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SF創作講座2023「最終課題:第7回ゲンロンSF新人賞【実作】」感想(3)

 SF創作講座の5月10日の授業後の懇親会で、大森望先生と同席する機会がありました。
 先生に「最終実作29本、全て読むのに、どれぐらいの日数がかかりましたか?」と伺った処、「2週間ぐらい」というお答えでした。
 これが、プロの書評家の読書スピードか~!
 私が自作を除く、全28本を読み終えたのは、5月16日の夜。最終実作を印刷したのが(私、プリントアウトしないと、長文は読めないタチなので)4月6日なので、約80万字(分量的には『三体』の第1作の2.5倍ぐらいらしいです)を読破するのに、41日かかりましたね~。
 その間に、私、読了した本は図書館本の1冊だけですし、映画館へ行く回数も極力減らすなど、かなりプライベートも削ったのですが……。

 私がグズグズしている間に、朱谷さん木江 巽さんがnoteに全作の感想をアップ! 『せめて、SF創作講座6期の有志&諸兄諸姉の方々が、最終実作の感想会の音声データを公開される前に、私も全作の感想を完成させねば……』と、あがいたものの、間に合わず。
 更に『とどめ!』とばかりに、『最果てラジオ』の最終実作感想回まで公開されてしまい……。
 いやもう完全に完璧にタイミングを逸してしまいましたよ!

 『もう私ごときの感想なんて、お目汚しにしかならないし、要らないんじゃね?』などとも思いましたが、この40日余り、呻吟し続けた末に書き上げた『我が子(笑)』を、自らの手で葬る気にはなれなかったのですよ~。あぁ、親心~!

「私の読解力不足に起因する読み違え」、「単なる『いちゃもん』にしかなってない、見当外れ極まりない指摘」など、執筆された方々のお気に障ることを多々書いているかもしれませんというか、確実に書いているとは思います(私がどういうスタンスで感想を書いたかは、『感想(1)』の冒頭をご参照ください)
 あまりの勝手な言い草に怒り心頭に達せられた場合は、『多寡知の最終実作を血祭りにあげて(苦笑)、仕返しする』なり、『諸兄諸姉が公開された、多寡知の戯言より、遙かに価値がある感想の方に信を置く』なり、皆様のお気に召すまま、ご存分になさるがいいさ! ガンプラは自由だ!

 以下、ご笑覧頂ければ幸いです。

13)木江 巽/真夜中あわてたレモネード

「最終候補選出作に、落選作の作者である私が何を言えばいいんだー」案件(その壱)ですよ!(苦笑)

 主人公・僕の語り口が軽妙でテンポ感もあり、するすると読めました。相棒(?)のシンディのキャラも秀逸で、僕とのやりとりも楽しかったです。

 ただ、この僕って「高卒」とあるので、少なくとも18歳以上ですよね? それにしては語り口が「少し幼くないか?」という違和感を、個人的には感じました。 
 また僕が18歳以上だとすると、隣のお屋敷のお嬢様や執事から「(僕の家宅侵入を)微笑ましい光景」と思われていたとか、「男の子だから冒険したいのかと思って……」とか、思われますかね?
 僕が小学生、中学生なら「男の子だから」「微笑ましい」とか、思われるでしょう。でも「僕は18歳以上」ですよ? まず犯罪の方を疑いませんか? 世間ずれしたお嬢様のキャラクターの表現として、あえて意識してやっておられるのなら申し訳ないですが(でもお嬢様だけでなく、屋敷の人も同じように考えてたんですよね?)。私、行間が読めない人なので……(苦笑)     あるいは「僕はすごく小柄で童顔だから、中学生ぐらいにしか見えない」って設定があれば気にならなかったと思うんですが……。

  以上、難癖(オイオイ)をつけるなら、これくらいですね。的外れな指摘ですみません。

14)渡邉 清文/殻に彫られた者

「甲殻類系の知的生命体が暮らす惑星を舞台とした興亡史」を、21世紀の我々が読める形に翻訳した態の物語。

 地球とは全く接点がない文明の物語ですし、私の読解力の問題もあって、登場甲殻類たちの形状が、イメージしづらかったです。「三対の目、口とその左右に副口があり、殻を持ち、脚(後脚、陰脚、腰手)が複数ある」と描写されても、私には形状が上手く思い描けませんでした。

 また彼らが水中で産卵&放精し、繁殖するという設定は、私、鮭の生態とか嫌いなので、生理的嫌悪感が先行してしまい、まったく感情移入できなかったです(個人的事情で申し訳ない)。
 結果、小説をキャラ読みをする私には、かなり辛い作品でした。渡邉さんは小説をきちんと書ける方だと認識していますが、この作品に関しては「ノット・フォー・ミー」な作品だったな~と。 

「人類を全く登場させずに、異種知的生命体のみで綴られる物語」という設定に挑まれたこと自体は、意欲的で良いと思うんですよ(実は私も6期の第6回の梗概で、そういうのを書いていますが・笑<どうでもいい情報!)。ただそれが原稿用紙100枚の分量があり、しかも登場甲殻類たちに、全く感情移入できないとなると、「読んでいて楽しいか?」ということに……。

 また「形状が甲殻類で、卵生で多産による、独特な社会制度」以外は、登場甲殻類たちのメンタリティとか、思考は、人類とそんなに変わらないように思えました。
 異星人(異星生物)モノに、「人類と異なる文明!」「人類と異質な思考!」を読ませて欲しいと願う読者層の期待には、本作はあまり応えていないんじゃないかと。 

 本作は「現代の我々に分かるように翻訳されている」設定ですが、「皇帝」とか、割と俗っぽい言葉のチョイスなのも「う~ん」と。
 分かりやすくはあるんですよ。でも例えば「最も偉大な甲殻」とか、「至上の甲殻」とか、なんか、もう少し甲殻な異星人っぽい(?)語感とか、語彙が欲しかったかな~と。
「槍」「城」「高楼」という単語にも、あまり異星っぽくないよね~と違和感が……(無茶言うなよ!)

 以上の問題の「ありがちな解決策(苦笑)」を挙げるなら、地球人類の自然学者とか、生物学者とかを、視点人物として配置し、この人物の目を通して、登場甲殻類たちを語らせるって手ですかね。
 それなら「登場甲殻類たちの形状がよく分からない問題」だって、「~彼らは地球のオマール海老に似ている。だが、こことあそこが異なる」みたいな描写が可能なので解消できますし、「登場甲殻類たちに、感情移入しにくい問題」や「単語が俗っぽい問題」もある程度は解決できたのでは? と愚考します。

 それから本作で、私が一番引っ掛かったのは「殻に独特な入れ墨を彫り込み、レイたちに首長や兵らを殺害させる」という『陰謀』の存在。
   いや、『陰謀』自体は別にイイんですよ。
 でも私が陰謀の主なら、更に「凶事を実行した後に、自決せよ!」とか、「同志と刺し違えて死ね!」という命令文の入れ墨を続けて書き込みますよ。
 そうしとけば、殺害を実行したレイたちに、わざわざ追っ手を差し向ける必要が一切なくなるので、後腐れがないですよね? 何故、そうしなかったのか? それがもう気になっちゃって、気になっちゃって……その後の展開に入り込めなかったです(苦笑)
 これが催眠術だと「自らを傷つけるような命令は実行させられない」というルールがあるそうなので(『刑事コロンボ』からの知識)、それと同様の理由で「陰謀の主も、レイたちに自殺を命ずる入れ墨は彫れなかったのだろう」てな考察を、登場甲殻類たちが少しでもしてくれていたら、私も気にならなかったのですが。

 その後の展開も
1)集落にただ一人残され、引きこもっていたはずの長老が、どうして皇帝軍の動向を詳しく知っているの?

2)皇帝ともあろう者の寝所まで、レイたちがあっさりと辿り着けたのは、おかしくないか? そこは百歩譲ったしても、その後の寝所での乱闘騒ぎを起きても、駆けつけてくる近衛兵や兵士がただの一人もいないのは、さすがに変では?

3)皇帝の寝所で、引きちぎられたレイの前腕を、同行の兵士が拾い上げた理由は?
 など『何故?の嵐』でしたが、「陰謀主が、自決を命ずる入れ墨を彫らなかったのは何故?」に比べたら、ささいなことですかね。

 ~「殻に刻まれた入れ墨に操られる生物」という設定はユニークでしたし、いろいろ挑戦されている作品であるのは認めます。でもそれらの挑戦があまり上手くいってないなーという読後感でした。

15)文辺新/倒れこむように走れ

 競技用サイボーグである主人公が、幼い時に抱いた「あの人」へ憧憬を、物語の最後まで貫き続けるのは、物語の背骨がしっかりしていて良かったです。
 ただ世界観があまり見えてこないのは、勿体ないな~と思いました。「SFは、その世界を描くことも重要な要素」だと私個人は思っていますので。
 本作での「地球と火星の関係はどうなっているのか?」「火星小麦なるものが生育している描写はあるものの、火星はどれぐらい、テラフォーミングが進んでいるのか?などは、知りたかったな~と思いました。
 例えば「テラフォーミングはまだまだ初期段階で、火星の酸素濃度は、地球に比べるとまだ低い」という設定を採用したのなら、「火星に棲む人々はサイボーグ手術を受けて、環境に適応するのが当たり前。だから火星ではサイボーグへの偏見や忌避感などは皆無。また主人公のように一つの目的に特化したサイボーグへの理解も深いし、スポンサーが協賛するスポーツ大会も大々的に開催できる」てな具合に、世界観を掘り下げられたと思うんですよね。  

 また主人公の参加している『大会』がどれ程の規模なのか、どれぐらいの人気があるのか、観客たちの熱狂具合などの情報も、もっと書き込んで欲しかったですかね。
 現状だと、「峡谷で200キロの直線レース(これは地球では難しいですよね)」という競技が行なわれたことは分かるんですが……。
 主人公が不整地で「四脚の三人の選手に追い抜かれ」という記述があるものの、「レースへの参加選手が全部で何人なのか?」という情報が全く提示されていないので、「主人公の順位が何位まで落ちたのか?」がさっぱり分からないんですよね。
 あと「サイボーグたちのスピード競技なんですから、時速何キロぐらいで走っているのか?」の情報も欲しかったですね(「オリンピックレベルの短距離走選手は時速36キロで走れる」と昔、聞きましたが)。
 地球とは気圧も重力も異なる、火星でのレースに出場したサイボーグ選手たちは、果たして時速何キロで走っていたのか? 気になるのは私だけでしょうか?
 幻想小説風の作品ならば、具体的な数値を明らかにするのは野暮なので、数値の類いを曖昧にするのは分かります。ですが、本作はリアル寄りの作風なので、そういう数値は明らかにして欲しかったなーと思います。

 それから主人公が第37回大会のレースで大破した後に、第8回大会で、あの人が「第1~3シーズンを通して戦った」という情報が明かされて、かなりビックリしました。
 てっきり『オリンピック形式だと思っていた大会』が、実は「F1レース」形式だったなんて……。主人公が参加する大会ですし、そういう情報は、前もって提示して欲しかったです。 

 作品冒頭とラストの光景が呼応する構成は王道ながら、印象的でした。
 それだけに、読者へ情報提示の幾つかが上手くいってないように感じられたのは、残念でした。

16)大庭繭/うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱

「最終候補選出作に、落選作の作者である私が何を言えばいいんだー」案件(その弐)ですよ!(苦笑)

「未来から自分の子供がやって来る(私の実作の方は「ペテンだった」というオチですが)」「猫もしくは、猫にゆかりのモノが登場する」というシチュエーションは、私の最終実作と同じなのに、一方は最終候補、もう一方は落選。何が明暗を分けたのやら……(苦笑)

 同い年の母=ユミと娘=ツバサの視点を交代しながらの、ややアンニュイで独特な語り口は絶妙であり、野郎の私には絶対に書けないディテールの描写も盛り込まれていて感心しました。
 ユミとツバサのコミカルな(時に深刻な)親密感のある、やりとりも良かったです。
 妊娠5ヶ月のサホ(シホ)さんや太客の奥村さんなど、サブキャラのエピソードも印象的でした。 

 一点、引っ掛かりを覚えたのは、ユミの身体に入ったツバサが遠い街の梨畑を訪れる場面。すごく印象に残るシーンではあります。でも、

1)メモリートリップは「他者(この場合はユミ)の過去の記憶にアクセスする技術」

2)「きっと、この風の匂いをママは知らない。ママがこの街に来るのは、この梨畑がなくなったあとだから」という記述から、ユミの記憶には、この梨畑はそもそも存在しないのでは?

3)となると、ユミの記憶にアクセスしている、このメモリトリップでは『ツバサが梨畑を訪れることは不可能』ではないか?

 と考えてしまうのですが、私が誤読しているだけですかね?
引っ掛かったのはそれぐらいでした。

17)森山太郎/1分子通信と逃走DNA

 4,200文字で、しかも未完となると、感想は言いにくいですね。せめて主人公が「詳しい話」をする処ぐらいまでは書いて頂きたかった。
 強いて感想という名のツッコミを書くなら、主人公の漫画が惑星Yで受けた理由が、弱いかな~と。この理由なら、実力のある別の作家が惑星Yへ向けてのチューニングした漫画を描いたら、主人公以上の大ヒット作を生み出せるのでは? と思いますし。
 また主人公は結婚しているのに、肝心のお相手については全く何も記述されていないのはどうなの? とも思います。せめて主人公が漫画を描き続けることをどう思っているのか、ぐらいは描いて欲しかったです。
 理解しているのか、放任しているのか、また(異星漫画家になって稼げるようにまでは)半ば諦めていたのか、など知りたかったです。

 もし続きの部分で、これらの部分について言及・補完される構想をお持ちだったのなら、申し訳ないです。

18)中野 伶理/那由多《なゆた》の面《おもて》

 最終候補に選出された作品に、私如きが何をか言わんや、ですよ! 案件(その参)。

 私が何を書いたところで、中野さんにとっては単なる雑音であり、夾雑物でしかないのでは?(汗)
 能面作りという難事に挑む主人公を絡めつつ、「能」という古典芸能の奥行きの深遠さがよく書けていたと思います。人工皮膚と対話型人工知能というSF的ガジェットの使い方も上手かったです。端正かつ時に詩的な美しい文章も良かったです。
 私、『ガス人間第一号(1960)』という映画が大好きで、それきっかけで能について勉強した経験があるのですが、そんな私でも「へっー、知らなかったー」という能の情報が満載(しかもその情報の出し方や説明も上手い)で、感心することしきりでした。
 その上で、敢えて『雑音』を幾つか書き連ねると、

1)(恐らくは)恋愛対象だった女性・志津野の娘である飛鳥と初めて会った時雨の反応があんまりにも淡泊では? 
 地の文が飛鳥の視点に寄り添っているので、あまりに分かりやすく時雨に動揺させると、コメディになっちゃうのでアレですけど……(苦笑)
 志津野を模したエスキースが手元にあって、その娘が目の前にいて(志津野の面影が、飛鳥に見い出したりしないのか?)、感情がまったく動かないのかな~と? 時雨は喜怒哀楽が完全に死滅した人ではないですよね? あと志津野の動向について、時雨は何故、飛鳥に訊かないのかな? という疑問も。
 離婚後、志津野・飛鳥親娘の前に、真也は現れていない。となると、志津野が亡くなっていることを、時雨は恐らく知らないと思うんですよ。
 エスキースのモデルについて、時雨に尋ねて、「母ですけど、亡くなっています」と時雨が答えると,鉄面皮の時雨が僅かながら動揺を見せるという描写でもあれば、終盤の「真也・時雨・志津野が三角関係だったのかも?」という種明かしがより効果的になったのでは? と愚考します。 

2)終盤、「この世に戻ってきた」飛鳥は、ベッドで亡くなっている時雨を目撃するわけですが、死後、どれくらい経っているんでしょうか? 臨終してすぐだと、さすがに医師や看護師が病室にいると思いますし。
 でもその病室に心神喪失状態の飛鳥がいたら、看過せず、何らかの処置を施してしまうし、そうなると時雨の死に顔を飛鳥はスケッチできないかもしれないし、ここら辺は曖昧にしないといけないのかな? 

3)大和路のキャラクターはとてもいいと思うんですが、最後の「今後、苺牛乳おごってくれよ」の台詞はちょっと違和感を覚えます。
 話し言葉で「今後」って言うかな~? と。ここは「これからも」とか、「また」でもいいんじゃないですかね? 多分、その前の飛鳥の台詞が「これからも一緒に組んでほしい」なので、「これからも」の重複を避けたんだと思いますが。
 でも最後の台詞なので、ここは違和感のない言葉遣いにして欲しいかと。私の個人的な好みなんですが。細かくてすみません。

4)中野作品は、登場人物たちが総じて生真面目すぎて、やや感情移入しにくいかなーと思ってました(私は隙を見てはギャグを入れていく作風なので、余計に)。
 シラスで過去に配信された『管浩江のネコ乱入!~創作講座と雑学などなど』の中野さんの特集回でも、そのような指摘がされていた記憶が……。

 しかし本作は、大和路という「癒やし系のデブキャラ(失礼!)」がいるので、常の中野作品にはない、ほっこり感があって良かったと思います! 

19)むらき わた/アザミが枯れたときにはこのまま寒い冬が続くと思っていた

 「奇妙な味わい」のパンデミックものですね。
 私なりの理解で本作を要約すると「奇病の原因の病原体(?)が特定される(仮説は幾つか提示されますが)でもなく、といって人類が滅びに向かうでもなく。流言飛語が飛び交うものの、事態の真相は明らかにならないまま……。物語は杏奈たちの周辺の極めてパーソナルなエピソードで緩やかに幕を閉じる」という感じになりますかね。
 私はその方面には、とんと詳しくないのですが、純文学というか、私小説系な作品だなという印象を受けました。
 私も「友人だと思っていた人間から、気づいたら関係を切られていたこと」が複数回あるので、杏奈が、親しかったはずの愛理に関係を切られて驚く場面は、胸に迫りました(苦笑)

 個々のエピソードには生活感が溢れていて、こういう生活に根ざしたモノは自分には書けそうもないので、勉強になりました。

 全編に漂う「曖昧模糊の空気感」と「何とはなしの不安感」が印象的な作品ではあるんですが、何せ私は「奇病の原因はこれだっ!」「奇病の原因は人類の叡智により完全に撲滅されました。人類大勝利!」というエンタメ色濃いめの作品に毒されている輩。なので、本作は率直に言って「ノット・フォー・ミーな作品だったかな」と(ごめんなさい)。
 とはいえ、こんな雑な感想には目を向けず、むらきさんには我が道を極めていって欲しいとは思います。

 PS.台詞の一番最後に「~した。」という感じで、句点を付けておられますが、小説では省略する方が一般的だと思います。 

20)国見 尚夜/PFR祐天寺稼手那の入場

 文章は基本的に読みやすかったですし、メインとなる事件は結構、陰惨なんですが、主人公・祐天寺のキャラクターが陽性なお陰で、作品の雰囲気が過度に深刻にならないのは良かったです。

 軽~い(たまにシリアス)祐天寺と、冷静なツッコミ役の助手・凜とのコンビも、両者のキャラの違いが明確で良かったと思います。
 その一方で、意味がよく読み取れない文章が散見されました。
 例えば、祐天寺についての説明で、

1)「一部ではある程度の知名度はある反面」←何故、一部での知名度があるのか、説明がない。

2)「結果的に依頼時期も早まる」←ロジックがよく分かりません。前段での『依頼の実施時期がほとんど来期』という説明と矛盾していませんか? 「依頼時期が早まっている」のなら、来期ではなく今期に依頼が集中するのでは? 

 凜と初めて接した祐天寺が、彼女の名前を見て、「デイモン・ラニョンの生まれ変わりか」と呟いた意味も不明でした。
 デイモン・ラニョンって、アメリカの小説家・ジャーナリストだそうですが、なぜ凜がその生まれ変わりになるのでしょうか? 祐天寺のユニークなキャラの表現をする手段にしても最後まで説明がなかったのは気になりました。
 これで祐天寺が、他の初対面の人間にも「あなたは●●の生まれ変わりだ」と言って回っているキャラなら、特に説明がなくても「まぁ、そういう人間なんですね」と得心できたのですが。
 主人公とそのパートナーの出会いに関するパートは重要だと思います。そこは配慮が欲しかったですね。

  それから「双子の姉弟で、姉だけ学習塾通い。弟は塾に通ってない」理由の説明がないのは地味に気になりました。経済的な理由で二人を通わせるのは無理とかでなければ、普通、二人とも同じ塾に通わせませんか? 
 途中まで私は、家庭内での差別とか、虐待を疑いましたよ。
 弟は「勉強がとてもよく出来るので、塾通いの必要がなかった」とか、「スポーツ推薦が決まっていたから」とか、何らかの説明は欲しかったです。 

 被害に遭った娘の名前が「蕗佳」と判明するのが、紙数の1/3が過ぎた辺りなのは遅すぎると思いました。

 蕗佳が3年後、宮崎の塾に通うことになったのは偶然なのか? 宮崎の洗脳が効いていて、自ら入塾を両親に告げたのか? 春山家が、宮崎の塾と関わりを持つきっかけなんですから、かなり重要なはず。なのにその情報が本作中に明示されてないのも気になりました。誰もこの一家に聞かなかったのでしょうか?

 宮崎が、小学5年生の蕗佳を誘拐した際に、誘拐したのが、本来の目標だった玲央でないことはすぐ分かったはず。なのに、彼女に洗脳処置を施した理由が全く分かりません。
 蕗佳を洗脳で操り、本来のターゲットである弟・玲央を自分の元に来させようとしていたのならば分かるんですか、何故、宮崎はそうしなかったのか?
 そも14歳の蕗佳に手を出すような宮崎ならば、小学5年生の時に、彼女になぜ、手を出さなかったのか?
 3年、間を空けたのは何故か?
 宮崎の玲央への執着はどこに行ってしまったのか?(坊主頭の玲央を見て幻滅したのか? そも宮崎の性的嗜好は少年だけが対象なのか? 玲央への執着を、仕方なく蕗佳で代替していただけなのか?)

 殺人事件なのに、肝心の凶器について語られないのは何故か?

 祐天寺の推測通り、宮崎を殺したのが玲央だとしたら、殺人を犯した彼の心のケアの必要性を、心理学のプロであるはずの祐天寺がまったく考えないのは何故か? 
 そも玲央に宮崎を殺したという自覚はあるのか? 父親に罪をかぶってもらって罪悪感はないのか?

 被害者が死亡しており「死人に口なし」とはいえ、本作での殺人事件については謎とか、不可解な点が多々あって、納得感が薄く、モヤモヤした読後感でした。 

 それから『稼手那』というネーミングは、意味も読みもパッと見で、分からないし、再考された方が良いと感じました。可読が困難なネーミングでキャラを立てるのではなく、その人物の行動でキャラ立てをした方が良いと思います。祐天寺のパートナー・凜の名字の『欄音(らのん)』にも同じような難を感じました。

 また『52歳』や『46階』などを何故、『五二歳(一部では『五十二歳』表記)』『四六階』と漢数字で表記されているのか(しかも『十』を抜いて)、国見さんの狙いが分かりませんでした。雰囲気作りでしょうか?
 私だけかもしれませんが、この表記を見る度に、いちいち『52』『46』と頭の中で変換しなければならないので、その度に作品への没入感が削がれ、難儀しました。 

『PFR(精神現場代理人)』という造語は、大オチとして持ってくるには「インパクトに欠けているな~」という印象を受けました。
 例えば、笹本祐一氏の巨大ロボットSF小説『ARIEL』に『国立科学研究所(Science, Chemical, Electronics, Biochemical and Aerospace Industry)』という日本の科学の最先端を結集した施設が登場するんですが、略称が『SCABAI(スケベイ)』なんですよね(苦笑) 
 造語を持ってくるにしろ、こういう洒落っ気(?)とか、インパクトのあるネーミングの言葉が欲しかったです。折角のタイトル回収なんですから。

 PS.『サイコダイバー』シリーズはかなり前の作品ですし、未読でも問題ないかと。
 でも『サイコダイバー』シリーズの元ネタと夢枕獏氏が公言されている小松左京氏の短編『ゴルディアスの結び目』は、日本のSF短編のオールタイムベストには必ず入ってくる作品ですし、読まれた方がいいかも(既読ならすみません)。

21)小野 繙/ANQLIAの恋歌(ラブソング)

 語り口が軽妙でリーダビリティが高く、枠物語の形式を採用しつつ、ストーリー展開に(私には)予想外だったひねりが幾つもあって、大変面白かったです。
 ヒロイン、姫、魔人たちキャラクターも活き活きしていて、好感が持てましたし。
 最初の二つの惑星で、ヒロインが体験した出来事が、終盤の展開に大きく関わってくるのも満足度が高かったです。
 物語に、適度に寓意があるのも良かったです。

 魔人が語る「魔法はどれほど優れた科学技術よりも半歩先を進んでいるんです。魔法に不可能はありませんぜ」理論には、最終実作を「とにかく古代の偉大な宇宙文明の遺跡の力なんだから、細かい理屈は気にするな!」で押し通した私のアバウトさに相通じるものを感じました~(一緒にして差し上げるな!)。

 唯一の不満は、他者がヒロインに絶対に触れることが出来ないという仕組みについて、何らかの科学的な説明(「斥力場発生フィールドが、アンの全身を包み込んでいるのだ!」とか何とか)が欲しかったなーぐらいですかね。逆にそこは曖昧にしておいた方がいいんですかね。
 でもヒロインをメンテナンスする時に、この「触れられないパワー」が継続していると、技術者たちがヒロインに触れられません。
 とはいえ、ヒロイン自身はこのパワーを切る権限はないのは明言されています。
 となると、外部に、彼女の「触れられないパワー」のオン/オフのスイッチがあると思うんですけどね。どうなんでしょうか?

22)矢島らら/はやぶんのジャーマンスープレックス

「女子プロレス×アンドロイド×新種の微生物(変異種)」というお題で書かれた、三大噺という印象を受けました。ただ、その三要素が、物語上、無理なく絡み合って、有機的に機能しているか? というと、少々厳しいという感想でした。

 二道が愛したヒールノイド・はやぶん。彼女が人工物より、天然モノを好んだからといって『はやぶんを再現したマスクに使う赤色は、絶対に新種の微生物から取らなきゃ!』という二道の思考は、かなり無理があると感じられました。
 マスクの着色にもっとふさわしい、天然由来の染色素材って、他に幾らでもあると思うんですが……。
 二道の「微生物で染色!」というこだわりには狂気というか、強迫観念すら感じられて、読者としては共感しにくかったです。

 本作のメインとなるプロレスシーンは、少しこってりと書き込みすぎで、冗長と感じられる部分もありましたが、試合そのものはよく書けていたと思います。
 ヒール専用アンドロイド(ヒールノイド)が、同じくアンドロイドの選手と試合をするのではなく、あくまで人間の善玉(ベビーフェイス)と組み合うという設定も独自性があり、良かったと思います。

 矢島さんが恐らく思い入れをお持ちのメカニック関係や、あるいは取材をされたという微生物関連の事項を「詳細に思う存分、描写したい!」というお気持ちは理解できます。「でもここまで詳細に書き込まずとも、説明や描写はもっと簡素でもイイんじゃないかな?」と感じられる箇所が結構ありました。
 説明パートが長くなると、読者の目が滑っちゃいますし、物語の進行が停滞するので、短くまとめるに越したことはないと思います。

 それからクライマックス。
 エールの対戦相手・キッサー彩音が、口腔内に「新種の微生物を流し込まれる」展開は、いくら何でも「二道、やり過ぎ!」で、正直ドン引きでした。
 微生物(しかも変異種)の安全性を、二道は動物実験などで事前に確認したわけでもないでしょう?
 彩音が何らかのアレルギーを持っており、微生物のせいで、重篤な症状に陥らないとは断言できないですよね?
 そも、彩音はそこまで悪いことをしてないでしょう。プロレスラーとして、エンタテイナーとして職責を全うした彼女にあまりといえば、あまりの非道な仕打ち。
 二道の彩音への憎悪には「逆恨みに近い理不尽さ」しか感じなかったです。証拠隠滅を図る二道の周到さも、陰険に感じられて、余計に彼に対して嫌悪感をおぼえました。
 ~百歩譲って、「彩音は善玉レスラーの仮面を被りながら、実は常にダーティーな手を使う性格最悪な女子レスラー。過去に卑劣な手を使って、二道が熱愛する、はやぶんを引退&再起不能に追い込んだ張本人である。エールがリングから去らざるを得ないように、陰謀を巡らせたのも彩音だ!」みたいな、二道が「殺しても飽き足らない」と思うほど、彩音を恨むに足る、二重三重の『因縁(プロレスでいう処の”ギミック”)』が設定されていたのなら、まだ納得がいったのですが。
 現状では、終盤で試合不能となった彩音に同情しこそすれ、二道とエールたちの『ダーティーな勝利』を喜ぶ気には全くなれなかったですね。

 あと格闘技は、特に選手の体重が問題になると思うんですが、ヒールノイドについて素材は詳しく記述されているのに、重量についての記述が全くないのは、気になりました。 

23)谷江 リク/倫理記述士海老名メグの仲裁

『倫理記述士』という架空の職業のアイディア自体は面白いと思いました。
 でも私はお金に汚い人間(笑)なので、『倫理記述士』の収入源とか、この職業を巡るお金の流れとかが、どうなっているのか? が気になって気になって……。作中に金銭的な報酬の話とか、全く出て来ませんよね? 

 例えば第一章でメグとタクトは、サンマ漁師の爺さんの許を訪れますが(交通費やら経費もかかりますよね?)、そもこの件の依頼者は誰なんでしょうか? 二人を迎えた態度から、爺さんじゃないだろうし、批判された政治家(個人名を特定して批判されたわけではないし)とは思えないし……。それとも『倫理記述士』とはボランティアなんでしょうか?
 あと何故、二人は爺さんを訪ねたのでしょうか? 爺さんの真意を知るためには、絶対に面会しないとダメなんでしょうか? ネットとか、電話とか、テレビ通話じゃダメなんでしょうか?
 そも『倫理記述士』は国家資格なんでしょうか? 日本に何人ぐらいいるんでしょうか? メグが「勝手に名乗っているだけ」の職業かなとも思ったんですが、彼女は学生時代に、別の『倫理記述”師”』に会っているから、そうではないみたいだし。色々と謎ですよね。

  作中、倫理のプログラム画面が挿入されるのは、作品の雰囲気作りとしては、面白いなと思いました。私はプログラミングを学んだものの、全くモノにならなかったヒトなので、画面の意味はよく分かりませんでしたが(苦笑) 

「赤甲羅を投げる前の顔」「錦帯橋」「バイオレーション」「超伝導のピン止め効果」「時代モナド」「圏論」「prejudgeだ」「king of anti-ethics」「(浮気ごときに)紫帽子」「Allowed」など、私の知らない/分からない
言葉がポンポン出て来て、少々戸惑いました。
 そういう言葉が出て来る度に、読むのを中断して考えたり、調べたりするのが、地味にストレスでした。
「分からなければ、自分で調べろ!」と言われれば、それまでなんですが、読者に対して、やや不親切かなと。

 世界観というか、作中における日本の科学レベルについても、特には説明がないので、よく分からなかったです。「配膳をするロボット猫?(何故に猫型? まぁ猫耳娘を実作に出してたヤツに言われたくないとは思いますが・苦笑)」「ロボット猫の調教師? 自律型とか、自己学習型のロボットじゃないの? AIはどうなってるの?」「各地に、超伝導モノレールが普及している世界? しかも利用料金は無料か、もしくは小学生の小遣い程度で賄えるぐらい安いの?」と色々、引っ掛かりました。全体的に何だかチグハグというか。 

 あと細かいことですが、「模型でデコイだけど、食べられるサンマって何?」「タコって、こんな浅瀬にいるかな?(タコ自体は可愛かったです)」「ピオット博士のエピソードで、何故、ヘリが墜落したことが、人々に分かったの? 不時着したかもしれないじゃん! パイロットは怪我して動けないだけかも! 通信機が壊れて連絡できないだけかも!」「倫理記述”師”のお姉さんに嵌められた電撃腕輪を、メグはどうやってハズしたの?(お姉さんとはその後、再会しなかったの?)」「告白はOpenEthicに反します(何故、反するの?)」などが、私には分からずじまいでした。 

 語り口は軽妙なので読むのには苦労はしませんでした。メグとタクトのやりとりも楽しかったです。
 でも折角『倫理記述士』というユニークな職業を創造されたのに、各エピソードは割合、地味で(別に「倫理記述士に、世界を救わせろ!」とまでは言いませんけど)、この新職業の面白さを、読者に十二分に伝える内容になってないのでは? という読後感でした(ごめんなさい)。 

24)鹿苑牡丹/SOMEONE RUNS

「最終候補選出作に、落選作の作者である私が何を言えばいいんだー」案件(その四)ですよ!(苦笑)
 鹿苑さんが、アピール文で本作の「材料」として挙げられていた作家を、私は不勉強で、中島敦以外、読んだことがないどころか、名前も知らなかったです。ほんと「そんな私が何を言えばいいんだー」案件ですよ!

 本作は終始、一人称で、その語り手が(人工的な)多重人格で、しかも殺人者の『告白文』という、なかなかにチャレンジングな設定なんですが、構成や視点に破綻がなく、結末まで一気に読ませる文章力が、まず素晴らしかったです。
 個人的な話になりますが、晩年の7~8年間、頭がおかしくなった父親の嫌がらせ&罵詈雑言&暴力に苦しめられたので、形は異なれど、母親から虐待を受け続ける、本作の主人公の描写に、自らの体験が重なり、なかなかに辛い読書体験でした。それだけ、本作がよく書けているってことではあるんですが(苦笑) 
 また藍田(姉)さんがとても魅力的に描けていただけに、彼女が主人公に凄惨に撲殺されるシーン(「殴打する音がすっかり水の音になり~」という生々しい描写に、怖気を振るいました)は、本当に胸が痛みました(小並感)。

 主人公が何故、この告白文を記そうと思ったかの『理由』と、その『公開方法』にもオリジナリティがあり、かつ、ちゃんとSFの文法を踏まえているのも良かったですね。 

25)櫻井夏巳/家を出ることのむずかしさ

 独特の世界観が繰り広げられているらしいのは分かるんですが……。ごめんなさい、私の読解力では、作中の地球を中心とした世界の仕組みがよく理解できなかったです。
 終盤、世界の『真の姿』が開示されますが、そもそもの私には偽りの方の世界すら、よく把握できてないので、あまり驚けなかったというか……。 

 私(ホナミ)が付いたお客が「私の名前もホナミでいいよ。お揃いにしよ」と私に持ち掛けてきて……という展開も、「十代女子の危うい気分」としては分かるんですよ。
 分かるんですが、地の文と台詞で「ホナミ」が入り乱れると、結果的に「こっちのホナミはどっちのホナミ?」「この行為を行なったのは、どっちのホナミなの?」と私みたいな胡乱な人間は混乱するばかりでした。
 ただでさえ、独自性が強くて、没入しにくい世界観(ごめんなさい!)に加えて、「主人公か、客の方か、どちらのホナミなのか、よく考えないと分からなくなる」という仕掛けは、読みにくさに拍車をかけこそすれ、読者に益することが何もないので、避けるべきだったと思います。
 同じ名前にするなら、せめて私の方は「ホナミ表記」、お客の方は「《ホナミ》表記」という風に差別化してくれていれば、私も混乱しなかったと思うんですが……。

 また「量子ブラックホール」という言葉を、私は本作で初めて目にしましたし(ググってもヒットしません)、そのブラックホールを「開発し、飛行させる」とサラッと書かれていますが、ブラックホールを人工的に生成するのは、相当に大変なはずですし、飛行するブラックホールという絵面が、まず理解できませんでした。『地球の地上すれすれをブラックホールが周回している』んでしょうか? 素人考えですが、地上の建造物とか、生物は大丈夫なんでしょうか? ブラックホールが飛行すると、「地球の季節が夏だけになる」という仕組みも理解できませんでした。 

 作中に頻出する『ノア』とは巨大企業を指すと思っていたら、「ノアの真ん中に立つ電波塔」という文章がポンと出て来て、「あれ?」と戸惑いました。「ノアの社屋の真ん中に立つ電波塔」だったのなら、まだ理解できたのですが。 

 それから、
1)そもそも『鹿の王』って何だったんでしょうか。説明を読んでも私にはよく理解できなかったです。
 上橋菜穂子の『鹿の王』へのオマージュってわけでもないですよね。
 そもそも何故、鹿なのか?(何かと言えば、自作に猫を出している私に言われたくはないかもしれませんが)
「ものは試しだ。その穴に何か放り込んでやれ」という状況で、手頃だったとはいえ、人間より大型生物の鹿を、いきなりブラックホールに放り込みますかね? 普通はもっと小さい生物でしょう。
「ブラックホールが出現したのが、奈良の鹿公園で、たまたま近くに居た鹿が吸い込まれた……」なんて展開だったら、まだ説得力があったんですが。

2)何故、鹿は量子ブラックホールを取り込めたのか? もしも、たぬきを最初に放り込んでいたら、たぬきの王が誕生していたんでしょうか?

3)ブラックホールを体内に取り込んだら、本来、草食性の鹿が、人間の死体を食べるような雑食性(もしくは肉食)に変化する仕組みが理解できない。

4)鹿の糞はコロコロした球状です。それを敷き詰めて、50数階から投身自殺した人間の運動エネルギーを吸収することは可能なのか? そもそもコロコロしているから安定せず、開(ひら)けた場所に敷き詰めること自体、難しいのでは?

 とにかくテクニカルタームが頻出するものの、説明がないか、あっても抽象的な説明なので、読んでいて、さっぱり頭に入って来ませんでした。
 正直、作品の長さに対して、設定が過多としか思えませんでした。 

「自殺志願の少女と、それを幇助する少女のコンビが、変わり果てた地球を巡る」という基本的なストーリーは悪くなかったと思います。少女の絶命までにタイムリミットが存在する設定も緊迫感がありました。
 ですから、本作が『もっとミニマムで、分かりやすい設定の世界を巡っての、二人の少女の冒険を描く物語』だったのなら、もっと作品世界に没入して読めたのに……と残念に思いました。

26)三峰早紀/終わる街のクレイ

 登場人物は、もうすぐ取り壊されるマンションに暮らし続ける知与と、彼女の部屋を訪ねる少年・和麻のほぼ二人だけ。
 二人の関係をじっくり描き込みつつ、そこにクレイという非日常の存在が絡んでくる展開は、一種、幻想小説のような手触りで、印象的でした。

 ただ私は白黒をはっきりさせたいタチなので、「クレイが何故、誕生したのか?」の理由が本作で明確でないのが、モヤモヤしました。
「和麻がクレイを発見した朝」の描写の直前に配置されたパートでは、知与の部屋を和麻以外の『何者か』が訪れたらしいという『意味深』な描写……。
 これは当然、本作の後半で『何者か』の正体が明かされるに違いない! と期待していると、結局、その正体への言及は一切なし。大いなる肩透かしを食らった気分です。
 知与は高次脳機能障害を持っており、記憶に混乱や断絶部分があるという設定です。
 だから彼女が『訪問者が何者だったのか?』を覚えてなくても仕方がないのですが、でもなぁ~。
 その時、知与は誰に会ったのかを、実はメモに記しており、そのメモは『生活の地層』に一旦は埋もれるものの、後で知与自身が発見するとか(実際、冒頭にそのような描写がありますし)、訪問者の正体を明かすやり方は幾らでもあったと思うんですが。
 まぁ本作を『幻想小説』と捉えるならば、「全ての出来事に合理的な説明がないのは当然である」とも割り切れないこともなくはないんですが……。 仮に「和麻は、クレイを全く認識していない」という書き方だったなら、「あぁクレイは知与の見た幻覚なり、幻影なんだな~」という解釈も出来たし、クレイが非実在の存在なら、その出自を問う気にもならなかったんですが。
 本当、訪問者は誰だったんでしょうかねぇ。気になります。 

 再生能力のある、耐朽性コンクリートという特殊建材のアイディアは面白かったです。150年前にこのコンクリートを使った街が作られ、そのまま維持されてきたってことは、「この世界の日本は戦争で本土爆撃されたりはしなかったのだろうな」とか、色々、想像を膨らませる余地もありました。

 建物に刻まれた記憶を吸い上げたクレイが、知与の亡くなった両親と祖母、そして赤子の手を再現してみせる幻想的な場面は、とてもオリジナリティがあり、素敵でした。
 ただ、赤子の手に触れた知与が「触れてみてわかった。それは私の手だ」と独白する記述に「うん?」と引っ掛かりを覚えました。
 果たして触ってみただけで、過去の自分の指だと分かるものかな~? と。
 現在の主人公の指にも残っている、何らかの特徴的なもの(傷とか、指の形が独特とか)が、赤子の指に見いだせない限り、「過去の自分の指だ」とはっきり断言できないのでは? 

 クレイが、ただの粘土の塊に戻ってゆく直前の描写、「クレイは本体を残さないで、体のすべてを捻り出そうとしていた。それはつまり、このマンションから自らを完全に切り離して、全てを手放そうとしているのだとわかる」という文章は雰囲気たっぷりではあるのですが、私には意味がよく取れなかったです。
「マンションの素材の中へ、クレイが自分の意志の部分(?)を流し込み、吸収させていった。後には意志のない、ただの粘土の塊だけが残った」というような描写だったら、分かるんですが、現行の表現だと、私はクレイがただの粘土になる理屈に納得がいかなかったです。

 ラスト、青年になった和麻と再会を果たす知与という締め方は『二人の物語』に帰結する着地で、そこは良かったと思います。 

27)池田 隆/アンドロイドの居る少年時代

「最終候補選出作に、落選作の作者である私が何を言えばいいんだー」案件(その伍)ですよ!(苦笑)

  思弁小説の側面もある作品だな、と思いました。
 アンドロイドや人工知能に関する、テクニカルタームを交えた技術的な討論のパートには、正直、技術オンチの私の理解力が及ばない部分はありました。でも池田さんは筆力がおありだから、「ここは概ね、こういう意味なんだろうな」と類推はできましたし、何より作品の雰囲気がとても良いので、読まされてしまいました(笑)

「10数年に及ぶ物語」という大河形式なのも、私好みでした。

 家族の根深い問題やアンドロイドはどこまで進化する(させる)べきかという問題に、安易に結論を出していないのも、池田さんの誠実さが感じられて好感が持てました。
 成長に伴い、変化する少年の心と、同じく変化していくアンドロイドの双(ふた)つの心を対比させる構成も見事だと思いました。
 枝葉のエピソードも充実しているので、小説として、とても豊かだと感じました。
 気になったのはただ一点。
 細かいことですが、天野の息子の名前が「ほのか」だったのには、違和感がつきまといました。「これ、女の子につける名前じゃないの?」と。
「ほのか」と文中での表記に出くわす度に、私は一瞬ですが、戸惑ってしまいました。
『私の偏見なのか?』とも思って調べみたら、実際に『女の子の名前の読みランキング(2023)』だと、「ほのか」は1位なんだそうですyo!(鬼の首でも取ったかのように叫んでみるモード)
 となると、例えば「天野の亡き妻は、本当は娘が欲しかったので、代償行為として息子に『ほのか』と名付けた」とか、「出生前診断では女の子という診断だったので、『ほのか』以外の名前を全く考えてなかった」みたいな何らかのエクスキューズは欲しかったかな~と。まぁ気にならない人は、全然気にならないポイントだとは思いますが、私はとかく細かいことが気になるタチなので(苦笑) 申し訳ないです。

28)坪島なかや/親友

 櫻井さんの実作と同じく、鹿が大活躍(?)なことに、個人的には微苦笑(すみません)。「大量の鹿が暴れ、街を襲い出した」という超展開にはビックリしました。『鹿が暴れ出した原因は不明』という説明は一応あるんですが、それでも『何故に鹿?』という戸惑いが付きまといました。
 ……いや、コメディならば、鹿でも別にいいんですよ。
「環境テロリストたちが興奮剤を混入した『鹿せんべい』をばら撒いた! それを食べた鹿たち、大暴れ! あぁ大自然の脅威!」なんて理由でも十分です、コメディならば。
 でも本作は、数を減らしつつある《旧人類》と、将来的には旧人類に成り代わるであろう『視覚者』という《新人類》の未来を見据えた交流を描くシリアスな話ですよね?
 主人公たちが巻き込まれるトラブルとして、『鹿、大暴れ』はあまりに不自然だし、ありえないと思います。作品の雰囲気ぶち壊しで、読んでいて脱力しました。
 大体、作品の軸がブレてしまってますよね?
 人類と新人類の命運を描くシリアスな話をやりたいのか、『動物パニックもの』をやりたいのか……。
 私にはこの作品の方向性が全く見いだせませんでした。
 坪島さんには、この作品を通して、何を描きたかったのか、一度、立ち止まって考えていただきたかったです。
 そも未来の話ですよね? 
 いくら離島が舞台とはいえ、主人公達は雁首そろえるだけで、なぜ携帯電話なりで、島外へ助けを求めよう! という発想に至らないのか? あまりに不自然です。携帯電話がない社会なのか? もしも何らかの理由で『島外に連絡できない』ならば、その理由と状況をきちんと描くべきです。
 そもそも主要人物の一人・ヨルゴスは「政治家の息子」ですよね。父親のコネで、早急に公的機関に救援を求めることもできるのでは?
 作中、不可解なことや不自然なことが多すぎます。

「長い梗概になってしまった」というご本人の弁ですが、厳しいことを言えば、物語の結末まで書いてないので、「梗概にすらなってない」と思います。未提出よりはイイですけど、最終実作としては残念な作品だったと言わざるを得ません。
 以上、キツい言い方になり、申し訳ございません。

 というわけで、自作を除く全28作の感想、ここに完走! 
 ここまで目を通して下さった方に、心からの感謝を!


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