動かぬ車、動く心

四車線道路のど真ん中で、車が急に動かなくなった。


「まさか、こんな場所で…」


ハンドルを握り締めた彼女の額には、汗が滲んでいた。朝のラッシュ時、車の流れは止まることなく彼女を取り囲んでいる。クラクションが鳴り響き、苛立ちを増していく後続車の運転手たち。だが、エンジンはうんともすんとも言わない。


「どうしよう…」


彼女は深呼吸をし、まずハザードランプを点けた。安全を確保するためにできることは、それくらいしか思いつかない。それでも何かをしているという実感が、わずかな安心感をもたらした。次に、スマートフォンを手に取り、JAFの番号を探し出そうとする。


指が震えている。思った以上に緊張している自分に気付く。電話をかけようとしたその瞬間、窓を叩く音がした。


驚いて顔を上げると、目の前には見知らぬ男性が立っていた。反射ベストを身に着け、手に携帯用の工具を持っている。


「どうしました?」彼はにこやかに問いかけた。


「車が…動かないんです」


彼は状況を察し、迷わず彼女に指示を出す。「まずは車から降りましょう。ここは危ないですからね。」


後続車のクラクションが一段と大きく響き、彼女は動揺したが、言われるまま車外へ出る。周囲の車に囲まれて、四車線のど真ん中で身動きが取れない。その現実が、急に彼女を襲った。


「ここで何もできないから、とにかく避難しましょう」と彼は続け、手を差し出す。


「大丈夫ですよ、落ち着いてください。」彼の声は穏やかで、冷静さが伝わってきた。


彼女は手を取り、彼に導かれて路肩に向かう。次々と車が彼らの横を通り過ぎ、振り返ると自分の車がハザードランプを点けたまま、まるで見捨てられたようにぽつんと道路に取り残されていた。


「本当に助かりました…」彼女は感謝の言葉を口にしたが、その言葉の重さを感じていた。


「いえ、僕もたまたま通りかかっただけです。誰だって同じことをしますよ。」


しかし、彼女にはそれが「普通」だとは思えなかった。動かない車の中で動いていたのは、自分の心だけだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?