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日記:おもいつくまま(病気で見えた事)

以前、日記:おもいつくまま(パワハラ)の記事をUPしていますがその渦中に発症した病気がありました。
 日記 おもいつくまま(パワハラ)|takki|note
Noteを初めて間もない頃UPした「転職の理由」と違い、肉体的な病気です。
パワハラのプレッシャーによる発症と受け留められるのが嫌で、自分では絶対そんな事は無いと思っているので、その記事では一切触れませんでした。
(後で、同僚から聞いたことですが、周りではそれが原因で発症したと思っていたそうです)
転職の理由|takki|note

当時は自分にとって、とても衝撃的だったのですが、今は、はっきり思い出せない程になっています。時の流れって優しいなあと思います。
もう30年位前だったと思いますが、右目に違和感をもってから3日ほどで 見えなくなったことがあります。
最初は目の前を虫や糸くずのようなものがチラチラと浮遊しているように見えていました(飛蚊症)が、そのうち目の中に油が入ったような感じで見づらくなりました。
目が痛くなるほど洗眼しても、そのうっとうしさは1日経っても変わらず、翌日には右目の視界の下の方に黒いものが現れるようになりました。
刻々変わっていく症状に不安になり、眼科を受診したら網膜剥離と診断されました。
黒い部分は網膜が剥がれた事により視野が欠落したものだったのです。
欠落している視野が下の方なので網膜の上の方からが剥がれ始めているのですぐ手術をした方が良いという診断でした。

その病院で手術ができなくて別の病院を手配して頂き、翌日、その病院に 行く事になりました。
手術すれば治りますよと言われたものの、今と同じように見えるようになるかどうかはわからないとも言われていたので、不安な気持ちは払拭できませんでした。

翌朝、病院に向かう間にも右目の視野の下の黒い部分は増え続け、着くころには視野の半分以上になっていて、まるで、深い穴の底から空を見上げているような感じになりました。
手術前に闇夜の暗さではない暗黒の世界を初めて体験しました。
手術は眼球の水晶体を取って剥離した網膜を張り付ける施術後に     水晶体の代わりに人工のレンズを入れます。
その後は硝子体の代わりにガスを入れて眼球を保ち、硝子体で満たされる迄うつ伏せの状態で1週間か10日位うつ伏せで寝なければなりませんでした。
同じ姿勢で体を動かせないのは結構辛いものでした。


手術後経過が良く視野は戻り、両目で見るとほぼ元の様に見えるようになりました。
術後、目を開けてびっくりしたのは、右眼で見る景色と左目で見る景色の 色が違って見えたことです。
手術した右目は白が真っ白に見えたのです。
手術していない左目は古い写真が茶色っぽくなるそんな感じに見えました。

仕事に復帰してしばらくしてから、色だけではなく見え方も違う事に気が つきました。
駅のホームから片目ずつ線路を見ると真直ぐな並行線ではなく微妙に歪んで見えたのです。でも両目で見ると、左右夫々の目で見た線路の凹凸が調整されたようにまっすぐ見えるのです。
人間の目というか脳は凄いなと感じました。

ちょっと不便な事は、左右の視力差が大きくて眼鏡だけでは矯正が難しく、左眼にコンタクトレンズを装着して両目の視力を同じにしてから、更に眼鏡をかけて0.8に矯正しているのです。
老眼も進んで来て、眼鏡をかけたり外したりで、いつも「眼鏡、どこ行った?」なんていう日々を送っています。


余談が入って長くなってしまいましたが・・・。
本当に書きたかった事は、この病気が私の外を見る目だけではなく、   内を見る目も開かせてくれたことです。
当時、共働きだった妻は、仕事帰りに毎日見舞いに来てくれました。
妻が入院した時、私は仕事のせいにして殆ど見舞いに行かなかったという 真逆の事をしていたのにです。
「目には目を・歯は歯を」という諺がありますが、そうではなく誠意と言う行動で示してくれました。
そういう妻を心から尊敬できるようになりました。
激情に駆られプロポーズした若き日より、ジィ・バァになった今の方が  何十倍も好きでいられます。
「君といつまでも」の中でちょっと触れた箇所が有りますが、自分のやってきた事を棚上げしたような書き方で気になっていましたが、
これが本音です。
君といつまでも|takki|note


最後まで読んじゃいました?
最後の方はちょっと照れ臭かったので、途中で止めてくれればと思って  長くしたのですが・・・。

♡最後まで読んで頂きありがとうございました。
おもいつくまま書いてUPしましたので、後から直すかもしれません。

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