見出し画像

サボることの大きな代償

おはようございます!

今日は少し起きるのが遅かったので、今日の天気同様僕の気持ちも曇り空からスタートしているwataruです。


とは書いてみたものの、少し上手いような言い回しとか何か練って考えたような表現って小っ恥ずかしいなと思って、この小っ恥ずかしさの正体について何か知っている方がいたら是非連絡をお願いします。


ということで本日は「サボることの大きな代償」というテーマでお話をしていこうと思います。


というのも僕は結構ルーティーン化して継続して行うというものを多く抱えていて、それこそこのブログも建てつけ上毎日書いていますし(最近は本当に毎日更新しています)、他にも毎日やるというルーティーンのものだと日記があったり、一日の目標とその振り返りを紙に書いているのもそうだし、30分のランニングやピアノの練習も僕の毎日行うルーティーンとしてあるんですね。


毎日行うものとしては大体こんなもんで、まあこんなもんでと言いつつだいぶボリューミーな内容にはなっていますが、それに付随して二日に一回くらいのペースで筋トレを行っていたり、週に一回体操教室に通っていたりというような感じで本当に多くのルーティーンを抱えている僕なんですが、やっぱりここまでボリューミーで多くのルーティーンを抱えているとつい時間がなくて逃してしまう日や他の予定が入ってサボってしまうような日も出てくるわけで、まさに最近だと筋トレを1週間くらいできない時期があったんですね。


そして今週の月曜日に1週間ぶりくらいに筋トレをしたんですが、これが想像以上にきつくて、今までと同じ重さでトレーニングを行ったんですが、その重さに耐えることができなくて途中で断念をしてしまったんですね。


正直これにはびっくりしたし、悔しい気持ちがすごくあったんですが、それと同時にやっぱり継続性の大事さというものに改めて気付かされて、というのも僕は幼少期の頃からずっとサッカーをしていたので”1日休むと取り戻すのに3日かかるぞ”とか、”お前が今日の1日をサボるだけでその状態を取り戻すのに3倍の時間が必要なんだぞ”というような言葉をよく浴びせられていて、まさにこれを今になって体感したんですね。


言ってしまうと、今日の一日をサボるということの代償は”その日の成長がなくなる”ということではなくて、”今日までの感覚を全てなくす”という感覚のほうが近いと思ったんですね。


まあ全てというと少し誇張した表現になりますが、それでも僕は月曜日の筋トレでまた一からやり直さないとなというような感覚になったし、あそこを上げれるようになるまでまた2、3週間の時間が必要になるのかと思ったら、あの一日がどれだけ重要な一日だったのか、サボってしまうことの代償がどれだけ大きいものなのか、ということに改めて気付かされて、より継続することの大事さより信念を持ってやっていかないとなと身に染みて感じたそんな月曜日の朝でした。


ということで本日は「サボることの大きな代償」というテーマでお話をしてみました。

僕自身多くのルーティーンを抱えていますが、最低限自分で決めたルーティーンだけはこれからもずっと守ってやり切っていこうと思います。

ではまた!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?