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自由気ままの代償・・・

前にも書いたが、山奥の別荘地での生活は、誰からも、ほとんど干渉を受けない。
来るのは、宅配と郵便局の配達の人だけ。
ここに暮らして4年目になるが、まだ一度も飛び込みのセールスが来た事は無い。

町内会が無いので、ゴミ当番や奉仕活動も無いし、回覧板も回って来ない。
隣近所の人とは、会えば挨拶くらいはするが、ほとんど話をした事が無い。
自分に取っては、天国のような場所だ。

しかし、社交的な人に取っては、退屈極まりない所かもしれない。
ここに住み始めた当初は、あまりにも他人とのコミュニケーションが希薄なので、別荘地内のテニスサークルに参加したり、地元の音楽教室でサックスを習ったりしたが、どちらも途中で挫折してしまった。

今は、3日に一度の宿直アルバイト(ひとり勤務)をやっているので、職場の人と挨拶を交わすのと、民泊をやっているので、たま〜にやって来るゲストと世間話をする程度だ。

あとは SNS で、知り合いやフォロワーの人たちと情報を交換している。
人づきあいは、この程度で十分だ。
自分は酒が飲めないので、飲み友だちというのは居ないし、食事は、ほとんど自炊なので、行きつけの店も無い。

だからもし、脳梗塞や心筋梗塞で倒れても、職場の人以外は、誰も気付かないだろうし、倒れたら助からないだろう。社会と繋がっていないのだから、それは甘んじて受け入れるつもりでいる。

側から見たら、なんと淋しい人生・・・と思うだろうか?
何が楽しくて、生きているのか・・・と思うだろうか?

確かに、毎日は単調で退屈だ。
何らかの刺激を求めて暮らしている事も否定しない。
しかし、平和な毎日なのだ。ストレスは、ものすごく小さい。
今の生活を手放したく無いと思っている。

とは言っても、何事も永遠に続くものでは無いだろう。
いつかは今の暮らしも、終わりが来る。
その時は、ジタバタしないで静かに終焉を迎えたいと思う。

こんな事を書くと、辞世の句のようだが、そんな事は全然、無い。
あくまでも、自分の今後の生き方として、考えているだけだ。
幸いにも、両親はすでに鬼籍に入っているので、介護や看取りは必要ない。
自分の為だけに、残りの人生を送れば良い。

毎日、好きな音楽を聴いて、好きな作家の本を読んで、興味のある映画やドラマを観る。たまには、こうして自分の気持ちをネット上に吐露する。
好きな物を食べ、時には、ふらっと旅に出る。
これ以上の何があると言うのだろう?

この暮らしの代償は「孤独」だ。
今では慣れてしまったが、はじめの頃は、夜の闇と静けさが恐ろしかった。
何か物音がすると不安で仕方無かった。

「自由」と「孤独」はセットだと思う。相反するものは「干渉」と「束縛」。
どちらに重きを置くかは、人それぞれだ。
自分が生き易いように選択すれば良い。



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