ぬるっと、ピーナッツ。
緊張感を与える人や場所は、避けるようにしてきた。食事をするときなら尚更で、リラックスしたい時に格式高いレストランや、値段を気にしながらお寿司をつまむなんてことに何の魅力も感じずに生きてきた。
だけど、フリーランスのライターは、時として〝会食〟とか〝忘年会〟とか〝周年パーティー〟と呼ばれる場所に招かれることがある。気心の知れた仲間との時間なら大手を振って参加するが、打ち解けることを目的とした取引先との食事となると、たちまち緊張感でいっぱいになってしまう。
あの日も、そうだった。独立して3年目の冬。「長い間、直接ご挨拶ができずに失礼しました」という堅苦しい挨拶で会食はスタートした。いつもは、なにひとつ意味こそないけれど、楽しい話をしていた仲間が、おそらく偉い人だと思われる上司の横で身を屈め、私を含む仕事仲間をホストしてまわる。
そんな大した話でもないのに、〝接待〟みたいなもんだから、おそらく意味をわかってないのに、その偉い人は大げさに笑う。何度か大笑いした後には、あえて引きつり笑いを取り入れるテクニックも使い、私を盛り上げようとしてくれる。ありがたいが、どんどん気持ちはさみしくなる。
最も悲しい場面は、会食がスタートした直後に起こった。その店は、有名店から独立したシェフが営むビストロで、決まったコースはなく、アラカルト方式でメニューを選ばなければいけない。もちろん、これまでそういう緊張を避けてきたから、メニューに書いている内容の意味がわからないので、なにを基準に選んでいいのかわからない。
やっと、小さな消え入りそうな声で、「じゃ……ぼくも一緒にしようかな……」と言った瞬間、偉いひとが「ここは、鶏のパテがうまいんですよ、よかったら中野さんも」と言われ、どのメニューがパテかわからず、いや正直に言うと、パテすら何のことかわからず、オロオロし過ぎて、シェフの顔が引きつる始末だった。
私はこの〝メニュー選びの失態〟が、この日最大の悲しい瞬間とばかり思い込んでいた。
でも、現実ははるかに残酷だった。
この会食からどれくらい時が経ったことだろう。そのときは、仲間がオススメする大衆的なイタリア料理店に行き、ワインといっしょにオリーブが出された。それを食べているときに、過去の出来事が走馬灯のように駆け巡り、時を越え、顔から火がふくような思いをしてしまった。
話を、過去の会食に戻そう。
それは、会の途中だったと思う。トイレから戻り、私の席に着くと、目の前に白い皿に載ったピーナッツが置かれていた。ひとり一皿ではなく、2〜3人でひとつという感じでピーナッツが数個並んでいる。何気なく手を伸ばし、口にひとつ放り込んだが、異様に硬い。しかも、ぬるっとしている。
食べ慣れないものを食べる経験は慣れっこだ。奥歯で思い切り砕き、なんとか飲み込んだ。そして、その皿を隣の人の前へそっと移動させた時、周囲の会話が止まり、視線が私に集まった。
その時は、なんのことだか、さっぱりわからなかった。偶然、会話が途切れた時に、私がお皿を動かしたのかなと思った程度だった。
でも、それから数年がたち、大衆的なイタリア料理店での食事中、その謎がとけた。
おそらく、あのとき食べた硬いピーナッツは、オリーブの種だったのだろう。サラダが何かに入っていたオリーブをみんなが食べ、口から出した種とは知らず、わたしは、「また、珍しいピーナッツだな」と思い、口に入れ、隣の人へ「どうぞ」としたから、みんなは会話を止めて、私を見つめていたのだ。いったい、周囲の人たちは私のことを、どう思ったのだろうか。
今だに、この話を思い出すと、口の中にぬるっとしたピーナッツの食感が戻って来るのが不思議だ。
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