【♯93】正しい選択をすることを諦めよう。
私たちは出来るだけ良い選択がしたい。
でもどちらかを選ぶということはもうひとつの選択肢を捨てるということになるので、AかBか”どちらかしか選べない”という状況は、いつも究極のように感じてしまう。
これは何事においても中間がなく、0か100かで考えてしまう状態のこという。
それを「0か100か思考」とか、あるいは「全か無か思考(all-or-nothing thinking)」などと呼ばれている。
でもそもそも0か100かなんて存在しない、としたらどうだろうか。
実はやりたくない仕事をしている人も、やりたいことを仕事にしている人も
楽しいと苦しいの総量は同じだとしたら??
いやいや、そんなことはありえない。
と思ったかもしれない。
現実問題、苦しさはどちらもある。
でも種類がちがう。
●やりたくない仕事をしている苦しみ
やっている意味がわからない。意義を感じていない。そこに自分の時間を使っている虚しさ、苦しさ、怒り。
●やりたいことを仕事にしている
やりたい!でも出来ない。上手くいかない。怖い。もどかしさ。
厄介なのが、やりたいことを仕事にしている場合でも、上記の苦しさから行動がおろそかになったり躊躇しているうちに、やりたいことだったのかさえわからなくなり、やりたくない仕事をしている苦しみと同化して見分けがつかなくなってくることである。
そうなる前に、ハードルを極力さげてできる範囲で行動しつづけるということが大事である。
それでもわからなくなったら、プロと対話しながら整理していくというのも有効だ。
さあ、話を戻そう。
「失敗したくないから正しい選択をしたい」
というのは、そもそも成り立たないのである。
だったら、どちらのリスクを受け入れようか、と選んだ方がよっぽど”正解らしい選択”ができるのではないかと思う。
自分が正解の選択を探そうと苦しんでいる渦中にいることにすら気づけないときがある。
それこそわたしたちの心は完全完璧な感情なんてもちあわせていないのだから。
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