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40度の夢 コヴィッドの場合。

40度の夢を見たのは今までの生涯で2度目でした。

最初の40度の夢ははるか昔の母が死んでから1年たつか経たないか、、そんな時に名古屋に里帰りしたときでした。父はすでに自宅を離れ新しくできた恋人と新しいマンションで生活していました。私はダンス仲間2人を連れて名古屋に来たのでした。自宅は広くだれも住んでいないので友人も気兼ねなく泊まれて名古屋見物でもさせてあげようと思ったのか?友人の一人のAは東京で散々彼女の家に泊まらせてもらった挙句お母さんのお味噌汁や夕食など呼ばれた仲でした。そして名古屋の自宅で熱を出して寝込んだのでした。父の恋人が飛んできて看病してくれたので友人2人を外に遊びに行くように言いました。その時にAはなんだか子羊のような眼をして、私を見つめました。40度の夢はフラフラと蜃気楼のように揺れてそれは美しい夢でした。その時の浮遊感が、忘れられ無く《40度の夢》というダンス作品を作りました。Aにも踊ってもらいました。コスチュームも私がデザインしました。Aは日ごろからふわふわフラフラした感じがある浮遊感ばっちりのダンサーだったので一番イメージがあっていました。
なんせ40年も昔のことですから私の記憶は薄らいでいます。
でも今も Aとは、親友電話交際中です。私は、彼女の在る面しか知ることができなくなりました。彼女が電話してくるときには必ず死か生、または愛か憎しみかの間でフラフラしている時で、私はアドバイス役または救済役としてカツをいれる役でした。彼女は浮遊感の中で揺れ続け私はいつも土俵に踏ん張って足をつけていたのでした。そのうちこんなことで私は彼女の電話を避けたくなってしまい、そのことも相談して、私も困ったことがあったら彼女に電話をかけるということにしました。1回目は私の旦那が上海で拉致されて返してくれなくなった時に夕刻に電話をしていろんなことを話しました。
そして2回目、コヴィッドになって、40度の夢を見ました。だから困ってはいないけど、彼女と《40度の夢》というダンス作品の話でも出来たらいいかもと。彼女はいませんでした。メールが来て、懐かしいような書き方でまた手が空いたら電話かけるね~と書いてきました。

はて、私は日曜日の夕方、四月二十四日2022年のコヴィッドになって、40度の熱を出しました。そこ日にちを探すのにも今となっては私の記憶は薄らいでよくわかりませんでした。大体金曜日にも熱を出して夢を見たのでその夢とこの40度の夢の違いがもうすでにはっきりしないのです。40度の夢だと思われるものは、関節あちこち熱が出ているので柔らかいのでさぞかし立ポーズがやりやすいだろうと布団の中でやってみます。次々と出来るのですが、いやまずいかもと思うのでした。たぶん後で痛めるに違いないと。それでただイメージトレーニングとして体を動かさずイメージだけで私の苦手な立ちポーズをしていきます。そうしたら夢のようにうまくできて、それもサラサラさらさササササと次々に美しく。浮遊感も色も美しく竜宮城のようでした。それが40度の夢でした。

彼女が電話をかけてきてくれたら思い出すかもしれませんね。

写真は1年間ほっといたyogaトップで、コヴィッドで起きれるときに何故か気になって仕上げてしまいました。迷って一年。エイとやってたかが一日。人生もそんなものか。

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