もう一度『シン・仮面ライダー』のこと

「純子さんだけには俺が改造人間だと言うことを知られたくなかった…俺は彼女の心を傷つけたくなかったんですよ!」
シン・仮面ライダーのこと、といいながら、仮面ライダーV3第11話での風見志郎のセリフなんですけどね。
ですが。
なぜ純子は志郎がV3だとわかると傷つくのでしょう?
あるいはなぜ志郎はそう思ったのでしょう?

これがわかると石ノ森章太郎が考える「ヒーローとはなんぞや」がわかると思うんですよね。


ここですこし石ノ森章太郎の別の作品、サイボーグ009の話をしましょう。
アニメの主題歌「誰がために」は石ノ森章太郎さん作詞なんですが、こう書かれています。
“吹き荒ぶ風がよく似合う 九人の戦鬼と人の言う”
2番の歌詞では
“弔いの鐘がよく似合う 地獄の使者と人の言う”
とある。
009たちは人類の平和のために戦っているのに、人々は彼らを戦の鬼だとか、地獄の使者だとか言うわけです。
なぜでしょう?
009かっこいい!009ありがとう!とならないのはなぜか。
彼らは人間より強いが故に、人間からは忌み嫌われる存在となったんです。

009たちも仮面ライダーも、自ら望んで力を得たわけじゃない。偶然改造されてしまった。
それなのに人間からは嫌われ、悪の組織からも命を狙われる。どちらにも属せない。
しかし彼らは人間でありたいと思うから、人間のために悪と戦うんです。
哀しいでしょ?
でもその哀しみが、石ノ森章太郎のヒーロー像なんですね。

風見志郎は両親と妹を殺され復讐のために自ら改造手術をうけるんですけど、それはつまり、自ら人間を捨てたんです。
彼は人ではなくなった。
文字通り復讐の鬼となった。
姿も不気味な怪物になった。
純子は自分の本性を知らずに無邪気に恋しているけれど、だがもし自分が恋する相手が鬼であると知ったらどう思うか…志郎の悲しんだわけは、そういうことです。

それをふまえてシン・仮面ライダーを考えてみると、本郷猛は人間でなくなったことに、さほど葛藤しないし、唯一の理解者であるユリ子もまた人間ではない。
人間から嫌われもしないから、人間になりたいと煩悶したりもしない。
人を守る心の動機がないから、公安のために戦う。
そこがね。
石ノ森章太郎作品とは根本的に違う部分なんだな。
もちろんシンはシンなので、別にそこにこだわる必要はないんですよ。
ただどうしても全体的に「仏つくって魂入れず」感を覚えてしまうのは、結局そこが足りないからだと思うんだよなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?