Q:「さんずい」や「てへん」が4画なのはなぜ?
A:康熙字典では漢字の部首「さんずい」を「水(4画)」、「てへん」を「手(4画)」に分類しているため、一部の流派がこれを字画数の考え方に取り入れたのです。
●字画数の三大流派
画数の取り方は流派によって違いますが、大別すると以下の三つ(流派名は当ブログでの仮称)があります。この中の康煕派が部首の「さんずい」や「てへん」を4画にする流派です。
●康煕字典の部首分類にこだわる康熙派
漢字の字書のひとつに、中国の清朝時代に編纂された康煕字典があります。康煕派はこの字書をことのほか珍重しています。
そこで、康熙字典の部首分類に従って、「さんずい」は「水」の4画、「てへん」は「手」の4画とするのです。「さんずい」も「てへん」も外見は3画だが、見かけに騙されてはいけない、というわけです。
たとえば、「沢(7画)」の旧字体は「澤(16画)」なので、旧字派はふつうに「16画」とします。ところが、康熙派は「さんずい」を4画とみなすので、「17画」を用いるのです。
画数がふつうと異なる部首は、他にもたくさんあります。「りっしんべん(3画)」は「4画(心)」、「ころもへん(5画)」は「6画(衣)」、「くさかんむり(3画、旧字体++は4画)」は「6画(艸)」、「こざとへん(3画)」は「8画(阜)」など、十数種類があります。
●康熙派の元祖、熊﨑健翁氏
字画の合計数で吉凶を判断する方法は明治中期に作られました。漢字が簡略化されて新字体ができるのは戦後なので、明治・大正期の漢字はすべて旧字体です。
そのため、昭和初期までの約40年間は、どの占い師も「澤(沢)」は字画数に「16画」を用いていました。[注]
ここで姓名判断の業界に一大旋風を巻き起こした占い師、熊﨑健翁氏が登場します。彼は「澤」の画数として「17画」を使い出したのです。字画の合計数で吉凶を判断する方法に、この特殊な画数の数え方を取り入れたのは、熊﨑氏が最初です。
●「さんずい(3画)」を4画とするアイデアの系譜
では、この発想自体が熊﨑氏のオリジナルかといえば、そうとは言い切れません。漢字の「へん」 や「つくり」の画数を康煕字典の部首分類にしたがって数えるやりかたは、すでに江戸時代からあったのです。
たとえば『名判集成』(赤頬氏著、文政5年〔1822年〕)を見ると、「字の画数は、字書のとおりを用ゆ。・・・サンズイ〔3画〕 は水で4画、リッシン〔3画〕は心で4画・・・」 などと書いてあります。[注]
また、明治初期の『通俗名乗字解』(青木輔清著、明治8年〔1875年〕) にも同様の記載があり、熊﨑氏がこれらの書物に目を通していた可能性があるのです。[注]
ただ、『名判集成』や『通俗名乗字解』が用いるのは、字画数で易の卦を立てる方法で、江戸時代から伝わる古式の姓名判断です。その点、数霊で吉凶を判断する現代の姓名判断とは異なります。[注]
●同業者からの批判
熊﨑健翁氏はいくつもの新手法を姓名判断に導入しました。その一部は従来の方法を否定するものだったため、当時の占い師たちを怒らせたり、混乱させたりしました。「さんずい」や「てへん」を4画とみなす新説もそのひとつでした。
当然、他の占い師から批判が続出します。「漢字の起源に遡って、さんずい を 水 とするくらいなら、なぜ字形そのものを甲骨文字まで遡らないのか」とか、「康熙字典のもとになった字書の一つに玉篇があるが、両者には同一漢字なのに画数の異なるものがたくさん載っている。なぜ康煕字典の画数は正しく、玉篇のそれは間違っているのか」など。[注]
姓名判断の愛好者からすると、どの批判も非常に興味深いものばかりです。しかし、残念なことに、現在にいたるまで明快な回答が出されたことはありません。
単なる趣味の違いという気もしますが、「なぜ康熙字典か」という疑惑も永遠の謎になりそうですね。
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