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「車のデザイン」について


「車」を見ていると、

運転しているのが、
「人間」だとわかっているということ。

「車くん」みたいに、(笑)
「車全体」を「擬人化」
してしまうということ。

なぜか、
これを
「いったりきたり」しているような、
「妙」な気持ちになります。

「他人」に対して、
「人格」を求め、
「知ろう」としているのだと思います。

「人間同士」でも、
「はじめまして」なら、

「どんな人かな?」
「いい人だったらいいな!」
と、思えば、
「コミュニケーション」という手段をとって、
どんどん知りたくなりますよね!

ところが、
目の前に

「車という物質」が存在しているのに、

乗っている人間は、いったいぜんたい、
どんな人が乗っているのかもわからないし、

「車自体が」、「車くん」みたいに、
「話」をするわけでは、ありません。


にも、かかわらず。


「イカツさを追求するデザインの車」が
馬鹿みたいに売れるとは、
「いかがなものか」と
思うんですね。


「車会社」に文句言ってるわけでは、
ないんです。

「車会社」も四苦八苦して、調べに調べて
どんな車が売れるのかと、
日々、研究をされた上でのことですから。

「風潮」なんですよね。

売れるんだから
「必要」としてるんですよね。

そりゃ自分の車の後ろにいる、
「イカつい顔」した、
「まっくろぬーりぬりの車」を
「自分の車のルームミラー」で見たら

「めんどくさ」って思いますよ。(笑)

そんなのに「煽り運転」なんかされたら、
「怖いに決まってます。」

「どんな人が乗ってるのか、
わからないから。」

なので、「余計」に、
「不安が煽られる」んですよね。

「最も危険」なのは、「煽られている車」の
「運転者の注意」が、
「煽り運転の車」のために、
「散漫」になること。

「未必の故意」では、
「到底すまされるものではないと思います。」

知ってか知らずか、「今の車」は
じょーずに、どの方向からも、

「運転者の顔」が見にくく
デザインされてるんですよね?
「たまたまでしょうね。」
「寸法の都合でしょうね。」

と、言っておきますね。(笑)

「車」から降りて
「話あい」なんかするわけもないし、
「降りてこない前提」でやってらっしゃるので、

本当に「卑劣極まりない」んですよね。

1番迷惑しているのは、

「イカツい車でも、ちゃんと素晴らしい運転を
なさっている方」だと思うんですね。

どこの世界でも、
「ほんの一部の人間」のためだけに、

「まわりの人間も一緒に見られること。」
「価値を下げられること。」

まことにもって!

「迷惑千万」でございます。


僕が
子供の頃の「車」にくらべたら、
「車」というのは、
目まぐるしく、「進化」をとげています。

でも、

「人間自体の進化はたかがしれています。」

「車」や「パソコン」など、
「無機質」なものが、

「人」と「人」の間にあると、

どうしてここまで、
「エゴまるだし」になるのでしょう。
(味噌汁はいってそうやな)
(まずそうやな)

人間の「進化」ではなく、

「真価」が問われているのだと思います。

人間の「真」(まこと)の
   「価」(価値)って

一体なんなんでしょうね?





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