仕事ができない

 蓮田彩子は恐ろしく手先が不器用である。アルバイトの定番(?)である倉庫内作業とか工場での仕事も碌にできたことがない。人と話せない彩子には接客業は無理なので、結局は「未経験者可」の誰でもできる単純作業に従事するしかないのだが、そんな単純作業にも効率はある訳でいつももたもたしている彩子は何をするのも遅いので周りに迷惑を掛けてしまう。わからなくても人に聞けないので、余計わからなくなってしまう。仕事もできない周りに迷惑を掛けることの連続で、それは自業自得とはいえ、居場所がなくなってしまい辞めてしまうことになる。

 工場労働者は自分と同じような人たちが集まっているのだろうか? 彩子は考える。今になって思うにもしかしたら何かしらの「生きにくさ」を抱えている人はそういう場所には多かったのかもしれない。仲良くしたいとは思わなかったしほとんど誰とも話さなかったけれど、同類相憐れむと簡単には言いたくないけれど、学校に馴染めなかった人、集団行動が苦手な人は社会に放り出されたらどこに行くのか、全員がそうではないだろうし何とか克服する人もいるのだろうが、工場に集ってくる人の多くは傷を抱えながら仕方なく生きている………ような気がする。この文章を書きながら彩子はそう思った。

 同類だから仲が良くなるわけでもない。そうは言っても人それぞれ違うわけで、社会との「不適格度」は違ってくる。軽度の人もいれば重度の人もいて、両極端の二人は自分たちを「同類」とは思っていないだろう。普通に生きている人からしたらどちらも同じ「底辺」と見なされても、底辺の中でも格差はある。彩子は恐らくその中でも底辺なのではないかと思っている。正真正銘の社会不適合者である。

 社会と馴染めないとはヒトともカイシャとも馴染めないことなのでこれで立派な”生ける粗大ゴミ”であるニートの出来上がりである。

 彩子自身は自分が不幸であるなんて言うつもりは毛頭ない。このように生まれてきてしまい、性格も変えられないから考えても無駄だととうの昔に気づいている。こうして深く物事を考えることのない蓮田彩子という人間が完成したのであった。