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父親とやりたかった事

父の3回忌を終え長男である自分の思いを誰にも言えない中ここにつぶやこうと思う。
父はとても厳しく筋が一本通った人だった。他人の事を認めず、何かあれば家族がいれば大丈夫と他人や近所の人ともあまり仲良くなかった。また自分は頭が悪いからといつも自分の事を卑下していたが家族のためにひたすら働いてくれていた。
自分には妹が1人いる。父は妹にはとても優しかった。きっとどこの家庭でもそんな感じなんだろうと思っていた。
父に怒られるのが怖くて反抗期もなく勉強は人並み以上にはやっていた。(今は自分の為に良かったと感謝している)
誕生日プレゼントも父が買いに連れて行ってくれてたが、おもちゃ屋で欲しいもの(予め欲しいものを決めておかないとだめ)が変わると怒られ買ってもらえなかった。おかげで決断力と行動力が速くなったと思う。
無事就職でき結婚し子供を授かりアパートで暮らしていた時にたて、父が家がもう古くてダメだから立て直すんだが2世帯で一緒に住まないか?と相談してきて一緒に住んだ。
世間でよくある嫁姑問題などなく本当に妻には感謝している。
そんなごくごく平凡だが普通の幸せが続いたが父が定年後に癌という病魔に侵され
62歳で亡くなってしまった。闘病中、何度も隠れて様子を見に行ったが情けなくも『体調どう?』の言葉も掛けれない。父の弱いところを見せたくないところも息子ながらに知っているからだ。
自分の娘達とはよく話はしていたが、息子と言うのはある意味自分の分身でもあるのか、たまに会話をすればすぐ喧嘩っぽくなる。俺ももう立派な父親だし少しは聞いてくれてもいいのにと思ったりもした。
父が亡くなって今日まで仕事帰りに車の中で多くの父との思い出を思い起こすと結局は全て今の自分のプラスになっている。ただ感謝しかない。
ただ自分もしっかり父に『ありがとう』と言えなかった事だけはずっと心に引っ掛かってる。父親とやりたかった事は数多くある。酒を一緒に飲んだり、バイクを一緒にいじったり、仕事での悩みを相談したり。父は背中で語る人だったんだろう。
また、あなたの子供で生まれたらその時は『お父さん、あれやろうよ』と声かけるから。
          『ありがとう、お父さん』

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