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私はペコ&りゅうちぇるファミリーと似た経験をしている(たぶん)

日常的に接している人たちにこのことを話す機会はないが、人生の中で割と考えるテーマなのでこの機会に文章にしてみた。

私の父は女を自認している。このファミリーと大きく違うのは、カミングアウトの時点でLGBTQが今ほど一般的ではなかったこと、自分の父がそうであると知ったのが思春期真っ只中だったこと、である。

母が知ったのはいつかは正確にはわからないが、少しずつ「なんかおかしい」と感じるようになって、ある時確証を得たらしい。父は私が中学の頃から単身赴任を繰り返していたので、母が確証を得たのはそのあたりかもしれない。

両親が仲が良くないのは、というか母が父に攻撃的であるのは何となく感じていたが、思春期だったり受験を控えている私には明かされていなかった。姉二人は私よりも早く知っていたようだ。これ以上続くと私が親に不信感を持つと判断した姉たちが私にも言おうと親を説得したらしい。強い姉たちだ。打ち明けられた時、よくわからない感情に私はぼろぼろ泣いた。父は申し訳無さそうにうつむくばかり、母は不快を示していたと思う。

母が父に対して怒り狂うのは理解はできる。(怒りのレベルは到底計り知れないが)ただ、父が母に隠れてしていたことを母は調べたようで、それを子(私と姉)にほのめかすのは勘弁してほしかった。全部は聞かないまでも不快だった。

両親は離婚をしている。私にも子供ができ父にも母にも子育てを手伝ってもらっている。私が長期出張の時に、父のヘルプは大変助かっている。妻と私の父が、私抜きで一緒に過ごすという状況は、大丈夫か?と思われがちだが、こういう事情もあり成り立っている。

父が女を自認していることを私はウェルカムなのかと言ったら必ずしもそうでない。一時期「受け入れなきゃ」という謎の使命感とともに気にしてない素振りをしていたが、やはりところどころ気持ち悪く感じるのである。女性物のドレスを身にまとう父と会うと、「うわ(↓↓)」っと思う。泊まりに来たとき平然と女性者の下着を洗濯に出してくる気遣いのなさには怒りを覚える。(ある時から洗濯ネットに入れてもらうようにした)今も「女モード」の父といるときは目を見て話せない。まれに出てくる「男モード」のときは目を見て話せていることにあるとき気がついた。やはり私にとって父は、キャッチボールをしてくれ、釣りを教えてくれ、自転車にテントを積んで一緒にキャンプしまくった「男らしい」父なのだ。

私が父のそれを受け入れられないため、妻にも苦労をかけている。例えば、娘と父が風呂に入るのを禁じている。これは娘に「じいじの体はどうして〇〇なの」っと聞かれる可能性を排除したい私のわがままである。(実際はどうなっているか知らない)

私の場合、「好きだった父」が今とかけ離れているため、受け入れられていない。父を悪く言う、そう私達に刷り込もうとしている母を見ていた頃から、何となく心の底から両親のことを好きと思えなくなった。たくさん助けてもらっているし、育ててもらった恩もあるし、何より家族だから本当はそう思いたいのに。

ペコ&りゅうちぇるファミリーは子供がまだ小さい時点で方針を固めた。ペコさんの「墓場まで持っていってほしかったと一瞬たりとも思ったことはないと言えば嘘になります。」と言うメッセージはまだ受け入れきれていない自分の心を記した、単なる美談と世間に捉えられたくないというメッセージにも思える。りゅうちぇるさんがもう少し早く生き方を定めれたら良かったのに、と私は思ったがそうするとお子さんは生まれていない。そんな世界線を今の2人が受け入れられるとは到底思えない。よく考えたら、私もだ。

母は父と結婚したことは後悔はないという。あんたたち(われわれきょうだい)3人と会うためだった、と。ペコ&りゅうちぇるファミリーがお互いを心から好きと言える関係が続くことを祈るばかりだ。

〜追記〜
一つ言い忘れたことがある。ぺこさんはりゅうちぇるさんと一緒にいることを今は選んだ。しかし、いつか「やっぱり一緒にいるのは無理でした」っと言う感情になる可能性もあると思う。そうなった時に、「前は頑張ると言っていたけど、やっぱり無理だったんだね」と社会が寛容であることは大事だ。りゅうちぇるさんが自分をありのままに表現するのは素晴らしい!という社会の風潮はできつつある。しかし、そのことによって気分を直接的に害される人がいるのも事実だ。その人の感情への気配りも、できる社会になってほしい。

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