君たちはどう生きるか

公開初日の朝8時に観に行きました。
そこまでめちゃくちゃ楽しみにしていたというわけではなくて、金曜日は翌朝までずっと仕事で、その回以降時間がなかったんです。他の日にしてもいいんだけど、ネタバレをされたくなかったので。
と同時にネタバレもしたくないものだから、感想などはどこにも書かずにいて、とはいえ語りたいから飲みに出かけたりして、誰か見たやつおらんのかと探したけどおらず、何も言えずに帰るというね。まさに「何も言えなくて…夏」状態ですわ。
まあでもそろそろ感想を書いてもいいんじゃないかな、と思い、スマホをぽちぽちしとるわけですけれども。

フェリーニの『8 1/2』であったり、黒澤明の『夢』であったり、そういう、自分自身の作品のセルフオマージュ的なキャラクターやシーンが再登場する作品ってあるじゃないですか。映画に限らず、たとえば鴨居玲の『1982年 私』とか。手塚治虫のブラックジャックのラストとか。
ああいうのを見ると、ああ、この人も終わったんだなぁって、なんともいえない気持ちになるんですよ。終わったっていうのは完成したと言ってもいい。これ以上新しいものが産まれないんだなという気持ち。
『風立ちぬ』を観た時、それを感じたんですね。
あれは宮崎駿監督が散々描いてきた「空を飛ぶシーン」が繰り返しセルフオマージュされているから。ああ、ここは紅の豚だ、ここはラピュタだって、気づけば気づくほど、宮崎駿監督もついにここに着いたんだ…って、泣けて仕方がなかった。
だからもう、これ以上なにも撮れないだろうと思ってたんですよ。
なのに、新作が出来たっていうじゃないですか。
しかも事前情報なし。
さては宮崎駿監督いよいよはっちゃけて最後に猛烈に圧倒的な破壊と暴力、兵器と戦争を描くんじゃないか…なんて、ちょっと期待してたんですね。
それか、思いっきり説教されるのか。
いかにも説教くさいタイトルだし、なんか映画館のスケジュール見ると16分くらい予告編がある計算になるけど、いくらなんでもそんな予告とノーモア映画泥棒が長いわけがないから、シークレットで映画始まる前に宮崎駿本人が出てくる予告がついていて、めちゃくちゃ説教されたりするんじゃないかとかも想像してました。
まあ、どっちもなかったわけですけどね。

さてそろそろ観た感想を書いていきますか…。
主人公は少年で、名前は牧眞人といいます。
まきまひと、と読みます。
これは読み替えると「ぼくしんじん=僕新人」ですね。
この僕とは宮崎駿本人のことです。
一方で大叔父という、いまの宮崎駿本人を投影したキャラクターが登場します。
大叔父は世界を眞人に継がせようとしますが、眞人はその世界から出ていき現実の世界に帰ります。
大叔父が13個の石を積み上げて作り守る世界というのは、すなわちジブリのことだと思います。
出ていった眞人は、宮崎駿本人であると同時に、『君たち=新人アニメーター』だと思いました。
つまりこれは、アニメ作りの心得を大叔父の立場で語りながら、同時にいつまでもここにとどまらず、自由になさいというメッセージなのだと私はとらえました。
そう考えると私には関係ないといえば関係のない話なんですけど、しかしなんだか泣けてしまってたまらなかったなぁ。老境の宮崎駿が最後に若いクリエイターに向けて残したメッセージがこれか…って。
ほんと、感謝しかないですね。

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