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怖い話『甘いお菓子』

これは、私の婆様から聞いた、婆様の小さいときの話をまとめたものです。
時は昭和初期、世界恐慌の影響で日本も不況に陥り、満州どうにかしちゃおっか?(満州事変)ってくらいの時のお話。

婆様が住む村には、子供たちから「人焼きじいさん」と呼ばれている名物じいさんがいました。独り者で不気味な風体のおじいさんでしたが、面白い話を聞かせてくれたり、お菓子をくれることで有名でした。

「人焼きじいさん」なんて恐ろしいあだ名がついていましたが、それは彼が私営の火葬場をやっていたことが原因でした。普段は炭焼きをしていて、村人が亡くなった際にはその炭焼きの窯を使って遺体を火葬していたのです。

「今日の煙は人じゃい?炭じゃい?」
子供たちは人焼きじいさんのとこに行くと尋ねます。
じいさんが「人じゃい」と答えると子供たちは喜びます。火葬の時は決まってお話とお菓子を貰えるからです。

この時代のお菓子というと、森永のミルクキャラメルや「鉄砲玉」と呼ばれる飴玉が主流でした。しかし、人焼きじいさんがくれるものは、今まで食べたことのない不思議な手作りお菓子でした。乳白色ではんぺんのようにフワフワ、口に入れると溶けるような滑らかさの不思議なお菓子で、今でいうババロアやプリンのような物だったそうです。「お菓子が焼けたぞ。脳がとろける甘いお菓子じゃ」そう言って彼は、子供たちにお菓子を振舞いました。

子供たちは村に訃報が流れると誰もが喜び、そのお菓子に期待を膨らませながら、いい子で葬儀に参加していました。村人や親たちは人焼きじいさんのことを気味悪がって敬遠していましたが、彼のおかげで子供たちが大人しく参列してくれるので何も言いませんでした。

子供たちが集まってじいさんに聞きます。
「今日の煙は人じゃい?炭じゃい?」
「炭じゃい」
「ちぇっ!」

子供たちが集まってじいさんに聞きます。
「今日の煙は人じゃい?炭じゃい?」
「人じゃい」
「やったい!」

子供たちが成長するにつれ人焼きじいさんに飽きてくると、彼の不気味さの方が上回り、やがて近寄ることは無くなっていきました。婆様も人焼きじいさんのとこへは行かなくなりました。女学校へ進学して寮に入った婆様はそれからしばらく実家へは帰らず、村の様子は手紙でのみ知るようになりました。

ある日届いた手紙で、人焼きじいさんが逮捕されたことを知りました。彼は火葬する前の遺体から臓器を抜いて自分で食べたり、売り払っていたそうです。今では考えられないような事件ではありますが、当時は時代が時代ゆえに、仕方のない部分もあったのかもしれません。



たまに、あの時食べたお菓子のことを思い出します。今まで色んなお菓子を食べましたが、あの味と同じものはありませんでした。




「お菓子が焼けたぞ。脳がとろける、甘いお菓子じゃ」

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