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愛やトキメキではなかったことを認めることに勇気を出した話

今思うと、自分のせいじゃないことってたくさんあったなあと思う。
私は元々自己肯定感が高めのタイプだと自認していたのでそこもある種障壁となって「認めない」選択をしていたのかもしれない。

今回、性的に少し刺激的な表現があるのでトラウマやPTSDのある方は読まない方が良いと思います。ちょっと勇気出しました。

昔付き合った男性は、セックスを拒否するととたんに不機嫌になり枕を殴る人だった。毎日に疲れた脳を優しく包む役割のはずの柔らかな枕が、無抵抗の無力な私に見えた。
嫌だと言ってもやめてくれない。私はただ一緒にいたいだけなのに、セックスをしないと無価値なのだと蔑まれていた。遠回しにそんなことも何度か言われたし「愛がないのか、好きじゃないのか」と言われた。悲しかった。
彼を否定する言葉を投げかけられた場にいた時、庇わなかった私を攻め立てた。恐怖を感じたし、事実その否定は当たっていると感じたので私は庇わなかったのだけど(傷ついた気持ちには寄り添いたかったけれど)その日は結局「あなたは悪くないしあなたの方が正しい」と口にするまで家に返してもらえなかった。本当に怖かった。
別れを告げた日も、帰してもらえなかったし無理矢理セックスをさせられた。本当に怖かったし、気持ち悪かったし、私はもう2度と好きな人とそういうことができないかもしれないと思った。正直に言うと今もたまに思います、しないと嫌われるかな、とか。そこにしか価値がないのかなとか。
「お前の本当のことを知っていて、お前とやれるのは俺だけだ」その彼はよく言っていた。吐き気がするしなんてくだらない承認欲求だと思った。ようは「そこそこ人気者で特定の彼氏をあまり作らない私を支配できた=俺はすごい」だったんだと思う。そこには本当なんて一個もなかったのになんて幼稚でくだらないんだ。ミニスカートを履いた私のスカートの中を覗いていた人がいたよと嬉々として報告してきた。私はあなたのポケモンじゃない。

当時のわたしには選択肢がなかったと思う。その頃は「なんて弱弱しい人なんだろう」と相手を同情していたけれど、単純に私はレイプされていたのだし暴力で支配されているのと同義だったのだと、今は思う。相手の持つ弱さが支配に代わっていたのだ。怒鳴られると体がすくみなにもできない。今も大きな声を出したり汚い言葉で怒っている人がその頃のトラウマですごく苦手です。
その後付き合った人は罵って怒る人だった。「怒らないで」と伝えて「なぜ怒ってはいけないんだ」と言われた時の絶望感ったらない。でも、わたしはどうして嫌なのか、最後まで説明できなかった。理屈を捏ねて誤魔化していた。

だってその方が生きやすいんだもの。一緒にただ笑えばいいだけだったんだもの。
モテない女の僻みだよね、ブスだもんね、エロい目で見られないのって可哀想だよね、という会話にニコニコしておけばなにも表面上傷つけられなかったんだもの。

いわゆる50代くらいの年上の男性も私に恐怖を植え付けた。
友達のような顔をし自分の知識を見せてくれた。私は本や音楽や文化が大好きだから、とても楽しかったし嬉しかった。でも、ある日突然傷つけられた。手すら繋いだことがないのに私と付き合っていると言いふらされて、否定すると家に来た。電気を消し怯えて部屋に篭った。すると今度は有る事無い事、悪口をほうぼうで言われた。意味が全くわからなかった。相談した年上の男性には「あなたが悪い」と言われた。思わせぶりなのだと。かわいい格好をして楽しそうに話したら、思わせぶりなのだと。絶望したし、私はそれから年上の男性、特に10個以上程度離れた人となるべく口をきかなくなったし、その場にいるだけでうっすら恐怖を感じるようになった。
「あなたがモテるから仕方ない」と言われた時、私のせいなんだと思った。意識するしないに関わらず、相手の気持ちと判断で私はジャッジされるのだと。

わたしは強く生きていけると自分で思っていたし持ち前の愛嬌で人間関係に割と困ったこともなかった。だけど、こと恋愛場面、また年上の異性では、なぜか暴力を振るったり不機嫌さで相手をコントロールする人にばかり縁があった。恋愛や女性性における私の肯定感は地に落ちていたし、私が悪いんだ、女なのに生意気だから、弁が立つから、彼よりちょっと目立ったりするから怒られるんだと思っていた。私の態度が全部悪くてスカートを履くから。メイクするから。相手の話が面白くて笑うから。
全部私が悪いんだと思っていた。
誰にも言えない。私はこんなに悲しくて蔑まれる人間じゃない。私を慈しんで育ててくれた、男も女もなんでもない、あなたはあなただよと育ててくれた両親には絶対に知られたくなかった。言いたくなかった。

その後、フェミニズムに出会い私は泣いた。同じ人間じゃなかった、私は人間だと思われていなかったのだ。私は悪くなかった。傷ついたことは、傷ついたと言ってよかったし私を貶める人と私は一緒に生きなくてもよいしそんな人たちの方が悪なのだとようやく少し思えるようになった。

それに40才前後で出会う人はそんなことがなくなってきて、私が恋した人はどちらかというと優しくて儚い人ばかりだった。強い夢や感性を持つ人。心が脆弱でその自覚があり他者にも優しかった。ふんわりと明確な夢のある美しすぎて儚い人。
なにより私をそういうことで傷つけない。いつも優しく触ってくれたし私こそ相手に優しく触れたいと感じられた。
愛おしくて愛おしくて、傲慢にも私が守ってあげたいと生まれて初めて思った。愛されることより愛することで肯定感は上がる。自分に価値を感じられた。私はもしかしたら今まで人を愛したことがなかったのかもしれないとすら思った。今まで出合い損ねていた会いたい人に会えたような不思議な気持ちだった。本当の意味での恋の儚さを初めて知った。

友達にもとても恵まれていて、みな私に愛をシンプルに伝えてくれた。かわいいなぁあんな顔に生まれたかったなとぼやく私に「あなたは美しい!人と比べないで!」と真っ直ぐに伝えてくれる友達しかいない。
そんな周りに助けられて承認されて、ようやく私は少しだけ「自分は悪くないし大切に扱われる価値があるのだ」と思えるようになった。

わたしはようやく自分が傷ついたことを認めることができた。まだ苦しさや、恥ずかしさ、これから私はそんな目で見られるのだ、という怖さもあるしすごくすごく勇気がいることだったけど、どうか、そんな気持ちになる人が減りますようにという願いを込めて記事を書きました。

あなたは悪くないよ。絶対に悪くない。何一つ悪くないしあなたの選択はいつだって間違えていない。

顔見知りによるレイプが1番多いこと、知っていましたか?

この本を読みながら苦しくてしんどかった、思い出してガタガタ震えた。

その気持ちをなんとか誰かのためという大義名分を持てば口にできるのかもしれないと思って今回の記事を書きました。


トップの画像はこないだいただいた死ぬほど美味しかったご飯。

美味しいものを好きな人と食べることは、あなたと世界を救う。わたしは大好きなあなたとご飯が食べたいです。

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