちがう。
まあこれはインドあるあるなのであまりきにしないことにするとして、どっちの文献も書かれてるならアショーカ王はよほど酷いことをしたに違いないと思うのだが、碑文の内容からは、アショーカが王位を継いだあとにも兄弟は生きていたぽい。なのでおそらくこういうエピソードは、アショーカ王が仏教に改宗したことをものすごく印象付けるために、後世に盛られた後付けの話だろう、と考えられている。

また、アショーカ王は仏教だけを保護したわけはないけれども、仏教関連の文献ではアショーカ王の前世はお釈迦様に土をお布施した心清き子供で、その徳によって転生後に転輪聖王になるだろうと予言されてる。
伝説の中でアショーカ王は理想の王様とされてて、碑文に書かれていることと乖離していることも多い。もちろん碑文に書かれてないこともたくさんある。みんなの理想で逸話にバフかかっていくみたいなかんじ。そこにはまた当時の仏教徒たちの理想と希望と信仰がいっぱいこめられていたんだろうなあと。

そんなこんなで、考古学的な資料からみたアショーカ王と、仏典で聖王とされたアショーカ王には違いがある、ということは理解しておいたほうがいいとおもう。

でも、それが伝説というものだろう。「こうあってほしい」という人々のねがいが、信仰が、英雄を作りだすので。

日本語で読める参考文献

前述したとおり、アショーカ王研究はとても進んでいるので日本語で読める本はたくさんある。しかし、絶版のものや、入手できても大変高額なものも多くて難しい。以下にいくつかあげるので、アショーカ王について知りたい人は読んでみるといいとおもう。
入手しやすい本についてはアマゾンにリンクを貼っているけれども、絶版で高額なものについてはリンクしてない。専門的な本は事前知識がないと読んでも目が滑るし、有名な研究の本はどれも少々時代が昔のものだったりする。高い本が役に立つわけではない。なので、まずは入手しやすい軽い本を読んで、その後図書館で探すとかしたほうがいい。

昔のアショーカ王研究の御本は、アショーカ王を理想化してるなあと感じる部分もあったりするんだけども、どの先生もガチで碑文読んで翻訳して仏典も読んで比較研究してるインド研究の超有名な第一人者で、そういうめちゃつよつよ先生たちの御本なので、興味がある人はまずはよんでみていいとおもうです。

初心者も読めて入手しやすい4冊

中村元『原始仏教』ちくま学芸文庫 第六章 アショーカ王のことば
やさしい言葉で初心者向けにインドの仏典について語っている本。どこから読んでも問題ない短編集みたいなかんじなので、第六章から読んでも大丈夫。第六章はアショーカ王についてまるまる語っているので、まずはこの部分を読むとざっくりとは理解できるとおもう。26ページ分くらいある。アショーカ王がどういう人物だったのかを碑文を読み解きながら考えていくみたいなそんな内容。中村元先生はたぶんすごいアショーカ王のことがお好きなんだろうなあ…気持ちがたくさん入ってる…ってなる。

中村元『古代インド』講談社学術文庫 第六章4 アショーカ王の政治
古代インドの歴史を順を追って細かめに解説してある本。『原始仏教』よりお堅い文体だけど、初心者でも読める。こちらの本ではアショーカ王の実績や歴史の中での彼の偉業などが詳しめに書かれている。少々内容は古い本なのだけども、入手しやすいのでおすすめするね。中村元先生は本当にアショーカ王がお好きなんだな…っておもう。

『アジア人物史 第1巻  神話世界と古代帝国』集英社
 古井龍介「アショーカ ある帝王の生と死後生」
アショーカ王について書かれた本の中ではここ数年で出版された新しい情報の本。執筆されたのは古代インドがご専門の古井龍介先生。お値段は4000円超えるのでお安くはないが、他の地域の王様たちの物語も読めるので古代史好きな人にはよい本です。始皇帝もいるよ!装画はジョジョの荒木先生。かっこいい。
『阿育王伝』などの北方伝承のアショーカ王伝説の詳細なあらすじと、碑文などの考古学的資料の概要に加え、理想化されがちなアショーカ王についてフラットな視点で述べられている。
また、「死後生」として中国やチベットの事例や、スリランカにある南方伝承の『ディーパヴァンサ』等のあらすじにも触れている。インド近代以降の独立運動におけるアショーカ王の位置付けなどにも触れられているので(インド国旗の法輪とか国章のアショーカ王石柱のライオンさんとか)、はじめてアショーカ王を知る人にとってもとてもよい。
はじめに紹介した中村元先生のご本2冊を読んだあとに読むと、より理解が深まるとおもうし、あえて読まなくてこの本だけでも大丈夫だとおもう。

水島司『一冊でわかるインド史』河出書房新社 第一章
残念ながらアショーカ王については5ページくらいしか書かれていないので、アショーカ王を知るためだけに読むには相応しくないかもしれない。でも、インド史全体が知りたいとか、歴史の中でのアショーカ王の位置付けが知りたい初心者さんは読むと頭が整理できるかもだ。インドの歴史といえば水島司先生の御本。中村元先生の『古代インド』で王朝名の羅列に挫折した人は、こちらを先に読むといいかもしれない。

だいたいこのあたりまでを読めば、アショーカ王やインドの歴史についてざっくりとわかるとおもう。

入手しやすいが専門的

塚本啓祥『アショーカ王碑文』レグルス文庫 Kindle版
仏教学者の塚本啓祥先生がアショーカ王の碑文を丁寧に翻訳しているのでほんとうにすごい。ていうかアショーカ王の碑文がワンコイン以下で読める、かつKindle Unlimited入ってたら0円とかバグとしかおもえない。ただし内容は専門的なのでアショーカ王について知らないと突然読んでもよくわからないし、とても古い本の電子書籍版なので読みにくいかもだ。でも、存在してくれていることがありがたい本。初心者向けの本を読んで、アショーカ王の碑文に何が書かれているのか知りたくなったら読んでみたらおもしろいかもだ。

とりあえずここまで読めば、高額な本に手を出さなくてもアショーカ王についての全体像は掴めるし、碑文も読めるので問題ないとおもう。

以下は、もっと深掘りしたい人のための専門的な本。

入手が難しい(絶版)

山崎元一『アショーカ王とその時代』春秋社
古代インド史の解説も入れつつ、マウリヤ朝とアショーカ王について詳細を伝える本。北方と南方の文献の比較もあるしいちおう一般書の体裁でまだ読みやすいほうだが、初心者はこの本を読む前にある程度インド史を履修したほうがいいとおもう。ちなみに山崎元一先生の『アショーカ王伝説の研究』(春秋社)は、もっとすごく専門的で難しい。

定方 晟『アショーカ王伝』法藏選書
アショーカ王伝の一つである『ディヴィヤ・アヴァダーナ』のアショーカ王に関する部分のサンスクリット語からの日本語訳。『ディヴィヤ・アヴァダーナ』は3〜4世紀ごろに成立したと考えられていて、北方伝承の『阿育王伝』と内容がかなり似ている。ちなみに著者の定方先生は大学時代の恩師。授業でアショーカ王や仏教の歴史をおしえてもらったことが懐かしい。

参考まで:入手できるが高額で専門的

世界歴史大系『南アジア史 1 先史・古代』山川出版社
第三章 十六国時代からマウリヤ帝国へ
インドの歴史はこのシリーズが最適。歴史の山川出版社の歴史本なので安心。アショーカ王の伝説よりも、史実としてマウリヤ王朝がどうであったかについて多く書かれている。お小遣いに余裕があってインドの歴史が詳しく知りたい人は持っていてもいいかもだけど、お高いし専門的なので図書館に行って必要なところだけ読むのでOK。ちなみに『アショーカ王とその時代』の山崎元一先生が編纂されている。

中村元『中村元選集 決定版 第六巻 インド史 II』春秋社
マウリヤ朝やアショーカ王について、仏典などインドの資料やギリシャの資料などから分析し、もちろんアショーカ王の碑文の翻訳もありの、鈍器の厚さの一冊まるまるマウリヤ朝本。値段も高く専門書なので初心者にはとてもおすすめできないが、中村元先生がアショーカ王がお好きなのかがわかる。先におすすめした『原始仏教』『古代インド』にはこの本の内容が凝縮されているので、あの2冊を読めば大丈夫ではある。


あと『アジア仏教美術論集 南アジアI(マウリヤ朝〜グプタ朝) 』にはアショーカ王伝については岡本健資先生の研究「アショーカ王と仏伝」が載っている。他にも古代インド美術からの論文がたくさん入っているが専門的な内容なので初心者にはおすすめしづらい。

ほかにもマウリヤ朝時代についての本はいろいろあるけれど、絶版のものが多いので割愛。

まとめ

アショーカ王についての研究はとても多い。どうしてだろうと考える人はいるかもしれない。でもこれは簡単なことだ。
どうしてもなにも、古代インドで読める碑文を山ほど残してくれた王様はアショーカ王くらいしかいないから。
インダス文明からアショーカ王までの間は、この手の考古学的資料がまとまって発見されたことはほぼない。もちろんもっと前の時代の碑文は発見されているし、マウリヤ朝あたりだとカウティリヤが書いたとされる『アルタ・シャーストラ』などの文献資料、仏典などもたくさんあって研究もすすんでいるんだけど、後世に上書きされることがあたりまえの資料たちなので史実とは言い難い。

つまりあきらかに史実とわかるような資料はアショーカ王から始まっているといってもいいくらいで、アショーカ王のように碑文を山ほど残してくれた王様はいないのだ(大事なことなので二度)なので古代インド史に興味をもった人はかならずアショーカ王にたどり着く。

実はアショーカ王碑文の文字は、石柱がたってから700年後くらいにはだれも読めるひとがいなくなってて、その後インド国内で仏教は滅びてしまったので王の存在すらも長らく忘れ去られていた。
ところが英国植民地時代に古代のカローシュティー文字とブラーフミー文字の解読がすすめられ、アショーカ王の碑文が解読された。これはインドを統一した偉大な王が古代にいたという証拠になり、独立運動の機運をたかめるきっかけになる。
仏教徒の中で伝説の王として信仰されてきたアショーカ王の物語とは関係なく、とつぜんインド国内で史実の王が復活した、みたいな。で、独立後のインドの国旗にはアショーカ王の石柱にあった法輪が描かれ、石柱のライオンさんが国章になった。

つまりアショーカ王は古代の王様というだけではなく、インド独立運動の中で現代インドの象徴となってしまったのである。仏教徒はもちろんのこと、仏教徒じゃないインド人にとってもアショーカ王はインドという国そのものとして、心の拠り所となる、大切な存在になっている。

古代インドではアショーカ王の時代が大きな転換点というか歴史の重要ポイントになっている。史実がなんとなくふんわりして誤差100年200年は当たり前なインドで、古代に碑文をここまで残してくれた人は本当にいなくて(三度目)、過去の研究者さんたちはたくさん研究したきもちもわかる。

おまけに碑文に書いてあることは、過去を反省し、さまざまな宗教を尊重し、民のために生きると宣言した、そして実際それを実現したというインドをはじめてほぼ統一した王様の言葉なわけ。
王様が反省?王様なのに俺えらいんだぜっていう自慢ではなくまず反省から?すごくね?民のための政治???古代で???
そういうところが、現代の価値観にてらしあわせるとあまりにもよい王様すぎて、調べていくうちにこんなん理想の王様じゃん!てなる。で、だいたいの人はアショーカ王を好きになってしまう。

実際のところ、アショーカ王のダルマの政治は彼の代以降は長く続かず、マウリヤ朝は衰退し、彼の思想は忘れ去られてしまう。刻まれた碑文の古代文字は数世紀後にだれも読めなくなってしまったかなしみ。
しかし2000年以上を経て碑文は解読され、偉大な王の姿が明らかになる……
なんかそういう歴史ロマン的なものも、そういうのひっくるめて、好きになる人は多いんじゃないかな。

個人的には、インドの神話と歴史が彼のところで別れるとか、そんな感じがしている。神話と歴史が曖昧な世界が突然アショーカ王の時代からパアアアッってひらけるっていうかそういう。「ここからが人間の世界」みたいな。
伝説の王様は本当に実在したんだ、ラピュタは本当にあったんだ!みたいな。私にとってのアショーカ王の存在は、そういう転換点。

この記事がきっかけでアショーカ王に興味をもって、カローシュティー文字とか読めるようになって碑文を解読するような人がでてきたらいいな、という未来への希望を込めつつ。

おしまい。

ここまで読んでくれてありがとう。
あなたに神々に愛された王からのお恵みがありますように。

こんな本書いてます。


蛇足のおきもち

おっと気づいたら1万字超えてしまっただぜ。
古代インドオタクの魂がうっかりあらぶってしまった。
この長い長いメモをつくるきっかけになったのは大好きなFGOというゲームにアショーカ王(ゲーム内表記はアショカ王)が登場したから。
アショカ王が登場して全俺が泣いた。魂が狂喜乱舞。インドが来た。
真名がわかった瞬間、動悸がやばかった。しばらく天井をみあげてフーーーって深呼吸した。目を閉じ、目頭をおさえて心をおちつけたあと、もう一度画面をみた。やはりアショカ王だった。マジで手が震えた。
漫画でよくみる「まって……尊い……」みたいなポーズをとる自分。本当に尊いと思ったときには同じことしちゃうんだ、という発見。

お姿から、もしかしたら、とはおもっていた。
ターバンと長い髪、金のアクセサリーなど古代の王様の特徴がある。
でも本当に来るとはおもわなかった。期待したぶん外れるとしんどい。
二部4章の王様はアショーカ王かなと予想していてたこともあるしなにかのたびにアショーカ王はでてこないかとずっと待っていたけど、まさか古代史からはこないだろうと思ってあきらめていたところにアショカ王。やばい。あの瞬間に寿命が100年のびた。推しは健康によい。
ちなみにアショーカ王はアショカ王とも表記されることはあるんだけどもインド系の言語(おおざっぱ)ではOは長音になるのでいちおう「アショーカ」が正しい。でもアショカ表記にしたのは理由があるのかもしれないしFGOの世界のお話なので我々の世界とは違う世界の話なのできにしないです。ていうか実装されるともかぎらないのによくこんな記事書いたな自分?と冷静になってはいけない。

FGOに登場するアショカ王がこれからどんな位置付けになるのか、現代のゲームではどのような解釈になるのか、とても楽しみにワクワクしている。
いつか実装されると期待している。天の車輪〜〜!!転輪聖王〜!
ゲームの中に登場する彼はもちろん私が知ってる王とは違う。でもそれは、現代の日本に、またあたらしい物語が紡がれていくということだ。
そうかんがえたらすごいたぎるのだ。

『葬送のフリーレン』で、ヒンメルが銅像たくさん残すじゃない?自分がいなくなったあとにフリーレンがさみしくないように、って。そして彼の死後にフリーレンはそれを辿っていく的な。読者の私たちも、もうこの世にはいないヒンメルの像をみて胸が痛くてギュンってなって、ヒンメルありがとうって気持ちになるあれ。
あれと同じなの。私にとってのアショーカ王は。アショーカ王の碑文の写真やストゥーパをみると、アショーカ王ありがとう。古代にあなたがいたことは、2000年以上経った未来の私たちに届きました。って思うの。古代インドには他にそういう証拠を残してくれた王様がいないから特に。で、夢中になるっていうか。

そして、古代インドに興味をもったみんなたち〜!
ようこそ沼へ!!!おいでよ古代インド沼!

アショーカ王にはガチ聖地がたくさんあるしインドでストゥーパ巡りやサールナートの石柱巡りなど聖地巡礼ができるよ!!
いつかインドにいこうな!!!!


おしまい。

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