私の古希日記

 令和六年一月、古希を迎えた。「めでたく」という言葉をつけたかったが、おめでたいのは私の頭。ここはさらっと流した。昭和二十九年一月生まれ。西暦でいうと、一九五四年。敗戦から丸八年が経っていた。
 物心ついたのはいつ頃だったろうか。父に連れられて耶馬溪の観光地である羅漢寺や青の洞門によく行った。その頃、傷病兵があちこちにいて、アコーディオンを弾いていた。衝撃的だったのは、下半身の膝から下がない人を見た時だった。
 もちろん、戦争は悲惨だとか思ったわけではない。見てはいけないものを目の当たりにした思いだった。必ず二人だった。その前は早く通り過ぎたかった。
 家は小売酒屋。父は九電の社員。店は母が切り盛りした。祖父も健在だった。金持ちではないが、普通の暮らしができた。周りはほとんど農家だったし、お手伝いさんもいたからまあまあの家に見えたに違いない。

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