見出し画像

人生について考えると底なし沼にハマる・・・。

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
最近、人生について考える事が多くなりました。
考えてもわからないし、答えが無い事はわかっているのに、どうしても考えてしまいます。

何のために生きているのか?
人生とは何なのか?

まぁ、何百年、何千年、何万年と、誰かが同じ事を考えて悩んできた問題なので、私ごときが今さら考えても仕方無いのですが、それでも考えてしまいます。

人生に意味はない。
人生は壮大な暇つぶし。

いろいろな考え方がありますが、一番模範的なのは、生きるのは種の保存のためというものだと思います。

しかし、それなら、種を保存する意味とは何なのか?
絶滅してしまった種も数限りなくあります。
種を残したからと言って、地球的には何の意味もないはずです。

それに私は、転生とか死後の世界というものを信じてないので、人間、死ねば終わりだと考えています。
そうすると、どうしても自分の人生には意味が無いと考えざるを得なくなります。

だからと言って、病気や怪我で死ぬのは嫌なので、糖質制限をしたり、泳いだりして健康に気を遣っていると言う矛盾を抱えています。
なぜ病気や怪我が嫌なのかというと、痛いとか苦しい思いをしたくなからです。

でも、別に長生きしたいわけではありません。
ポックリ逝くなら、明日死んでも悔いはありません。
もし安楽死が合法化されて、誰でも自由に死を選択できるなら、もしかしたら安楽死を選ぶかもしれません。しかし、現時点で安楽死は出来そうにもないので、毎日、人生というものについて悩みながら生きています。

そして、どうせ生き続けるなら、痛みや苦しみの少ない生き方をしたいものです。
ドーパミンやセロトニンなどの幸せホルモンを十分に分泌できる生き方をしたいものです。その為には、快楽が必要だし、充実感や達成感、安心感が必要です。

脳が報酬として、様々な幸せホルモンを分泌するのは何の為なのでしょう?
もし、脳が、これらの幸せホルモンを分泌しなかったら、人間(動物含む)は、どんな生き方をするでしょう?

おそらく無気力になるのではないかと思います。
うつ病になると、幸せホルモンの分泌が阻害されるらしいですから。
つまり脳は、人間を活動的にする為に幸せホルモンを分泌しているわけです。

そうか・・・私が毎日、自分の人生を憂いているのは、家の中に引きこもって非活動的な暮らしをしているからなのか・・・。
もう少し太陽の光を浴びて、外を歩き回って、隣人とのコミュニケーションを増やせば、人生とはなんぞや・・・なんて考えなくなるのでしょうか?

まぁ、私の場合、孤独を求めて山の中に移住したので、今さら多くの人と新しい関係を築きたいとは思いません。
しかし、独りでも出来る散歩や山歩きなんかを、もっと積極的にやっても良いのかなと思います。結局のところ、閑を持て余しているから余計な事を考えてしまうのでしょうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?