最後出汁かけるらしいけどそのまんま食ったった

 久しぶりに文字を書こうと思って今、お風呂にお湯が溜まるまでの時間をひたすら文章に使おうとしています。タイピングってこんなに難しかったっけ。
 そういえば最近、御堂筋線でポロポロ泣いたことがありました。あんまり理由ってものはなくて、ただ自然の摂理のように。人間の体とはそういうもので時々泣いてしまうものだと思うのです。積もり積もった雪がある日突然落ちるみたいに、咲き終わった花が散るように、そういうものだと思います。
 こぼれかけていた何かがやっと目に見える形で出た。自分がちゃんと泣けることに安心しましたよ。涙が出ない方がどうしたことかと思います。久しぶりに触れた自分の涙の温度は悪くなくて、でもちょっぴり寂しくて、その日はひつまぶしを食べてやりました。4000円もしました。
 人間がお腹を空かせるのはすごくありがたいことです。今この時代でこの国に生きる僕たちはある程度ものを選んで食べることができます。安いもの高いものではなく、同じ値段帯でも食べ物の選択肢はずいぶんあると思います。自分が食べたいものを自分の予算内で自由に選んだものを食べると、とてつもない満足感ですよこれは。まあこれは1人の時に強い効果を発揮しますわな。
 二人以上、もしくは5、6人を超える大人数での仲間で食べるものを選ぶと中々難しいもので。全然食べたいものじゃないのにそのお店に入ったことがあります。でもやっぱりね、減ってる腹に味のついたものを口からぶちこむと、これがまた美味い。そういうもので僕は、食べることにずいぶん生かされていると思います。特に生かされているなと感じるのは辛い時です。これはもう全くそうで。
 僕は去年飼っていたウサギを亡くしたんです。もう辛かったです。気づけば息するのも難しいくらいに泣いてたんです。はっきり覚えてます。夜の十時ごろ。
いっぱい撫でながら、泣いてました。その時なんですけど母は強いもので、夕食がありました。鶏肉の照り焼き。小さい頃からの僕と兄貴の大好物です。その日は昼前から何も食べてなかったので、感じていないだけで腹は減っていたんだと思います。泣きながら食べた一口目はもう忘れられません。
 どうしようもない時でも、我々は何かを食べるという選択肢があるんです。どうしようもならない時に、できることの選択肢が一つがある。これは自分の人生を生きていくにあたって最強の一手だと思います。
 そういうわけで僕は、泣いたその日に食べ方もよく知らないひつまぶしを食べてやりました。


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