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「オムニバス形式」から考える アニメ『小林さんちのメイドラゴン』の素晴らしさ

 0.この文章でやりたいこと

  絶賛放送中の神アニメ、『小林さんちのメイドラゴンS』を布教するとともに、メイドラゴンの素晴らしさについて、かわいい、作画がすごいといった素晴らしさを語るのではなく、「オムニバス形式」だからこその素晴らしさを語っていきたいと思います。

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1.『小林さんちのメイドラゴン』はいいぞ。

 『小林さんちのメイドラゴン』は、ドラゴンと人間の異種間の交流を描いた日常系アニメです。システムエンジニアでメイドオタクの「小林さん」に、偶然命を救われたドラゴンの「トール」は、色々あって小林さんの家でメイドとして従事することになります。

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 トールが人間界に順応していく中で、人間界にはトールを慕うロリっ子の「カンナ」、

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人間とドラゴンの交流を観察するセクシーな「ルコア」、

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イケメンでありながらゲーム中毒の「ファフニール」、

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人間との調和を望みおいしいものに目がない「エルマ」

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人間の小林さんとドラゴンのトールの仲を疑問に思う「イルル」

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といったドラゴンたちが矢継ぎ早に表れていきます。

 様々な価値観をもったドラゴンたちと人間が楽しく、時に真剣に交流する日常をこのアニメでは見せています。

 このアニメは『響け!ユーフォニアム』『けいおん!』『涼宮ハルヒの憂鬱』を手掛けた天下の京都アニメーションが制作しているだけあって、その素晴らしさは枚挙にいとまがありません。とにかく一話だけでも見てその雰囲気を掴んでほしいです。

2.二期『小林さんちのメイドラゴンS』の良さについて

 現在放送中の『小林さんちのメイドラゴンS』は、2017年に放送された『小林さんちのメイドラゴン』の続きの物語となっています。

 アニメシリーズ第二期である『小林さんちのメイドラゴンS』は、アニメ第一期よりも益々素晴らしい作品となっています。

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 fhanaさんの歌うOP、『愛のシュプリーム』が文字通り最高(Supreme)であったり、カンナちゃんが可愛かったり、京アニの作画のよさであったり、キャラデザの門脇未来さんによる魅力的なキャラの服装であったり、深いメイドに対する洞察であったり、声優陣の歌うED、『めいど・うぃず・どらごんず❤︎』の映像演出であったり、カンナちゃんが可愛かったりと色々な角度からこのアニメの素晴らしさを語ることは出来るでしょう。しかし、それらは多分既に語られていることだと思います。

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 そこでこの文章では『小林さんちのメイドラゴン』に採用されている「オムニバス形式」の良さについて語っていきたいと思います。上に挙げたメイドラゴンの良さは「オムニバス形式」とのかけ合わせによってより素晴らしくなっているというのが僕の考えです。

3.「オムニバス形式」とは?

 『小林さんちのメイドラゴン』では複数の短編を繋ぎ合わせて1話が構成されています。このような構成のことを「オムニバス形式」といいます。     「オムニバス形式」を採用する『小林さんちのメイドラゴン』では短編と短編が顔文字や文字のシーンチェンジによって繋がれ,、複数の短編がひとつのまとまりを作って1話分のアニメになっています。

  この「オムニバス形式」は原作者「クール教信者」さんの漫画の一話が比較的短い話であることに関係しています。『小林さんちのメイドラゴン』ではその原作の雰囲気を壊さないように、短編を積み重ねて一話を作る手法をとっています。しかしこの「オムニバス形式」を採用することによって、アニメ『小林さんちのメイドラゴン』が成功したことは、原作の雰囲気を再現することだけではありません。

 ここからは「オムニバス形式」を採用することで『小林さんちのメイドラゴン』はどのような点で成功しているか、このことについて、「キャラの多面性が伝わりやすい」点と、「限りある日常の尊さが伝わる」点の2つについて語っていきます。

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4.「オムニバス形式」のいいところそのⅠ、「キャラの多面性が伝わりやすい」

 「オムニバス形式」を採用することで『小林さんちのメイドラゴン』が成功している点として、第一に「キャラの多面性が伝わりやすい」ことが挙げられます。

 『小林さんちのメイドラゴン』ではそれぞれの短編ごとに掘り下げるキャラクターというものが決まっています。例えば二期第三話「課外活動」は3つの短編によって構成されているのですが、それぞれ「イルル」の社会参加、「小林さん」のメイド化願望、「トール」の趣味探求とそれぞれの短編ごとにフォーカスされているキャラクターが決まっています。

 そしてそれぞれのキャラクターは短編のメインとなる時、今までのイメージとは違った新しい側面を見せます。例えば「エルマ」は2期第一話ではメインから外れ普段のイメージ通り食べ物につられるグルメな一面を見せていますが、第四話でメインキャラクターとなったときはシステムエンジニアとしてのスペックの高さや小林さんを陰では思いやっているといった新しい側面を見せています。また第五話ではドラゴンのトールとの過去を描くことで、友情に厚いという一面が追加されました。

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 ここで「シーンや話ごとにキャラクターを掘り下げるのは別にメイドラゴンだけのことじゃない」「新しい萌え要素やキャラクターの過去、弱点を追加で見せていくのはどのアニメだってやってるじゃないか」というツッコミが入るかもしれません。例えばゾンビアイドル地域創生アニメ『ゾンビランドサ)』では各話ごとに掘り下げるキャラクターが設定されていて、それぞれのキャラクターの性格や夢、葛藤といった魅力が回ごとに極めて劇的に表現されています(キャラクターを象徴するキャラソンまで出てきます)。

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 確かにその通りです。しかし『小林さんちのメイドラゴン』はキャラクターの魅力を「多面性」の観点から効果的に伝えることが出来ていると僕は考えます。

 どういうことでしょうか。先に『小林さんちのメイドラゴン』ではそれぞれの短編ごとに掘り下げるキャラクターというものが決まっていると述べました。僕が言いたいのは、『小林さんちのメイドラゴン』は、この短編ではエルマ、この短編ではカンナちゃんと短編ごとに区切りをつけることで、1つののっぺりとしたストーリー展開よりもより分かりやすく、それでいて冗長性(クドさ)もなくキャラクターの新しい一面を掘り下げることに成功しているということです。短編であるからこそ、コンパクトにフォーカスされたキャラクターイメージを分かりやすく受け取ることが出来ます。

 それだけではありません。『小林さんちのメイドラゴン』は1クールアニメ全13話の中の1話を、その話の中でさらに複数の短編に分割することで、多様な切り口からキャラクターの魅力を伝えることに成功しています。1話の中で別々のキャラクターがメインの複数の短編を作ることは、キャラクターの新しい一面を掘り下げるチャンスを増やすことに繋がります。それぞれの短編で分かりやすく提示されたキャラクターの側面は、1クールのアニメを見ていくにつれて積み重なってゆき、重奏的な、多面的なキャラクターの魅力が僕たちの中に形成されてゆくのです。

 というわけで、「オムニバス形式」を採用することで『小林さんちのメイドラゴン』が成功している点の一つ目は、「キャラの多面性が伝わりやすい」点でした。

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5.「オムニバス形式」のいいところそのⅡ、「限りある日常の尊さが伝わる」

 「オムニバス形式」を採用することで『小林さんちのメイドラゴン』が成功している点として、第二に「限りある日常の尊さが伝わる」ことが挙げられます。

 順を追って説明します。まず『小林さんちのメイドラゴン』は「日常系」というジャンルの作品であると言われます。「日常系」とは「劇的なストーリー展開を極力排除した、登場人物達が送る日常を淡々と描写する」(ニコニコ大百科)作品のことを指し、『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『けいおん!』『ゆるゆり』『ご注文はうさぎですか?』『ゆるキャン△』といった作品が「日常系」だと言われます。

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 「日常系」の物語で描かれるのは「いつまでも終わらない友達との時間」です。かわいいキャラクターたちのかわいいコミュニケーションが永遠に繰り返されています。一応キャラクターたちの通っている中学/高校からの卒業がいつかある終わりとして提示されますが、それはあくまで「作品としての終わり」であって、キャラクター同士の関係性自体はいつまでも続くことが作品内で予想できるようなものとなっています。

 そのように永遠に続く(もしくは永遠に続くと予想される)関係性を描く「日常系」ですが、『小林さんちのメイドラゴン』はそれとはやや異なってます。何が異なっているのか?

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 ここで僕が強調したいのは、『小林さんちのメイドラゴン』は「日常系」でありながら、常に関係性の終わりが予想されているということです。

 『小林さんちのメイドラゴンS』の監督、石原立也さんは監督コメントでこのように主張しています。

この作品ではドラゴンと人間は相容れる必要ってないんです。分かち合うことは無くて、どこまでいっても平行線の関係。異種族とは理解し合えない、同じ時間を生きられないけれど、それでも一緒にいる、そういった束の間の時間を描いている点が根底にある。

 監督の石原立也さん、そしてアニメ一期監督の武本康弘さんはこのような人間とドラゴンの相容れない関係性を作品の中で強調しています。ドラゴンはいつかは元の世界に帰らなければならない、という前提が『小林さんちのメイドラゴン』の作品には通底しており、ドラゴンたちは折に触れてその前提、すなわち人間との関係性の終わりを意識しています。

 例えば1期の13話では、トール自身が元の世界に帰らなければならないことについて悩み、小林さんといつか必ず別れてしまうということが作品中で確認されています。『小林さんちのメイドラゴン』は「日常系」でありながら、ドラゴンと人間の共有できる「束の間の時間」、限りある日常の尊さを描いているのです。

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 僕はこの「束の間の時間」、限りある日常の尊さをテーマとするこの作品の良さが「オムニバス形式」によって増幅されていると考えます。

 なぜなら、「オムニバス形式」によって1話の中で何度も区切られる短編は、「限りある日常がここまでは続いた」という「しおり」のような役割を持っているからです。メイドラゴンでは短編と短編の間を一度「区切る」ことで、過ごせた時間を振り返ることで、限りある日常の尊さが再確認されていると僕は考えます。

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 メイドラゴン1期のED『イシュカン・コミュニケーション』の歌詞にはこのような一節があります。

こんな一週間なんてどうでしょう?
永遠なんかより尊い時間
過去も未来もどうだっていい
ここにいるコトが!ここにいるヒトが!
大好き!!

  『小林さんちのメイドラゴン』は「永遠」な日常よりも、限りあるオムニバスな日常を「尊い時間」として提示していくのです。限りある日常の尊さは、確かにあった充実した時間として短編を「区切る」ことで確認されてゆくのです。

 以上、「オムニバス形式」を採用することで『小林さんちのメイドラゴン』が成功している点の二つ目、「限りある日常の尊さが伝わる」点でした。

6.終わりに

 2年前、アニメ『ケムリクサ』について言及したツイートで「1クールアニメが提供するのはアニメではなく、『アニメと共にある三か月』だ」というものがありました。

 元のツイートは探し出せなかったのですが、このツイートを見て、僕はリアタイでアニメを見る素晴らしさを実感しました。

 僕が今こんなにメイドラゴンに熱狂し、文章を書こうという気になったのも『小林さんちのメイドラゴンS』という1クールアニメに「3か月」という「終わり」が設定されているからなのかもしれません。

 1クールアニメをリアタイで見るという行為が石原監督のいう「束の間の時間」であるからこそ、『アニメと共にある三か月』を実感できるのだと僕は考えています。

 現在放送中の『小林さんちのメイドラゴンS』、是非ともリアタイで見てほしいです!アマゾンプライムだと一期二期両方見れます!

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 7.補足、というか言い訳

 「1話の中に複数の短編がある」という意味で「オムニバス方式」という言葉を使っていたのですが、今調べたらなんか微妙に意味が違うみたいです。この文章の中での「オムニバス形式」は「メイドラゴンっぽい話の構成」だと考えていただきたいです。紛らわしくてすいません。

  『4.「オムニバス形式」のいいところそのⅠ、「キャラの多面性が伝わりやすい」』の途中で『ゾンビランドサガ』を引き合いに出しましたが、僕はこの作品も大好きです。ゾンサガとメイドラゴンを関連づけたのはキャラクターの魅力の伝え方の違いを示すためであって、どちらがいいかという問題とはまた違ってきます。

 『5.「オムニバス形式」のいいところそのⅡ、「限りある日常の尊さが伝わる」』で 「いつまでも終わらない友達との時間」を描く方の「日常系」をメイドラゴンと対比させましたが、これも別に前者の「日常系」を下げる目的で対比させたわけではありません。前者の「日常系」作品も好きです。特に『ゆるキャン△』なんかは最高だと考えています。「日常系」でありながら有限な日常を描くメイドラゴンの特徴を強調させるために、敢えて対比させました。