我慢の限界

廊下を歩く音が、彼女の鼓膜に鋭く響いた。教室の静けさの中、時計の針が秒を刻む音まで鮮明に感じる。もう10分も経ったのだろうか。いや、それ以上かもしれない。気が散る。目の前のテスト用紙の文字がぼやけて見える。脳が別の感覚に支配されているせいだ。


「まずい、限界かも……」彼女は無意識に足を組み直し、机の下で足を軽く動かした。膀胱に蓄えられた液体が、まるで自分の意志を持っているかのように、出口を求めてうごめいている。心臓が早鐘のように鳴り響き、呼吸も浅くなっていく。トイレに行けない、この状況をどうにかしなければ。


教室の前には教師が立っている。彼の視線を感じるたび、手を挙げて「トイレに行かせてください」と言おうとするが、声が喉元で詰まる。他の生徒たちは、誰も気づいていない。彼女一人だけがこの苦しみに囚われている。


時計をちらりと見る。あと30分。このまま耐えられるだろうか。手のひらにじんわりと汗がにじみ、ペンが滑りそうになる。彼女は深呼吸をして気持ちを落ち着けようとするが、効果はほとんどない。もう限界だ。


頭の中に一つの考えがよぎる。何とかして、誰にも気づかれずにこの苦しみから解放される方法があるはずだ。静かに、そして大胆に。次の瞬間、彼女は心の中で決意を固めた。


「よし、やるしかない…」


彼女は深呼吸をして、心の中で決意を固めた。無駄な動きをすれば、事態はもっと悪化する。だからこそ、動作は慎重に、できるだけ自然に見せなければならない。教室の中は、いつも通りの静けさが支配している。だが、彼女の中ではまるで時間が止まってしまったかのように、刻々と迫る危機に心が焦り、鼓動が強くなる。


「絶対に…誰にも気づかれちゃダメ…」


ペンを一度置き、もう一度脚を組み直す。わずかな圧力が一瞬だけ彼女を救った。しかし、その救いは儚く、すぐに新たな波が襲いかかる。胃のあたりがキュッと締め付けられる感覚に彼女は顔を歪めそうになるが、なんとか踏みとどまる。


「あと少し…」自分に言い聞かせるように、目の前のテストに集中しようとする。しかし、文字はもはや単なる線と化し、意味を成していない。思考が、体の一部であるかのように膀胱へと引っ張られている。


彼女は視線を教師のほうへ向ける。相変わらず教卓の前に立ち、無表情で生徒たちを監視している。彼女が何をしているかなど、まったく気にも留めていないはずだ。しかし、声を上げて許可を求めることはできない。その一瞬が恥ずかしさに変わることを、彼女は何よりも恐れていた。


ふと、隣の席の生徒が動いた気配を感じた。彼が軽く椅子を引き、足を組み直す。その行為が彼女の恐怖をさらに煽った。「私も…そろそろ限界なのに…」心の中で叫びながら、彼女は拳を握り締めた。


膀胱が限界のサインを強く発し始める。冷や汗が背中に伝い、頭がぼんやりとしてくる。「もう無理だ…」そう思った瞬間、彼女の体がわずかに震えた。


だが、その瞬間――


「時間です。答案を回収します。」


教師の声が教室中に響き渡る。彼女の心臓が跳ね上がり、思わず椅子に体をのけ反らせた。「終わった…!」この一言が、彼女の全身に安堵をもたらした。


ゆっくりと立ち上がり、周囲の目を気にしつつ答案を前に送る。そして、ついに教室を出る瞬間がやってきた。授業が終わり、解放の時間が訪れたのだ。


しかし、歩く一歩一歩が地獄のように感じる。「あと少し…あと少しで…」もはやトイレは目の前だが、その距離が永遠に感じるほど遠く感じられる。


廊下に出た瞬間、彼女の足は自然と速くなっていった。教室内で必死に保っていた冷静さは、もはや保てない。周囲に他の生徒がいることも一瞬忘れ、ただ目の前にある目的地、トイレに意識を集中させる。足音が少しずつ大きく響き、汗が額から流れ落ちる。


「もう少し…もう少しで…」


トイレのドアが見えた。目に映るそれが、まるで蜃気楼のように彼女には一瞬ぼんやりと揺らめいて見えた。焦る心を必死に抑え、乱れた呼吸を整えようとするが、体は本能的に加速してしまう。


ようやくトイレに到着し、彼女は一気にドアを押し開けた。個室にたどり着くまでの一瞬がまるで永遠に感じられる。手は震え、ドアの鍵をかける動作すら困難に思えたが、なんとかドアを閉め、鍵を回した。


「やっと…!」


解放感は目前だ。彼女は必死に制服のスカートをまくりあげ、膝をかがめて座ろうとする。その瞬間、ふと彼女の中で時間が止まったように感じた。


冷や汗が、再び背中を流れる。


「まさか…?」


恐怖の感覚が彼女の心に広がる。もう一度、心の中で自分に問いかける。「本当に…間に合ったのか?」その問いの答えを確認するための時間すら、今の彼女にはもはや贅沢だった。


全身が震える中、彼女はようやく座り込んだ。そして、音もなく訪れた安堵の瞬間。しばらくの間、トイレの中には彼女の呼吸音と、抑えきれない解放感だけが満ちていた。


「間に合った…本当に、間に合った…」


心の中で何度も繰り返しながら、彼女は頬に伝う汗をそっとぬぐった。


トイレの個室の中で、彼女はようやく緊張から解放された。しかし、あまりにも強く膀胱を我慢していたせいで、足が少し震えているのを感じた。心臓の鼓動がゆっくりと落ち着き、乱れていた呼吸も少しずつ整っていく。彼女は目を閉じて、深い安堵のため息を吐いた。


「こんなに必死になるなんて…」


思わず笑いがこみ上げてきた。あの緊迫した教室の時間が、今はすべて滑稽に感じる。周りの目を気にしてトイレに行けなかった自分、そして限界まで我慢していた自分。それを思い出すと、少し恥ずかしくもあり、何とも言えない達成感のようなものが心に広がった。


時間はまだ昼休みに入ったばかりだ。彼女はふと時計を確認して、自分が思っていたより早く解決したことに気づいた。これで次の授業にも問題なく集中できるだろう。再び制服を整え、鏡の前に立ったとき、彼女は自分の顔が少し赤らんでいることに気づいた。


「ちょっと大げさに考えすぎたかな…」


だが、その赤らんだ顔にも少し誇らしさが混じっていた。彼女は軽く肩をすくめて笑い、手を洗った後、トイレを後にした。


廊下に出た瞬間、教室に戻る前のわずかな静けさが心地よかった。窓から差し込む日差しが、廊下の床を照らしている。彼女はその光をぼんやりと眺めながら、深呼吸をした。そして、少しリラックスした足取りで教室に向かう。


戻った教室では、他の生徒たちはすでに昼食を取ったり、友達と談笑したりしている。誰も彼女の緊迫した戦いには気づいていない。


「何事もなかったように、普通に戻ればいいんだよね」


そう思いながら、彼女は自分の席に座り直した。そして、カバンから昼食を取り出し、何事もなかったかのように友達と話し始める。


教室の中は、何も変わらない日常の風景が広がっていた。

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