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『かぎろい』終演に寄せて(高橋敏文)

【日記】

2023年3月27日 月曜日 天気:くもり

 エレベーターを降りたら、幻視譚ご一行様、と書かれたホワイトボードが、まだそのままにしてあった。一週間前まで俳優として小屋入りしていた王子小劇場は、脚本執筆企画の真っ最中。他の一切の業務を放棄して早々に短編を一本書き上げた私は、すっかり劇作家気分である。たった一週間で、ククリの街並みも、そこに生きる人々も、消え失せてしまった。あの瞬間、舞台上で確かに視たはずの物語は幻に過ぎなかったのだ。こんな残酷な種明かしがあるだろうか。
 延期のお知らせがTwitterのタイムラインを滑っていって、駒場祭で珠生さんとばったり会って、叫んで、酔いつぶれて、走りぬけて、ここに至るまで物凄いスピード感だった気がする。はじめて稽古場の扉を開けた時、珠生さん(と、加藤葉月)に誘われたというよりは、この作品をなんとしても舞台上に載せるんだ、という執念に引きずり込まれたのだな、と思った。導師ファズルーとして、執念に応えることはできた、と勝手に思っている。


【前置き、ならぬ、中置き】

 『かぎろい』という物語について、全体的なことは作者である珠生さんからある程度語られると思うので、少しズルいんですけど、私からは一本の書簡を提示しておわります。

【書簡】

 私はこの悲劇の元凶でありながら、権力の傘の下で何一つ責任を負いませんでした。負う必要があるのかは分かりませんが、少なくとも負う余裕はありませんでした。今更恥じるつもりはありません。私はククリの平穏を乱す存在に、少しばかりお灸を据えてやろうと考えただけなのです。
 しかし、事を大きくしたのは一体誰なのでしょう。あなたがそれほど冷酷になれるとは思えないし、アダは……ひょっとすると死にたがりだったのかもしれませんが、彼女を慕う妹たちのことを考えられないほど愚かではなかったと思います。とすれば……病だ。病がこの街に憎悪をもたらしたのです。では病をもたらしたのは……ベラト導師は神だと仰った。神は自ら罪をつくり、自ら罰したというのでしょうか。あまりに無益で、不当ではありませんか。善悪の尺度をお持ちでありながら、損益や妥当性はご存知ないという、そのような理屈がまかり通るならば……。
 こんなことばかり考えていては、いずれ私の信仰も揺らいでしまうかもしれませんね。あなたの言うように、我々の信仰は精神的な盲目の上に成り立っています。あなたも聖職者である以上、手に負えない矛盾は飲み込まなければならなかったのです。
 あなたのことは嫌いではありませんでした。あなたが選んだことですから残念とは言いません。ただ、寂しく思います。もう二度と会うことはないでしょう。あなたの余生が平穏であることを、神に祈ります。

(役者 / 高橋敏文)

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