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幸せになることを諦めないで
ちょっと前の朝ドラのセリフがずっと心に引っかかっている。
仲間由紀恵のお母さんが子供たちにいうセリフで、ネットでの評価はまちまちなんだけど、それは良いとして、自分は「幸せになることを諦めない」という感覚になったことがないのでなるほどな。と思った。
そもそも自分は「幸せになりなさい」と言う親ではなかったので「幸せ」ということに疎いのかもしれない。
自分が「幸せ」になることはなんだか遠い世界の出来事のような感覚だったと思う。
だからと言って自分が不幸だと思ってもないし、自分の子供や友人には「幸せになってほしい」と素直に思っている。
じゃあ「幸せってなに」となるわけ。
明石家さんまの「幸せってなんだっけ?なんだっけ?」(だいぶ古い)じゃないけど、自分にとっての「幸せ」とは何ぞや?と考えてみる。
「幸せ」の基準を物質的なものがあるのか?無いのか?で感じる歳ではなくなってきている。若いころは「お金がたくさんあるか?」「高級ブランド品をどんだけ持っているか?」などが幸せの基準だったが、50歳を目前にすると、そういうのはもうどうでもよい。
子ども達やお客様と一緒にくだらない話で笑ったり、庭の花がキレイだったり、よくありがちな「何事もなく朝を迎えられる」ことが純粋に「幸せ」と感じる。
と、同時に「当たり前の朝が来たこと」に感謝するようになる。
庭の花がキレイに咲いたことに感謝
子ども達と一緒に過ごせる時間に感謝
「幸せ」を感じると「感謝」もセットなのかもしれない。
そして、感謝を感じれる自分にも感謝。
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