誰にでも若い時はあった。戦前九州から大阪の看護学校に進み、生涯独身で看護師だった伯母さん。伯母さんの語り出す世界には色がついていた。看護学校の授業が終わったら百貨店の屋上で制服を脱いで繁華街に繰り出し、戦争中は天津まで従軍看護師をして凍った湖でスケートして遊んだ。これは彼女の記録

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