見出し画像

伊豆の山奥に移住して、この4月から5年目を迎えるに当たって思う事・・・

移住して丸3年・・・と思って、ずっと過ごしてきたが、パソコンで付けている「3行日記」を読み返してみて、正確には、今年の4月から5年目に突入する事を再認識する。なんて間抜けなんだ。

奇しくも、この3月28日に「FM いず」から、伊豆移住者としてゲストに呼ばれている。以前「FM 伊豆の国」に出演したのを知って、声が掛かったようだ。
こういうのも、地方移住がブームだからこそ・・・なのだろう。

さて、伊豆の山奥で4年間生活してみて、一番感じているのは何か・・・?
ひと言でいうと「退屈」という事。毎日、ヒマを持て余している。
新型コロナのお陰で、1年以上、外出を自粛し、自宅に引き篭もっているのも原因だが・・・。

3日に一度、宿直のバイトをやっているので「引き篭もり」と言う言葉が適当かどうかは微妙だけれど、バイトは一人勤務なので、実際は、家に居るのと、ほとんど変わらない。

たまの「刺激」は、趣味でやっている「民泊」に宿泊予約が入った時だが、それもコロナのお陰で、かなり減っている。
そうなると、毎日やる事は、アマゾンプライムの映画やドラマを観るか、小説を読むか、料理を作るか・・・。

しかし、これは自分だけの事では無く、社会現象なのであって、伊豆の山奥に移住したからこうなった・・・とは一概に言えない。
じゃぁ、伊豆の山奥に移住したからこそ変わった事とは、一体何なのか?

まず、生活のメインが仕事では無くなったと言う事。
つまり、引き篭もりが生活のメインで、仕事はオマケになった。
収入も3分の1以下になったし。

そして、圧倒的に孤独になった。
仕事関係の付き合いは無いし、友達や親類縁者と会う機会も滅多に無い。
近隣住民とのふれあいも無い。「民泊」のゲストが来ない限り、365日、ほぼ独りで過ごしている。

ただ、誤解しないで欲しいのだが、好きで孤独な暮らしを選んだのだ。
孤独は淋しいけれど、人と群れるのは苦痛だし、誰かに世話を焼かれるのは耐えられない。自由気ままに生きたいがために、伊豆の山奥に移住したのである。

しかし問題は、毎日が「ツマラナイ」という事。
昔から、趣味らしい趣味を持たないので、毎日、どう過ごそうかと悩んでいる。
贅沢な悩みかもしれないが、切実な悩みでもある。

何か趣味を見つければいいじゃないか・・・と思うかもしれないが、一応、いろいろやってはみたのだ。ゴルフも釣りもテニスもサックスも、どれもこれも、いつの間にか興味が無くなってしまう。

何でだろう?
若い頃から飽きっぽい性格ではあったが、とにかく、何をやっても続かないんだよなぁ。放送作家という職業は30年続いたけれど・・・。

最近は、ヒマつぶしに猫か犬を飼いたいと思うが、世話の事を考えると、今一歩、踏み出せない。
途中で飽きたからって、放り出すわけにはいかないだろうしなぁ・・・。

しかし、「退屈」とか「ツマラナイ」という感情は、自分に「選択の自由」がある限り、ある程度、耐えられるものじゃないかと思う。
「退屈」が本当に嫌なら、何かをすれば良いだけの話だ。
それをやらないのは、まだ気持ちに余裕がある証拠だろう。

それにしても、伊豆の山奥での4年間は意外に長かった気がする。
現役時代の4年なんて、本当にあっという間だった。
この違いは、たぶん、日々の「密度の差」なのかもしれない。

ここでの暮らしが10年を経過した時、自分は、どんな心境なのだろう?
伊豆の山奥に移住した事を後悔しているんだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?