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推しの幸せを願うか、願わないか

まず引かないでください。願わないわけがないだろと思っても一旦、一旦慈悲をください。推しの人生を本気で褒められたものじゃないと思っている酔狂な人間もいるんです。そんな異常者を安全圏から眺められるの、まあまあいい娯楽だと思います。動物園みたいなもんですね

ここまで読んでくださりありがとうございます。クソほど遅い私の持久走を走り終わるまでずっと応援してくれたクラスのみんなを思い出しました。みなさん寛大で嬉しいです。あれ普通にみじめだったよ

さて、いつまでも惨めを晒しているわけにはいきませんので本題に入ろうかと思います。

今この記事を読んでいるそこのあなた、あなたに「推し」はいらっしゃいますでしょうか。こんな嫌なタイトルの記事を開いてくださったのだからいるという前提で進めさせていただきます。そうでない方は私と一緒に走り込みに行きましょう。寒空の下、クラスメイトの視線を受けながら走るあの惨めな時間を二度と体験しないように

私にはたくさん推しがいます。これまでの人生、いろんなキャラを推してきました。私は幸せ者です。たくさんのキャラと出会い、別れを繰り返してきました。最近も1人地獄に堕ちました

ここで早くも問題が生まれるのですが、大抵こういう「自分の推しの話」をする記事では、自分の推しの傾向だとか、共通点だとか、そういう話になると思います。当然ですよね。できるだけ多くの方に納得していただくにあたり、これ以上の手段が私には思いつきません。そんな発想力のやつが文章書くんじゃねえよ

話を戻しますが、私の推したちには問題があります。それは

大して共通点が無い

ということ。

いやいや待てよ、そんなんで万人に伝わる推し談義を提供できるのか?とお思いでしょう。ええそうです不可能です。

私の推したちはとにかく個性的らしく、身内に共通点を尋ねてみたところ「奇人変人」と言われました。たぶん本当なんだけどもうちょっとオブラートがほしい

そのため上述したような「推しの傾向」の話はできないということが既に確定しています。どんな記事だ。そこで私は大して知識も入っていない頭を捻り、個性派揃いの推したちの中でもある一グループに注目することにしました。

彼らを一言で表現するのならば、「なんの擁護もしようのない悪人」だと私は考えています。近しい人間にもなんでそんな連中好きなんだよとしょっちゅう言われるので、画面の向こうのあなたも道端で今まさに命を散らそうとしている蝉を眺めるような顔でこの記事をお読みになっているに違いありません。しかしああいう蝉はここからが恐ろしい。おとなしく横を素通りさせてはくれません。私のセミファイナルはここからですよ

なんの漫画を読んでいても、どんなゲームをやっていても私はたいてい悪役を好きになります。物心ついたときからバイキンマン過激派のナチュラルボーンアンパンマンアンチだったらしいので仕方がありません。血は争えないのです
しかしバイキンマンはなんだかんだ憎めない頑張り屋さんなのでここからは除外します。

ここで私は前述のグループの一例として、「呪術廻戦」の真人というキャラクターを挙げたいと思います。(以降ネタバレ注意)ちょっと著作権が怖いので画像は各自検索してください。こんなところまで来て億劫がらないでください。あなたは深淵を覗いているだけのつもりかもしれませんが、深淵もバリバリあなたのことを見てます

真人というキャラクターはとにかく信じられないほど性悪いい性格をしています。大人の男性と同程度の体格がありながら実年齢は1歳にも満たない(可能性がある)ので、彼の情緒はまだまだ幼い。
作中描写に限っても彼の人格における矛盾性は明らかで、私は彼のそんなところに魅力を見出しています。年相応?の幼さを存分に発揮してシャボン玉で遊んだり虎杖(主人公)殺しまSHOW(原文ママ)を開催してみたり、かと思えば主人公サイドのキャラクターを何人もえげつない手法で葬り、世界人類の8割から反感を買ったのはいい思い出です。私はそんな彼が好きですが。
ともかく、私は彼のアンバランスな魅力、つまり幼さと残酷さの同居したキャラクタリズムが非常に気に入っています。これだけは伝えたい。彼の餌食となったキャラクターたちを推している方にこの記事が届いている可能性を考えると、地動説を撤回するように迫られたガリレオの気持ちがわからないこともないような気がしますが。うぬぼれんなよ

ここで大事な一言を付け加えるのですが、
私は真人の二面性、そして、ちゃんと惨めに報いを受けるところが好きなのです。

みなさんは推しが惨めに散ったことがありますか?私は何度かあります。
仮に散ったことがあったとして、その様子を見て悲しまずにいられるでしょうか。正常な方は推しの心境に立ち、恐怖や怒りや悔しさなど、その感情を共有してともに悲しまれるでしょう。素晴らしいことだと思います。
ですが私は前述の通りどうかしていますので、みなさんのような立派な人間にはなれません。ごめんなさい。来世は人のために泣ける善人に生まれたいな

アニメ2期放映中は彼の生き生きとした悪行に毎週ブチ上がっていました。今でもあれ楽しかったな。身内はみんな彼に早死にを望んでたけどね

しかし私も普通の人間です。死刑前の最後の晩餐にフルコースを要求するシリアルキラーなどではありませんので、彼の所業には普通にドン引きしていました。
そのためさすがに人間をゴミのように扱いすぎている点はまったく擁護できませんし、あんな惨めな散り方をしても仕方ないと思います。
なんならアニメ終わってからずっと死に際の話をしていました。初めて地上波で見たときは因果応報すぎて展開知ってるのに爆笑してました。身内は推しを失ったショックのあまり私が狂ってしまったと心配していましたが、私は極めて正常です。ごめんな、真人があんたの推し殺したんだよな

異常者の話はもうすぐ終わります。待ってください。もう一度慈悲をください。仏の顔は三度までと信じてます。

私は断じて真人が嫌いではありません。むしろ好きです。大好きです。近年稀に見る好き度合いを感じます。好きすぎて心拍数上がってきました

ですが、彼よろしくああいった清々しいほどの悪人キャラには、私はどうしても「人間らしさ」を求めてしまうのです。完全無欠の最強魔王なのに掃除洗濯が異様にできず、妻の尻に敷かれているようなキャラクターが好きなのです。(完全に思いつきで書きましたが、こういうキャラクターがいればぜひ教えてください)
そのため情けない散り際や弱みを見せるシーンに非常に魅力を感じる、というだけで、決して人が苦しんでいる姿が好きなわけではありません。なんなら悪人という前提があるので欠点がないとヘイト管理もできないと思います。悪人にとっての欠点は魅力の一要素となりえ、そのキャラクターにより人間的な深みを与えるのではないでしょうか。

つまり私は推しに幸せを願っていないわけではなく、推しの多少の弱みも含めて愛したい、なんならそこが好きなんだ、と主張したいわけなのです。でも傍から見たら推しの不幸を望み続ける異常者だな私、と急に思ったので弁解を始めた次第です。私は断じて真人が嫌いじゃありません。マジです。この首を賭けてもいい

今回は悪人キャラにスポットを当てましたが、個性的なのが共通点とまで言われる私の推したちは本当に人格がバラバラなので話題が尽きません。次回はたぶんもっとまともなキャラクターたちの話をすると思います。深淵はいつでもあなたをお待ちしていますので、おかしなやつを檻の向こうから眺めたいなとお思いになった際はぜひお越しください。

おわり

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