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[素描:洞(うろ)]テクスト

踊り手:加藤葉月
語り手・音:西山珠生


(水滴)

*ゆびさき。爪の縁。指先を震わせる。ひかり。ほこり。がらんどうの。箱。耳鳴り。頭蓋の中を細く振動する。逆さまの壁。高い。ほこりの中を、梯子が。揺れている。

*パイプ。水音。水音。昨日より、すこし存在感のある左脚。瞼、引き攣れた。反響する。反響する、反響する、はんきょうする、はんきょうする。梯子が揺れている。藍に近い、あお。コード、ちぎれた、パイプ、ひしゃげた、水、すこし濁った、油の匂い、のする。コンクリートの塊、無骨にくずれた、ぶあついひらたい床だった。

*流れ溜まった水を飲み下す喉が焼けついたように強張った。額がベタつく汗ではない染み出した体液とミンチになった細胞の混ぜ合わせ。汚水ではないようなので体を洗う水に触れた腕から脊椎にかけて一斉に鳥肌の立つ肌を擦れない。


*道具は一日に一度欠かさず手入れする。16時57分。処置室。薬剤を入れた容器てらりと光る器具工具機械筆とチューブ脱脂綿針と糸クリームとパウダーと。戻れない。ガラス、割れた、基板、隙間から覗く、赤紫の線の浮く。世界が詰まって重い分不相応に瓦礫になった。頭蓋の中を細く振動する。がらんどうではない。紙の束本、の山。非常用の。光。闇。ひかり、かげ、よる。冷え。297mm210mm。折る。折る。翼を、生やす。


*HELP、HELP。help。help。


*処置室に今日も人が訪れる血液の通わぬ肌は生命を失いゆく肉体は頑なで脆い。何月何日だったか道具は一日に一度欠かさず手入れする。最低限の薬剤を入れた容器てらりと光る器具工具機械筆とチューブ脱脂綿針と糸クリームとパウダーと。
ほこりの中を梯子が揺れている。揺れている、だけ。
粘膜と空気が摩擦する。昨日より、存在感を増す左脚。だんだんに視界を遮る右瞼。頭蓋の中を細く振動する。


*衝撃波と熱風が建物の上半身を抉り忘れられた倉庫の天井に穴を開けた。昼には日光が夜には月光がためらいがちに嘲笑的に差し込んで開放的というには程遠い光はすこしずつしかし着実に地下室を乾かしていく。目覚めたときに床の5分のいちほどを覆っていた水溜まりはいまや両手で橋を作れるくらいにまで小さくなった。シデムシが歩いている。


*火花の散る、壁際の棚。心拍数、血管の収縮。顔、紅潮する。記憶。ほこり。記憶、では、記憶、ではない。この、身体、のもの、ではない、傾いた、床。
細く振動するような耳鳴り。地層の咽び。歴史の息遣い。振動する。


(Until Dawn)

*しずく、の糸。鼠色の、ああ、ぬるい春の雨。肌に張りついた泥が緩んで流れるこびりついた錆をぬぐう砂と体液の混合層のした血の色の皮膚。ああ、ああ頭蓋の振動する。青黒い毛細血管の透けた。刃を入れると、潰れた肉とくすんだ骨。血液、濁った、繊維、ちぎれた、傷口、膿んだ。一日に一度欠かさず手入れする。皮膚を繕い、壊死しかけた肉は削ぎ、砕けた骨を継ごう、もはや機能しない臓器も要るまい。

*シデムシが歩いている。蝿が飛んでいる。

*この傷を名のない標本にさせまい。この腕を埋められた懇願の象徴にさせまい。この骨をたける正義の依代にさせまい。すべての痕跡はこの(からだ)から消し去られる。


(The Orphan)

*皮膚を繕う、壊死しかけた肉を削ぐ、砕けた骨を継ぐ、もはや機能しない臓器を取り除く、眼窩に色を額に曲線を取り戻す。腐った血液を防腐剤の溶けた薬液と入れ替える、全身に化粧する。歩く虫たち飛ぶ虫たち表面を覆いつくす虫たち沈み込む虫たち。砂つぶの生きた呼吸の一文字一文字が深層の大循環とともに蠢めくむしたち。虫たち、むしたち。熱、下がりきった、痛み、溶け去った、肌、滑らかな。なめらかな。顎が鳴る。粘液が紡がれる。解けゆく。解けゆく。ほどけゆく。

*ゆびさきがおどる。めぶく。ほこりのなかをはしごが、ゆれている。

(シャッターの音。光。)


ギャラリー
撮影:コトデラシオン (X: @salt_756_circle)

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