見出し画像

私が◯◯家だった頃の話

「明日もゲイ」のビッチィです。
今日はビッチィヒトリ回を収録するにあたって、「20代(若い頃)に没頭した事」をテーマにお便り募集しました。
ビッチィが20代の頃に没頭していたのは、、、女装でしたw

当時は珍しい髭女装、「髭美☆LONDON」という名前で活動してました。


女装と言っても、普通想像するような綺麗なものじゃなくて、ヘドロみたいな貧乏女装、名古屋時代の20代半ばから大阪に引っ越しした後の30代前半くらいまで活動してました。

「愛・地球博」の勝手に裏イベント「愛・髭美博」の様子
何を真剣に描いてるかは記憶無し
当時出演した短編映画「なごや撃ち」の取材記事。
今は休刊となっているゲイ雑誌「Badi」で取り上げてもらいました。当時編集者だったブルボンヌさん(斎藤靖紀さん)が電話取材してくれたのが思い出。その数年後に同じ舞台に立つとは当時もちろん想像はしてなかったけど。


名古屋時代の活動のダイジェスト的動画(2004年頃、当時26歳くらい)。当時はいまいち名古屋のゲイ業界に面白みを感じていなくて、とにかく週末には映像プロデューサーさんのアトリエに篭って変な動画撮ったり変なもの作ったりしてた。多分、人生で一番(美大時代よりも)クリエイティビティーが狂ったように高まってた頃。

動画、前半はただ踊ってるだけなんだけど、途中2:50あたりからおかしな事になっていきますww


拾ったママチャリを毎週毎週改造してデコチャリ作ってましたw
平日は仕事、週末にダイソーで材料買って自作。
名古屋の何が怖いって、こんな格好で走ってても皆んな無視でしたw


名古屋時代の動画2。名古屋城秋まつりにデコチャリで遊びに行った時の動画です。撮影現場は当然無音なので、変な女装が無音でユラユラ踊っているというシュールな現場でしたよ。


久屋大通公園のテレビ塔を背景に。手前はデコチャリ。
テーマは「宇宙警察」とかだったと思います。知らんけど。


2006年、27歳の夏に大阪に転職で引っ越ししました。
名古屋時代の映像プロデューサーさんとの制作も当分続いていて、大阪から名古屋に週末で撮影しに行ったりしてました。

下の動画「Paloles paloles」は大阪に引っ越して間も無く撮ったもの(2006年、27歳くらい)。この動画は当時からアップされているもので、当時からの友達たちからは「寝れない時とか落ち込んだ時に観てる」らしい。


大阪に引っ越してからは映像制作ではなく、知り合いからゲイナイトのショーのオファーが来るようになって年に数回出るように。やってみて思ったのは「練習が嫌い」ということ。結局数年やりましたが全然しっくりこないまま、33歳くらいの時、今のパートナーと知り合ったタイミングで足を洗いましたww


これは、大阪で初めてショーをした時のイベントフライヤー
こんなベテランさん3人の中に放り込まれるとか、今考えても震えるw


ショーガールのショー用の動画「CLIMAX」

当時、舞台の上で背景に映像を流しながらショーをするという独特の表現してました。ほんとは映像だけでやりたかったけど、さすがに怒られると思って断念。

というわけで、ビッチィの若い頃の没頭したこと、いかがでしたでしょうか?お陰で、自己対峙の良い機会となっていたはず、知らんけど。

最後まで観ていただいて本当にありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?