80代の祖母がコロナになった。「健康であること」に罪悪感が芽生えた

2022年3月1日、80代の祖母がコロナに罹患した。それと同時に、私は自分が健康でいることが申し訳なくてたまらなくなっている。

胃ガンの経験がある祖母。今は私の住む県から車で1時間ほどのところに住んでいる。夫である祖父は、20代後半である私が物心つく前に亡くなり、大きな家とそれと同等くらいの畑とともに一人で暮らしている。3回目のワクチンは接種済みだ。

私がこの日記を残そうと思った理由は2つ。
・悲しみと不安を周囲に打ち明けることができなかったから
・今が一番、現状で祖母との思い出が鮮明だから

冷たい人間だと言われても仕方がないが、人にこの悲しみや不安を話しても解決しないし、心配をかけてしまうのが申し訳なかった。あと、具体的に言語化して自分の声で聞いて事実と受け止めたくなかった。

祖母との思い出を記すので一番早いのが今日だから。

悲観的に今までの思い出を振り返るのではなく、次に元気な姿で会えることを祈って、ここに記す(そうでもしないと不安がたまらないのは内緒)。

祖母は裁縫と料理が得意な人だ。私が祖母の行くといつも食べたいものを聞いてくれて、食べきれない程の量をつくってくれた。小さい頃はいとこたちと一緒によく祖母お手製のちらし寿司を食べたなぁ。

大学生のときには要望通りのスカートを作ってくれて、長袖だった私のワンピースを半袖に仕立ててくれた。ぬいぐるみに被せる帽子を編んでくれて、編み方を教わることもあった。

社交的で隣人に畑で採れた野菜をお裾分けしていた。愛されているんだろう、家にはいつも貰い物のお菓子や食材が溢れていた。

歯磨きはなぜか3分間!と指定された。冬には半纏を出してくれて、一緒に大掃除をした。夏には決まって夏野菜カレーと唐揚げを作ってくれた。秋は畑で芋掘りをして、春は少し遠出して大きな駅で遊んだりした。

マンガを買いすぎだって怒られたなぁ。前髪が鬱陶しくてダイソーで半強制的にパッチン留めをつけられたなぁ。いつもお腹いっぱいなのに食べ物やジュースを出してくれたなぁ。

コロナ禍で祖母と2年会えない日々が続いた。

「おばあちゃん、コロナかかったら命危ないからな」と冗談めかして言っていた祖母。人一倍気をつけていたのに、なぜ祖母がかかったのか。

自家製野菜を食べているからかとても健康な祖母。背中だって曲がってなんてなくて、しゃんとしている。でももう80代だ。

昼に母から祖母が陽性だったと聞いて気が遠くなった。それも束の間、職場のパソコンで80代のコロナの致死率や平均入院日数、ワクチン3回接種の効果など、涙目になりながら必死に調べた。

面会もできない今。私が祖母にできることはなんだろう。ただ健康でいて無事を祈ることしかできなくて、罪悪感が押し寄せる。ただのうのうと仕事をしているだけでいいんだろうか、祖母は今も闘っているのに? 若くてリスクも少ない私が健康でいいんだろうか。こうしている間にも祖母は死ぬかもしれないのに。

もともとエンパスだと自負している私は、ウクライナの情勢でもかなり気が滅入っている。戦火に侵され命の危機を感じる人がウクライナには確かにいるのに、わたしは暖かいところで温かい食事をとっていいんだろうか。かと言って何をすることもできないのなら、この気持ちはただの偽善なんだろうか。

健康でいることにも平和でいることにも、罪悪感を感じる。

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