充実感と達成感は一過性のもの・・・
伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
Bライフの提唱者、寝太郎さんが、ブログを「何も興味なくなっちゃったな。ミニマリストとか、脱資本主義とか、タイニーハウスとか」というタイトルで更新していました。
自分の本が『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』という本で参照されていたという話からの考察ですが、この記事を読んだ時、ハタと気付いたことがあります。
たぶん、寝太郎さんも、2畳庵(手作り小屋)を作っている時には、なんだかんだ言っても、一種の「充実感」を感じていたんだろうし、小屋が完成した時には「達成感」を味わったに違いないと。
そして、この期間は、ある意味「満足感」すら感じていたのではないでしょうか?
だからこそ、ブログや YouTube で、Bライフを発信していたのでは?
実は私自身、伊豆の山の中でセカンドライフを送ろうと思い、物件を購入して引っ越すまでの間は、ある種の「充実感」を感じ、実際に暮らし始めた当初は「達成感」を味わった・・・と思います。
しかし、それが「日常化」し、生活が「定着」した時点で、気持ちは、どんどん冷めて行くのです。おそらく世の中の全てが、そうなのだと思います。
寝太郎さんが「何も興味がなくなっちゃったな」と感じる所以だと思うのです。
私が、最近の日々に「虚しさ」を感じる理由だと思うのです。
そして、何か新たな事を始めた時の「充実感」や「達成感」こそが、人間に取っての「生きる喜び」なのかもしれません。
だから、それをずっと味わって生きる事は不可能なのであって、「生きる歓び」を感じるのは一瞬なのです。
つまり、「生きる歓び」を味わい続けるには、常に「何か新しい事に挑戦し続ける」必要があるわけで、これは疲れます。
だから、ひと息つく為に「安定期(停滞期)」も必要なのでしょう。
そして「安定期」に退屈を感じ、「虚無感」に苛まれるようになると、人は次の「達成感」を求めて足掻き始める・・・。
伊豆の暮らしも5年目となり、最近の私は、毎日に「退屈」を感じています。
もしかしたら、そろそろ新たな何かを始める時なのではないかと思うのです。
それが何なのか皆目見当もつきませんが。
もしかすると、それが見つかる前に寿命が尽きてしまう可能性もありますけど、たぶん今は、次の何かを見つける為に「足掻く時期」なのでしょう。
人間とは、全く厄介なものです。
もう還暦を過ぎたのだから、このままじっと生きていれば、曲がりなりにも平和な毎日が送れるかもしれないのに・・・。
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