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24. 最期の晩餐

 後片付けをしてから四階に戻ると、回廊にいたリリが、杏奈を見るなり駆け寄ってきた。
「あっ、アンナ! どこ行ってたのよ!」
「ごめんなさい。ちょっと図書室に」
「図書室ぅ?」
 鎌をかけてみたが、リリは不満そうな顔をしただけ。
「もうっ、今日は一緒に夕飯を食べる日でしょ」
 お腹すいちゃったよぉ、と杏奈の腕をつかんで、ぐいぐい引っ張る。
「そうだった。ごめんなさい」
 最初の週は三乃宮のロハンの部屋で食事をしていたが、リリとも食べたいと頼み込んで、先週からは二日に一度、四乃宮で食事をしている。
 四階の食堂に行くと、茶髪のミクがちょうど食事のワゴンを運んできたところだった。
「間に合ったぁ」
「よかったわ」
「今日はなにかなぁ?」
「今日は……」
 鶏料理。
 杏奈は喉元まで出かかった言葉を、吞み込む。さっきまで調理場で作業していたことを知られたくはない。
 二人してワゴンに直行し、食事のトレーを手に回廊に面した窓際の席に向かった。そこが二人の定位置だ。
 リリがワゴンに引き返し、水差しを取ってきて、二人分のグラスに水を注いでくれる。
 そして、座るや否や、箸を手に取った。
「やったっ! 焼き鳥! 大好物!」 
 嬉しそうに料理を口に入れ、もぐもぐと食べ始める。
 トマヤ国では、女神ナールに食前の祈りを捧げるのが一般的だが、リリは決して祈らない。〈鏡の死〉を賜って、これ以上なにを感謝しろって? が彼女の言い分である。気持ちは理解できる。
 ……いただきます。
 杏奈は心の中で合掌し、まず水のグラスに手を伸ばした。
 さっき飲んだ毒消しのせいで、口の中がまだざらざらしている。食べる前に流してしまいたい。
 口内に残るえぐ味をゆすぐように、杏奈は多めに水を口に含み、ごくんと嚥下した。 
 水と一緒に、喉元で引っ掛かっていた毒消しの残りが、下に落ちていく感覚。
 すっきりした気分で杏奈はグラスをおき、改めて箸を手に取った。
 だが、次の瞬間。
 カラン。
 箸が杏奈の手から滑り落ち、テーブルの下に転がる。
「……ぐ」
 顔杏奈はを歪めながら喉元を押さえた。
 胸が、猛烈に焼けついて、熱い。
 息が、できない。
 苦しい。
 熱風を浴びたみたいに、肺がちりちり焦げつく。息を吸い込もうとしても、ヒューヒューと喉が鳴るだけ。逆に、胃の腑がせり上がってきた。
「ごほっ、ゴホッ」
 咳き込むと、
 ゴボり。
 口から鮮血が溢れでる。
 
 毒……だ。
 
 杏奈は身をくの字に折り曲げ、激しく嘔吐いて血を吐いた。えぐ味がする、毒消し混じりの赤緑色の血を。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
 異変に気付いたミクが駆け寄ってくる。
 だが、向かいの席にいて、慌てふためいていてもおかしくないリリは、静かだった。
 無感動な瞳で杏奈を見つめながら、好物の焼き鳥の串にかぶりつき、淡々と咀嚼している。
「喉から……手?」
 口から血を垂らしながら問うた杏奈に、
「そうよ」
 リリはこくりとうなずいた。
「あたし、喉から手が出るくらい欲しかったの。あっさりとした死がね」
 刺されて死ぬのはもう嫌なんだ、と空の串を付け合わせの胡瓜の腹にプスッと突き刺す。
「だから、一緒に逝こうよ、アンナ」
「……いや、よ……」
 杏奈が拒絶すると、リリは不思議そうに小首をかしげた。
「ていうか、どうしてまだ生きてんの? 〈囁き〉って一瞬って話だったよね?」
 
 成程。
 それでリリは、名前を問うよりも先に、杏奈の歳をたずねたのか。
 苦しみつつ、杏奈は初対面のリリの言葉に合点する。

〈囁き〉の正体は毒だろう。
 囚人数の資料を見て、推測はしていた。
〈囁き〉を得た者が速やかに毒を呷って亡くなるため、常に四乃宮の囚人数は四十人前後なのだ。
 だが、解せなかった。
 どうして時々、囚人が二人同時に減るのか?
 ようやく謎が解けた。
 まさしく、心中だったのだ。
 それも無理心中。
 
 ――自分で毒を飲むのは、怖いし苦しいだろう?
 ならば、お前より年若い相手に毒を飲ませて殺し、もう一度〈鏡の死〉に捕まってしまえばいい。そうすれば、自身は苦しむことなく、あっさりこの世とオサラバできる。

 まさしく、悪魔の〈囁き〉。
 
〈年下の人間を殺めたら、一瞬で己が身は消え失せる〉
 という〈鏡の死〉の特性を逆手に取った、大胆不敵な方法。
 
 でもね。

 口元の血を拭いながら、杏奈は笑った。

 生憎だけれど、リリ。
 目論見通りには、あなたを死なせはしないから。
 
 強く思ったが、思いとは裏腹に意識は遠退いて、杏奈は力なくその場に崩れ落ちた。


第一章 完
(第二章開始まで少しお時間をいただきます)

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