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シゾイドパーソナリティー(あえて障害を外す)

社会生活が営めないほどでは無いが、自分は「シゾイドパーソナリティー」の傾向が多分にあると思う。
サッカーやら野球やらテニスやらのスポーツ観戦に興味が無いし、パチンコやギャンブル、コンピューターゲームなんかにも関心が薄い。夜遊び、女遊びの類にも縁が無い。強いて趣味は何かと言えば、映画鑑賞と読書だが、それも人並み程度だ。

要するに世の中に無関心なのである。
もちろん、世間話する程度には社会情勢を把握しているつもりだが、あまり他人にも興味が無いので、世間話する機会も少ない。
そして、群れが嫌いで孤独を好む。

だからと言って、アウトサイダーとして生きてきたわけでは無い。
これまでの人生、まぁ、普通に社会生活を営んできた。
独身ではあるが、恋愛経験も無くはない。

シゾイドパーソナリティー障害は、遺伝や環境が原因で発症するらしいが、著しく社会生活に支障を来たさなければ、精神障害として治療するほどでは無いらしい。

しかし、自分が「シゾイドパーソナリティー」と改めて認識すると、これまでの人生に於いて、理解出来る部分がたくさんある。
まず、パーティーや異業種交流会など、特に初対面の人の集まりが苦手だった。
それに親兄弟を含めた親類縁者と疎遠である。

ただ、何度も言うようだが、著しく社会生活に支障を来さなければ、それは病気では無い。他人に迷惑さえ掛けなければ、「シゾイドパーソナリティー」だろうが、そうで無かろうが構いはしない。

じゃぁ何が問題なのかと言うと、LGBT と一緒で、そういうパーソナリティーを持った人間が居るという事を理解して欲しいわけだ。
ちなみに「スキゾイドパーソナリティー」と言うのもあるが、「シゾイド」との違いが今ひとつわからなかった。

まぁ、それは良いとして、自分に「シゾイドパーソナリティー」の傾向がある場合、どうすれば良いかと言う事だが、結論から言えば、受け入れるしか無い。
興味の無い物や興味の無い事に興味を持てと言われても無理だし、独りでいる事が心地良いのに、わざわざ群れの中に入っていく意味がわからない。

親類縁者と疎遠なのは、あまり褒められた事ではないかもしれないが、これも仕方ないと思う。
現状肯定するなら、何のためにこの記事を書いているのかと言われそうだが、自分がそう言うさまざまな物に無関心で、孤独を好む理由が、この「シゾイドパーソナリティー」のせいなんだと理解出来た・・・と言うことだ。

しかし、ある一定の割合で、こういう「シゾイドパーソナリティー」の人間が居ると言うことは、人間の多様性の一環であり、もしかすると進化のひとつなのかもしれないと言う気がする。

人は社会的な動物であり、群れで生活する生き物だが、中には、そうでない者も少人数だが居ると言うことだ。
これが不要なら、そのうち自然淘汰されるだろう。



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