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14. 内緒話

 風太が杏奈の腕から飛び上がり、箱庭に一本だけ植えられている木の枝にとまる。
「ネズミは、あのフクロウの食事か」
 合点がいったふうにロハンがいった。
「鼠はお八つよ。基本的には、風太は自分で餌を調達してくるから」
 雛のときに木の下に落ちていたのを拾って以来、ずっと私の傍にいる子なの、と杏奈は説明する。
「つかず離れず、人生という旅の連れ合い。だから〈旦那〉なの」
「にしても懐いている……というか賢いね。四乃宮まで追ってくるなんて」
「うん、私も驚いた」
「普通、昼間に飛んでくるか? フクロウは夜行性だろう」
「梟が昼間に飛ばないのは、鷲や鷹に狙われるから。風太くらい大きい個体だと、狙われることが少ないから、明るいうちでも飛ぶよ。でも、基本は夜行」
「ふうん」

 風太が落ち着くのを見届けて、ロハンがいった。
「実は、連中が君のために用意していた部屋が判った。一度見てほしい」
 こっちだ、と回廊に戻って歩きだす。
 ずらりと並ぶ扉の一つを開けるかと思いきや、ロハンが向かったのは、回廊の端だった。
 どこかへ繋がる通路の入口のようで、警備兵が仁王立ちしていたが、ロハンを見るとすっと脇に寄って通してくれる。
 ロハンに従って白く細い通路を抜けると、無機質な灰色の石壁が、大理石のつるりとした壁に変わった。
 そのまま真っすぐに進み、ロハンが開けたのは突き当りの扉。
 続いて中に入った杏奈は、思わず感嘆した。
「うわぁ」

 壁紙は、上品な淡いピンクの薔薇。
 奥にあるベッドは、天蓋付き。
 飴色の衣装箪笥と鏡台、書き物机、飾り棚は、ぱっと見ただけで高級品だと分かる深い色艶。
 ソファの座面に貼られた深緑の布を撫でると、するりと滑りよく、最高の手触りで。

 レリーフが施された白い天井を呆け気味に見上げていると、ロハンがいった。
「ここが、君のために連中が用意した部屋だ」
「えっ、でもここ、独房じゃないよね?」
 杏奈は困惑しつつ、窓に目をやる。ガラス越しに見える景色は、灰色の石壁ばかりだが、鉄格子がはめられていない。
「監獄どころか、お城だと錯覚しそうなんだけれど」
「君の直感は正しい」
 ロハンが認めた。
「ここは、四乃宮ではなく、三乃宮だ」
「三乃宮?」
「トマヤの皇位継承第三位の者のための宮だ。四乃宮の長には、慣例的に皇位継承第三位の人間が就くことが多い。だから、住まいと職場――三と四の宮が渡り廊下で繋がっているんだ」
 説明しながら、ロハンは部屋の奥にある扉を開けた。
「こっちへ」
 後を追った杏奈は、続き部屋に入りかけたところでぎょっとした。
 絨毯張りの部屋には、明らかに二人用と思われる大きなベッドが、でんと一つ。
「ご察しのとおり、ここは夫婦の寝室だ」
 ロハンがポンとベッドの端を叩いて部屋を横切る。杏奈も巨大ベッドを横目に見つつ足早に寝室を通り抜ける。
「だから、寝室を挟んで中で繋がっている。さっきの部屋が妻の部屋で、こちらが夫用だ」
 説明しつつ、ロハンが反対側の扉を開けた。
 妻用のファブリックは暖色系だったが、夫用は寒色系。それ以外の設えはどちらも同じで、上質さも変わらない。生活感が見受けられないのも一緒である。
「ここには、先日までは叔父が――前の宮殿長が住んでいた。どうやら連中は、君をやもめの叔父の後妻的立場に据えようと目論んでいたらしい」
「後妻……」
「だが、ここは昨日から私の部屋になった」
 見ての通り、まだ私物は入っていないけれど、といいつつ、ロハンがソファに腰掛ける。
「それで……君はどうしたい? 隣の妻用の部屋か、それとも、四乃宮の四階の独房か。僕としては――」
「四乃宮のほうに部屋をください」
 窓から見える景色――灰色の壁ばかりが続く景色を確かめていた杏奈が、くるりとふり返って答えると、ロハンが微妙な顔をした。
「君の安全を考えれば、隣のほうがいいと思うけれど……」
「でも、回廊の庭がないと、風太に会えないし」
「そこの窓を開けておけば、勝手に出入りするのじゃないか?」
 鉄格子は入っていないのだから、とロハンが食い下がる。
「確かにそうだけど……でも……」
 きれいな三乃宮だと鼠がいないかも……。
 ぼそりと返せば、ロハンが「またしてもネズミか!」と悲鳴を上げる。
「だが、自由度では四乃宮より三乃宮のほうが断然上なんだ。継承位が低い人間の私的空間だから、護衛が常時張りつくようなことはないし、影が勝手に出入りできる〈壁に耳あり〉的な隙間もない」
「影……!」
 囚人の身なので、自由なんて考えも寄らなかった杏奈だ。しかし、目下の最重要課題だとでもいうように、ロハンは重々しくうなずく。
「わかるか? いまこの部屋は完全に人払いがされている状態だ」
 杏奈はロハンの向かいに腰を下ろし、瞼を閉じて気配を探った。
 四乃宮を案内されていたときは、密かな視線を感じていたが、確かにいまは、二人以外の誰の気配もないようだ。
 成程、という感じで杏奈がうなずくと、
「……ということで、いまのうちに内緒の話をしよう」
 ロハンが低く告げた。まずはこれを、と先程補佐官から渡された書類をローテーブルの上におく。 
「連中が君のために立てた一週間の予定だ」
「……なに、これ」
 書類に目を通した杏奈は、〈教養〉の文字を見て眉をひそめた。
「二か月後に死ぬ人間に、なぜ学び?」
「二枚目を見て」
 めくって杏奈は絶句した。〈音楽〉はともかく、
「ダンス……?」
「僕も唖然とした」
 ロハンが苦笑する。
「ジーロいわく、この一週間で連中は君の能力を見極めようとしたのでは、と――」
「私の能力?」
「連中が欲しいのは、淑女ではないかと」
「淑女?」
「予定表に〈昼食〉や〈お茶〉などもあるだろう?」
 ロハンが書類を指さす。
「テーブルマナーを確かめたいのならば合点がいく。さっきの食事も、無駄にカトラリーを多く使う料理が並べられていた。今頃あの侍女たちは、クオカにこう報告しているはずだ。『アンナの食べ方はとてもきれいでした』と」
「食べ方……?」
「僕も見ていたけれど、杏奈の所作は本当にきれいだよね」
 ロハンの微笑みに、杏奈の心臓が厭な感じに鳴った。
 自分も観察されていたなんて。
 ロハンの食べ方が美しいなどと、呑気に愛でている場合ではなかったらしい。
「で、話を戻すとね」
 ロハンが書類をトンと指で叩いた。
「連中は二か月後に、教養の高い淑女を必要としている。だが、時間がないから、素養のある君を選んだ。それが僕とジーロの見解だ」
「どこで……」
 いつ、自分のことが漏れたのだろう?
 杏奈は一つの可能性に行きついて、眩暈がしそうになる。
「経緯はともかく」
 ロハンが短いため息を一つ。
「妻の部屋を準備したことといい、連中は本気のようだ。二カ月で楚々とした囚人を作り上げようとしている」
「楚々とした囚人……」
 杏奈は眉根を寄せつつ繰り返した。
「三文芝居の題名みたい」
「鏡の死自体、連中が捏造した芝居である可能性も捨てられないが」
「でも私、〈弦月の先触れ〉を視たわ」
「解っている。流石の連中でも、被害者が生きていると判ったら瓦解するような計画を、立てたりはしないはずだ。だがそれでも、もう一度、本当にカクマが死んだかどうかは確認する。……確認できるまでは、あちらの出方を窺いつつ様子見で頼む」
「……わかった」

 暗澹とした気分で、杏奈はうなずいた。
 悠長に構えていたら、あれよあれよと二カ月が経って、気付いたら死んでいるかも。

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